Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『虹かける』最終話

2015-04-15 00:01:00 | 自作小説3
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 九月になって、カズは工場のアルバイトを辞めた。愚痴れよな、と言っておいても、なかなか愚痴るのは好きではない性格らしく、ストレスを許容量以上までたくさん溜めこんで、ついにチェックメイトのような状態になり、辞めた。
「しばらく休んだらいい」
とぼくも茜もカズをいたわったのだが、返す言葉で、
「賭け金を減らしてしまって申し訳ない」
とカズはうな垂れるのだった。茜も、発掘調査の期間が終わった後、新しい仕事が見つからなかった。ぼくは
「まあ、しょうがないよね、当初より少ない額で勝負しようと思うけど、どうだろう」
と茜が何かお詫びめいたことを言いだすより先にメールで意見を求めておいた。そして同様のメールをカズにも。二人とも、ぼくが了承するのならやりたい、というような返信だったので、予定通り、十一月下旬のジャパンカップで勝負することにして、その旨をさらにメールした。

 引きこもりがちだった三人の人間が、いきなり何か仕事をやり出して三人ともすんなりいくというのは、やはり難しいことだったのかもしれない。ぼくらは明らかに息切れしだしていた。思い返してみると、お金を稼ぎながらもまるで遊ぶということをしていなかった。これはカズにしても茜にしても、たぶんそうだろうという気がした。カラオケに行っただとか、本やDVDを買っただとか、おいしいものを食べにいっただとかは全くなくて、それぞれに淡々とお金を積み立てていく日々だった。夏にジンギスカンはしたけれど、頑張っているわりには遊んでいない。リフレッシュができていなかったじゃないか、と、今さらながらに気付くことになった。なんて愚直だったんだろう。そうやって反省の気持ちに動かされるまま二人を、アウトレットモールまで買いものにでも行かないか、とメールで誘ってみた。二人は馬券計画に頭を捉われていたし、唐突だったこともあって、なんで買いものなんだい、だとか、買いものに使うお金なんてない、だとか、返信してきたのだけれど、
「最近のぼくらは心を擦り減らしすぎてないか。気持ちを殺伐とさせてまで計画にこだわることもないんじゃないかな、どうかな」
とツイッターで問いかけると、それはその日の夜の十一時過ぎだったのだけれど、朝までの間に二人から、ニジがそういうのなら行ってもいい、というようなリプライが来ていた。じゃ、雨天決行だよ、とぼくが休みの火曜日、それは五日後のことだったが、日取りを連絡しておいた。すると、途端に楽しみになって、今まで重りをつけて生活をしていたんじゃないかと思えたほど、それから足取りも身体も軽くなったのだった。なんだこれは、と思って、その元気がわいてきた様子を二人に伝えると、二人も似たような感覚で、カズなどはそれまでのどんよりしていた気分とは逆方向に気分の針が振れ出して、眠れない、とまで言っていた。やっぱりそうだった、ぼくらには遊んで楽しむ行為が不足していたのだ。
 当日、朝早くからぼくらはJRの汽車を乗り継いで、着いた駅から今度はバスに乗って、アウトレットモールへ向かった。着いてみると、平日の午前中にも関わらず、何十台もの観光バスと乗用車が駐車場に所せましと止まっていて、モールを歩く人の数もかなりのものだった。茜は楽しそうにいろいろなお店のたたずまいと商品の服やバッグなどを眺めている。カズも、思っていたよりも人手があることに、はじめはちょっと緊張した面持ちではあったのだが、高い天井の開放的なつくりと広さ、そしてモール内に満ちている楽しげな雰囲気に次第に心を自由にしていったようで、ちょこまかと、お店からお店へとみつばちのように渡り歩いていた。そんな二人に後れを取ることなく、ぼくも楽しく店内を見回しながら、歩いていた。おしゃれなカーディガンがある、茜にきっと似合うようなスカートをはいたマネキンがいる、カズが被ったら外向的な感じにイメージが変わりそうなハットがある。とくに、これと買いたいものを決めていたわけではなかったので、店を冷やかすだけの三人組に違いなかったのだけれど、ふと足を踏み入れた靴屋で、茜が一足のスニーカーを手にとって、
「これ、欲しい、買う」
とそれまでの一線を越えると、ぼくもカズも急に新しいスニーカーが欲しくなり、各々、気がつくと好みのものを試しばきしてサイズをチェックし、会計を済ませていた。ぼくは茶色で、カズは水色で、茜はあずき色だった。それからぼくらはモール内で人気のピザ屋にて少し遅くなった昼食を済ませ、そこから事前に調べておいた近場のボウリング場へと歩いた。
「ボウリングなんて、福島に住んでた時以来だよ、ちゃんと投げられなさそう」
と茜が不安を口にするも、表情は明るい。カズは
「俺は、ボウリングやったことないよ、ルールもよく知らない」
というので、それからそのルールの説明を茜と二人でしているうちに、ボウリング場に到着したのだった。茜は上手だった。ぼくなどは百点を越えるかどうか、そこで四苦八苦しているのに、彼女はスペアだのダブルだのをよく取って、百五十点を越えるくらいのスコアを出した。カズは、一ゲーム目こそ六十点そこそこだったのだが、元来、パワーがあるので、コントロールが定まってくると、ストライクを何度か取れるようになって、最後の三ゲーム目には百三十点近いスコアを出して、ぼくを上回ったのだった。どうやらぼくが一番へたくそだ。ガッツポーズを作ったり、ハイタッチをしたり、たえずわあわあ言いながらのボウリングだった。そうやって、ぼくら三人は、三人としては初めて、娯楽というものを心から楽しんだ休日を過ごした。帰りはみんな疲れ気味だったのだけれど、汽車の中でのおしゃべりも弾んで楽しかった。ついぞなかった、充ち足りた日だった。

