私は中年である。
私の住んでいる地域は有数の「豪雪地帯」であることは、まえからUpしているが、
ここ数日はその雪片付けに時間を取られブログをUpできなかった。
実際にその作業にかかる時間は、通算すると大したことは無いのだが、雪と言うのは
厄介で、一度に片付けて終わりとならない。
雪が降る量が雪を消す量より多くなると「雪が積もる」ことになる。
だいたい一晩で50cmとか降る日が二日続けば、その日のうちに一般家庭で消せる
量は15~20cmがせいぜいだろう。
それもチョコチョコと、雪を水の流れているところに片付けないといけない。
中年になると「集中力」が落ちるし、集中している時間も短くなる。細かく他の
ことを考えながらだとブロクとかが、一番手を出しにくくなる・・・。
って言い訳ばっかりが多くなるのも中年なのだ。
さて、中年の私であるが、田舎に住んでいるために「歌舞伎」を見に行ったことが
なかった。
死ぬまでに一度は見てみたい!(それほど大げさなモンではないか)
と思っていた。
今回、うまく日程が合ったので歌舞伎座の「二月大歌舞伎」を見に行った。
前から思っていたのだが、「クラシック音楽」「能狂言」「歌舞伎」「オペラ」「文楽」等々の
伝統的芸術は、あらかじめ知識を持っておかないと「楽しめない」芸術だと思って
いたが、鑑賞して自論が正しかったと確認した。
同行した先輩などは、演目の台本をいずこからか手に入れて歌舞伎座に着くまで
読みふけっていた。
また、その人のおかげで「文楽の浄瑠璃」と「歌舞伎の浄瑠璃」の違いとか「浄瑠璃」と
「常磐津」「清元」の違いとかを認識できるようになった。
歌舞伎座に集まる人々は、たしかアメリカのブロードウェイにも似て「おのぼりさん」か
「通」のどちらかって感じだった。
600円ほどを払って説明が流れる「イヤホンガイド」をつけている人が40%くらい
居たし、2階3階の人たちは役者の「屋号」を呼ぶ「大向う」の人達が多いし・・・。
歌舞伎俳優は、基本的に「血筋」世界だ。
まれに玉三郎のように養子という形を取るが「梨園」は、閉鎖的といえるだろう。
まあ、ねずみ算式に子どもが増えれば数的には困らないだろうけれど・・・。
私は基本的に「血筋」を信じない。自分の周りの親子という人たちを見ていると
その「才能」が遺伝しているとかんじる親子はまったくと言っていいほど無いからだ。
有名人のなかでも、長嶋茂雄・一茂、親子を筆頭に親と同じ位に成功しているというのは
ほとんどいない。
にもかかわらず歌舞伎の世界が「血筋」にこだわるのは、徹底的な「英才教育」だろう。
子どもの「自意識」が無いうちから「芸」を叩き込む。
本人が「なぜその芸をやらなければならないか?」などと疑問を抱かせる余裕も与えず
叩き込むのだ。
若手の(そうでもないか)市川染五郎を見ていて、そう思った。この人などは父親の
松本幸四郎以上に目立たないいまどきの若者って感じだが、その叩き込まれた芸で
なんとか舞台でも存在感を表している。
市川染五郎・中村福助などの若手達は、顔が小さく手足が長い。ある意味歌舞伎に似合わない
体形になってきている。
松本幸四郎・中村吉衛門などのベテラン達と並ぶと、かなり違和感がある。
こうしたことも時・時代とともに解消されるのだろうか?
