私は中年である。
今、サッッカーのワールドカップ最終予選のvsオーストラリア戦が終わった。
ご存知と思うが0-0のスコア・レスドローである。
ワールドカップ予選と言うのは独特の雰囲気があり、観戦するにも緊張感がある。
(もちろん「テレビ観戦」だが)
やっぱり、日本はこのレベルのチームにはなかなか勝てない。
ホームでもあるし日本に有利な要素も多々あったと思うが、それでも勝てなかった。
短く感想を記そう。
日本は昔からそうだが「どこからでもゴールを狙ってくる」という怖さが無い。
組織力を生かしたパス・サッカーを目指しているのは分かる。
しかし、瞬間的なひらめきでゴールを狙うと言うことが出来ない国民性なのだろう。
今の日本の実力と言うのは、前々から感じているのだがワールドカップにはほぼ毎回出場できるが「予選リーグを勝ち抜く力」は無い。
もっとも、それだって一昔前のサッカー事情を知っている者としては「大変な進歩」なのだが・・・。
今回もワールドカップにはいけると思う。
問題なのは次回の開催国が「南アフリカ」であることだ。
極東アジアの気候・条件がまるで違う中でのゲームになる。素人が考えても「厳しい戦い」になることは容易に想像できる。(当たり前だが、アジア勢の躍進が著しかったのはアジア地域で行われた「日韓共催」の時である。)
まあ、最終予選もまだ半分残っているわけだから「楽観」は出来ないけど。
結局日本には「釜本邦茂」以上のストライカーが現れていないと言うことだろう。
話変わって、モータースポーツから日本メーカーが次々に撤退していると言う話。
「ホンダはF1から撤退」「スズキもWRCから撤退」「スバルはWRCから撤退」「三菱、パリ・ダカ撤退」
世界的な自動車業界の不況下においては、当然の結果だろう。
F-1は、日本のホンダが参戦して連勝するまで「職人芸の集まり」のようなレースだったと聞いたことがある。
そこのホンダが参戦してハイテクを導入。全く別物にしてしまったと言うのだ。
日本の産業はちょっと前まで「サルマネ」と揶揄されていた。
その一因はその「技術力」によって発明されたばかりのプロトタイプを、格段に進歩させてしまうからだろう。
そして、モータースポーツの本場がやはり「ヨーロッパ」だと言う証明が、この世界的不況においてもヨーロッパのモーターメーカーが、ほとんどそれらのレースを撤退しないことだ。
ヨーロッパにおいて「モーター・スポーツ」とは完全に「文化」になっている。
日本ではまだ、その領域になっていなかったと言うことだろう。
戦後、いや明治維新以後、日本は西洋文化に「追いつく」ことを最大目標として躍進を続けてきた。
それは日本人の「勤勉さ」と「技術力」があることで、肩を並べることが出来た。しかし、それは正に「技術」と「外見」であって、その「精神」までを身に着けたかといえば「?」である。
私もごく一般的な「日本人」であるから、モータースポーツにおける日本メーカーの撤退を残念と思いながらも「仕方ない」と割り切っている。
そういう風に聞き分けよく考えてしまうこと自体が、私の精神に文化としてそれが身についてないということだ。
今、サッッカーのワールドカップ最終予選のvsオーストラリア戦が終わった。
ご存知と思うが0-0のスコア・レスドローである。
ワールドカップ予選と言うのは独特の雰囲気があり、観戦するにも緊張感がある。
(もちろん「テレビ観戦」だが)
やっぱり、日本はこのレベルのチームにはなかなか勝てない。
ホームでもあるし日本に有利な要素も多々あったと思うが、それでも勝てなかった。
短く感想を記そう。
日本は昔からそうだが「どこからでもゴールを狙ってくる」という怖さが無い。
組織力を生かしたパス・サッカーを目指しているのは分かる。
しかし、瞬間的なひらめきでゴールを狙うと言うことが出来ない国民性なのだろう。
今の日本の実力と言うのは、前々から感じているのだがワールドカップにはほぼ毎回出場できるが「予選リーグを勝ち抜く力」は無い。
もっとも、それだって一昔前のサッカー事情を知っている者としては「大変な進歩」なのだが・・・。
今回もワールドカップにはいけると思う。
問題なのは次回の開催国が「南アフリカ」であることだ。
極東アジアの気候・条件がまるで違う中でのゲームになる。素人が考えても「厳しい戦い」になることは容易に想像できる。(当たり前だが、アジア勢の躍進が著しかったのはアジア地域で行われた「日韓共催」の時である。)
まあ、最終予選もまだ半分残っているわけだから「楽観」は出来ないけど。
結局日本には「釜本邦茂」以上のストライカーが現れていないと言うことだろう。
話変わって、モータースポーツから日本メーカーが次々に撤退していると言う話。
「ホンダはF1から撤退」「スズキもWRCから撤退」「スバルはWRCから撤退」「三菱、パリ・ダカ撤退」
世界的な自動車業界の不況下においては、当然の結果だろう。
F-1は、日本のホンダが参戦して連勝するまで「職人芸の集まり」のようなレースだったと聞いたことがある。
そこのホンダが参戦してハイテクを導入。全く別物にしてしまったと言うのだ。
日本の産業はちょっと前まで「サルマネ」と揶揄されていた。
その一因はその「技術力」によって発明されたばかりのプロトタイプを、格段に進歩させてしまうからだろう。
そして、モータースポーツの本場がやはり「ヨーロッパ」だと言う証明が、この世界的不況においてもヨーロッパのモーターメーカーが、ほとんどそれらのレースを撤退しないことだ。
ヨーロッパにおいて「モーター・スポーツ」とは完全に「文化」になっている。
日本ではまだ、その領域になっていなかったと言うことだろう。
戦後、いや明治維新以後、日本は西洋文化に「追いつく」ことを最大目標として躍進を続けてきた。
それは日本人の「勤勉さ」と「技術力」があることで、肩を並べることが出来た。しかし、それは正に「技術」と「外見」であって、その「精神」までを身に着けたかといえば「?」である。
私もごく一般的な「日本人」であるから、モータースポーツにおける日本メーカーの撤退を残念と思いながらも「仕方ない」と割り切っている。
そういう風に聞き分けよく考えてしまうこと自体が、私の精神に文化としてそれが身についてないということだ。