完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

歳をとったからかなぁ・・・。    ~運命論者になっちまった?~

2013年04月15日 | Weblog
私は初老男である。

頭の中がグラングランしている。


新年度になって異動があり仕事場が変わった。

仕事はもう30年もやっているから、回っていかない(滞る)ようなことは無い。

しかし、問題なのはどれくらいの時間で「自分の仕事」になるのだ。


さらに周り順番の地域の幹事長になり、そちらの仕事も結構キツイ。

そのため・・・。


ブログの更新が滞った。

まあ、いつもの言い訳である。


先回のブログを落としてしまった。改めてUpする気力が起こらないので結論だけかいておこう。

土曜の夕方5:00から放送されいたFMラジオの「Suntory Saturday Waiting Bar "AVANTI"」が、終わってしまったこと。

ラジオ番組と言うのは長寿番組が多い。(もちろん人気がなければしょうがないが)

その中でもこの番組は放送20年を誇る人気番組だ。(と思う)


これくらいの放送年数になり、毎週聴いていると「最終回」が訪れることを忘れている。

・・・そう、3月末で終わってしまったのだ。


それを次の土曜のその時間まで、終わったことに気が付かなかった。


この歳になると「継続・伝統」の偉大さを第一に考えるようになる。

そうした中で「ルーティン・ワーク」と言うものが、生活の大事なルーティンになる。(何を言っているのだろう・・・)

それが「分断」されるのは初老男には、かなり「辛い」

特にこうした「突然」というのが本当に辛い!


ってことをUpしたかったのだ。


と言うことで、今回のUpにつながるところがあるような無いような・・・。


前段で異動したことや幹事長が回ってきたことを書いたがそれがこのルーティン・ワークが途切れたことに似ていなくもない。

一気に、今までと違う状況が押し寄せてきた。

これも・・・「辛い」

なんでこんな目に会うのだろう?


と嘆いてみたが、そうしたことに出会ってみて思うのだ。


人生において・・・・。


何事も・・・・。


      「タイミング」

             があるということだ。


困ったとこにそのことには、後になってしかわからない。


「そういえば、あの時・・・」と気が付くことが、この歳になると非常に多くなる。


決して「運命論者」になったつもりはない。


しかし、物事においての「完結」というのは、それを見届ける人間が完結したと認めるまで完結していないのである。


ある時点において「完結した」と思っても、後々、その完結したと思ったことが実は「始まり」であったことに気が付く。

なんてことは決して少なくない。


テレビドラマの最終回を見終わって思う。

「この後、この人たちはどうなるの?」

ドラマは終わっても時間は流れ続けていくのである。


現実に人生の終盤に差し掛かりつつある初老男は、その流れの中ですべての出来事に意味があり、その出来事が起きるのは、そのタイミングでなければならなかったのだと、最近分かってきた。

積極的でも消極的であっても、人生の出来事はそんな風にできているのだ。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、決して今の小さな出来事に意味がないと思いませんように。


              May


・・・一生懸命、まとめようと頑張ったけど・・・結局、自分でも何を言っているのか、よくわからんなぁ・・・。
コメント
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