私は初老男である。
いよいよ雪が山に降ってきた。
里に下りるもの近かろう・・・。
雪国の民はただ「耐える」のみだ。
日本人の「滑稽」であり「愛すべき」ところは、さまざまあるだろうが、
何の変哲もない物事を、突き詰めて「道(どう)」にまで突き詰めていくことがあるだろう。
いわく「柔術」「剣術」という格闘技を、たんなる「技術」でなく「道(どう)」にして精神性を伴わせて突き詰めていく。
格闘技ではなくとも「華道」「香道」「茶道」などがある。
その中でも
「茶道」
に興味が前々からあった。
とすれば
当然
「千利休」
にたどり着かざるをえない。
そして、利休にたどり着けば
「その死にざまの怪」
にたどり着くだろう。
だいたい、武士でもないただの茶人がなぜ切腹を命じられ、なぜ従順に腹を切ったのか・・・・。
ずっとそれが知りたかった。
その謎と利休という人の極めた「茶道」というものの本質が。
しかし、この歳になって本気で茶道に取り組むのもねぇ。
しかも、知りたいのは利休の死についてだし・・・・。
そして本屋で何気なく見つけた。
「利休の闇」 加藤廣著
である。
加藤廣は史実を丹念に調査してストーリーを組み立てるドキュメント性の高い小説を書く人だと私は思っている。
もちろん、真実というものはどこまでいっても分かるものではない。
しかし、少しでも納得できる「答え」が欲しい。
それが好奇心を抱く者の欲求である。
豊臣秀吉の天下統一期を表す場合、この利休を描かぬわけにはいかない。
時代劇・歴史小説好きの私は、何度となくこの利休の事に触れてきた。
そうした中で、やはりこの小説が一番「抜けている部分」を埋めているような気がする。
やはり、日本文化の象徴になりつつある「茶道の巨人」の事であるから、映像にするとその目指した「詫び寂び」を前面におし出さざるをえない。
しかしこの本の内容の通り、いかな茶道の巨人といえど「俗物的な欲」がなかったどころかこうした人は、その欲が一般人より強かったのではないかと想像してしまう。
そこところを「下種な表現」で映像化した時に、本当の「利休」という人物とその死の謎が腑に落ちるのではないだろうか・・・。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、抱き続ける好奇心を持ちますように。
May
いつか、映像化した利休の話をUpしようと思います。いわく「利休」(三国連太郎主演)いわく「利休にたずねよ」(市川海老蔵主演)・・・・。