とにかく、これからも「歌舞伎」が続く限り歌舞伎座に入る人々は未来永劫絶え間が、
無いだろう。
そこにそれこそ日本人の「血」に訴えるものがあるからではないだろうか。興味が無い人も、
ぜひ一度はごらんあれ。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「日本人の血」が、流れていることを忘れませんように。
may
中村福助は、若手の中では一番の女形ですなぁ・・・。
私の住んでいる地域は有数の「豪雪地帯」であることは、まえからUpしているが、
ここ数日はその雪片付けに時間を取られブログをUpできなかった。
実際にその作業にかかる時間は、通算すると大したことは無いのだが、雪と言うのは
厄介で、一度に片付けて終わりとならない。
雪が降る量が雪を消す量より多くなると「雪が積もる」ことになる。
だいたい一晩で50cmとか降る日が二日続けば、その日のうちに一般家庭で消せる
量は15~20cmがせいぜいだろう。
それもチョコチョコと、雪を水の流れているところに片付けないといけない。
中年になると「集中力」が落ちるし、集中している時間も短くなる。細かく他の
ことを考えながらだとブロクとかが、一番手を出しにくくなる・・・。
って言い訳ばっかりが多くなるのも中年なのだ。
さて、中年の私であるが、田舎に住んでいるために「歌舞伎」を見に行ったことが
なかった。
死ぬまでに一度は見てみたい!(それほど大げさなモンではないか)
と思っていた。
今回、うまく日程が合ったので歌舞伎座の「二月大歌舞伎」を見に行った。
前から思っていたのだが、「クラシック音楽」「能狂言」「歌舞伎」「オペラ」「文楽」等々の
伝統的芸術は、あらかじめ知識を持っておかないと「楽しめない」芸術だと思って
いたが、鑑賞して自論が正しかったと確認した。
同行した先輩などは、演目の台本をいずこからか手に入れて歌舞伎座に着くまで
読みふけっていた。
また、その人のおかげで「文楽の浄瑠璃」と「歌舞伎の浄瑠璃」の違いとか「浄瑠璃」と
「常磐津」「清元」の違いとかを認識できるようになった。
歌舞伎座に集まる人々は、たしかアメリカのブロードウェイにも似て「おのぼりさん」か
「通」のどちらかって感じだった。
600円ほどを払って説明が流れる「イヤホンガイド」をつけている人が40%くらい
居たし、2階3階の人たちは役者の「屋号」を呼ぶ「大向う」の人達が多いし・・・。
歌舞伎俳優は、基本的に「血筋」世界だ。
まれに玉三郎のように養子という形を取るが「梨園」は、閉鎖的といえるだろう。
まあ、ねずみ算式に子どもが増えれば数的には困らないだろうけれど・・・。
私は基本的に「血筋」を信じない。自分の周りの親子という人たちを見ていると
その「才能」が遺伝しているとかんじる親子はまったくと言っていいほど無いからだ。
有名人のなかでも、長嶋茂雄・一茂、親子を筆頭に親と同じ位に成功しているというのは
ほとんどいない。
にもかかわらず歌舞伎の世界が「血筋」にこだわるのは、徹底的な「英才教育」だろう。
子どもの「自意識」が無いうちから「芸」を叩き込む。
本人が「なぜその芸をやらなければならないか?」などと疑問を抱かせる余裕も与えず
叩き込むのだ。
若手の(そうでもないか)市川染五郎を見ていて、そう思った。この人などは父親の
松本幸四郎以上に目立たないいまどきの若者って感じだが、その叩き込まれた芸で
なんとか舞台でも存在感を表している。
市川染五郎・中村福助などの若手達は、顔が小さく手足が長い。ある意味歌舞伎に似合わない
体形になってきている。
松本幸四郎・中村吉衛門などのベテラン達と並ぶと、かなり違和感がある。
こうしたことも時・時代とともに解消されるのだろうか?
とにかく、これからも「歌舞伎」が続く限り歌舞伎座に入る人々は未来永劫絶え間が、
無いだろう。
そこにそれこそ日本人の「血」に訴えるものがあるからではないだろうか。興味が無い人も、
ぜひ一度はごらんあれ。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「日本人の血」が、流れていることを忘れませんように。
may
中村福助は、若手の中では一番の女形ですなぁ・・・。