完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

人は「ごはん」を食べれば「うんこ」をするのです。(その2)   ~小出裕章氏の講演~

2013年04月23日 | 時事ネタ
私は初老男である。

今回は、先回のつづき。

さきに「人は『ごはん』を食べれば『うんこ』をするのです。(その1)」を読んでいただきたい。

京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏の講演を聞いてきての話である。


ここからは日本と言うことでなく「人類は」ってレベルの話になる。(大げさか?)

放射能と言うものを見つけたのは「レントゲン」と言う人だそうだ。

そのもの自体は決して「罪」ではない。

それを平和利用しようとして「発電」に使おうとしたのも「罪」ではない。

しかし、その原発を作る時点で「間違い」が起こった。




今回のタイトルに不快感を持った人もいるかもしれない。

しかし、これは生理的なことで「当然」のことだ。

江戸時代が「完全リサイクル」に近い形だったのは、長屋で出る「人糞」を近隣の農家が「肥料」として使っていたからだと聞く。

だから落語で店子が大家にむかって「お前ん所じゃ、糞もしてやらねぇぞ!」とタンカを切ったりする。

そう、その「糞」も農家が「買って」いたからだ。(結構いい収入になったらしいね)

今は江戸時代ではないから、人糞を肥料として使っていない。

高度の技術を使って「焼却」している。(ちがったっけ?)


「何の話をしているのだ!」と叱られそうだが、ここからが本題。


つまり、原子力発電というのは、この「糞」(原子力廃棄物)を処理することをしっかり解決しないまま本格運転を始めてしまった。

「まあ、なんとかなるだろう・・・。」的なまま、原発は世界中に拡がっていった。

「排泄物」をどうするか?って、かなり重要なことなのだが、人間なんとなく「誰かが何とかしてくれる」みたいに考えているものだ。

だが「誰も何とかしてくれない」としたら・・・。(本当は、その核廃棄物を上手に処理すれば、元のウランの数十倍のエネルギーが得られるって触れ込みだった。それこそ「完全リサイクル」だぁね)



「原発の糞」は江戸時代の「長屋の人糞」のようにうまくはいかない。どうすることもできず、ただ集めて一時保管しているだけだ。(地下300mに埋めてあるみたいな話もあるよね)それも、発電をすればするほど溜まっていく。


人間は「ごはん」をたべれば「うんこ」をする生き物。

原発で電気を作れば「核廃棄物」は必ず生み出さる。

当たり前のことだ。


なぜ人間は核廃棄物をちゃんと処理する方法を確立しないうちに「原発の恒久的な運転」を
始めてしまったのだろう・・・。


言い古されてしまったが「核の平和利用」というが、根本的な「危険性」は「武器も原発」も変わらないのである。


本当のことを言えば、核が実は「制御不能」の物であることなど、中学生にも理解できることだったのだ。

それを政治家も電力会社も「経済成長」の名の下に「絶対安全」と我々に吹き込み続けた。

マスコミあたりもそれに積極的に加担した。

さきに述べたように「中学生でも理解できること」を知らないフリをした我々自身にも責任はある。


事ここに至って、こんな結論を出すのもどうかと思いながら最後にまとめてみたい。


「作用」があれば「反作用」がある。


「大事なもの」を守るためには「我慢」をせねばならない。

「命」を守るためには「快楽」や「便利さ」を手放さねばならない。


その覚悟は、ほんの2年前に経験した。半ば無理矢理に。


自分たちのためでなく「これからの子どもたち」のために「我慢」する時が来ている。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、冷静に「感情」でなく「理論」で原発のことを考えてみますように。


         May

先回並びに今回のUpは、小出教授の講演から私が感じたものを示したものです。私の聞き違いや間違いがありましたらご指摘ください。







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