 そんなアウトレットモール遠征からしばらく時は流れ、紅葉も終わり広葉樹の木々は葉が散って幹と枝だけのさみしい姿になった。初雪も降り終わり、もはや根雪を待ち冬の訪れに備える季節で、吹く風は厳しい冷たさだった。
 十一月下旬の日曜日、ぼくはまた物産館の休みをもらい、カズと茜とともに、バスを使って札幌の場外馬券売り場ウインズへとやってきた。歩いている途中で、ビルの屋上の観覧車の姿が見えてきて、ぼくが指差したときには、三人に笑顔が生まれたのだけれど、それからウインズに入館すると、それが戦闘スタイルなのか自分でもよくわからないが、自然と厳しい顔つきへと表情は変わるのだった。ぼくは黒のジャンパー、カズは濃紺のパーカー、茜は光沢のある黄土色をした薄手のダウンジャケットを着ている。時刻は十二時半だった。ジャパンカップのレース発走時刻は十五時五十五分で、まだ三時間も余裕があるというのに、メインレース以外のレースをやるためなのか、それともぼくらのようにジャパンカップをいまかいまかと待っているためなのか、たくさんの人でビルの中はごったがえしていて、暖房のせいというよりも人々の熱気のせいで暑かった。巨漢のカズは初めのうち、ハンカチで首筋や額や鼻の下の汗を何度もぬぐって耐えきれなさそうな様子だったので、
「ここにいるから、風にあたってこいよ」
と促し、少しの時間ぼくらのいるビルの五階から下に出て、外気にあたりクールダウンをして戻ってきてを繰り返した。
「いよいよだよなあ」
とぼくは誰にともなく言った。さっきから少し速くなってきた鼓動を落ち着かせたく思って呼吸を深くしてみても、なかなかいつものようには戻らない。ぼくらのこの半年間を賭けた大きな勝負だ。いや、賭けたのはぼくらの未来だともいえる。三人で合わせたお金は三十四万円だった。カズが九万円、茜が八万円、ぼくが十七万円という内訳だ。個々の出した額はそろってはいないのだけれども、もしもこのレースで勝負に勝ったなら払戻金を三等分に山分けしようという約束をぼくからしていた。
 あのレインボウアローがジャパンカップに出走することがわかった日、ぼくはぜひ、と二人にこの馬を推薦した。レインボウアローは夏を越した復帰戦のセントライト記念を四着し、続いて同世代だけで競うクラシックレースの最後のレースである菊花賞を十二着で終えた。良い成績とは言えない。しかし、レインボウアローの調教師は「菊花賞は厳しい走りをしなかったのでジャパンカップには疲労は残さずにだせるし、休み明けから三戦目というローテーションで動きも素軽く、よくなっている。それに、ダービーと同じ距離とコースだから力を出せるはずだ」という強気のコメントを出していた。ぼくはそこに期待した。強豪ひしめくジャパンカップだけあって、前日のオッズではレインボウアローは二十一・八倍の八番人気になっていて、カズの家のパソコンでそれを確認したぼくらは、それをどう理解していいのかわからなかった。勝てば、三十四万円が二十倍以上、つまり六百万円を優に超えるお金を手に入れることになるのだが、実際、レインボウアローに勝つ見込みはあるのかどうか、専門家はどう見ているのかを知りたくて、結局、深夜にやっている競馬番組を見終わるまで、急遽カズの部屋にぼくと茜は居残ることになったのだけれど、そのテレビ番組ではどの馬にも勝つチャンスがあるという夢のありすぎる結論で終わってしまって、それじゃレインボウアローにだって勝機はないわけではない、と妙な感じで背中を押されて、自信満々ではなかったけれど後悔はしないことを確認しあい、単勝馬券を買うことに決めた。
 ウインズの階段の端に縦になって順に座って待つぼくらだった。あまり話はしなかった。カズは払戻金を受け取って入れるためのファスナー付きのトートバッグを膝に乗せて両手で抱きしめている。出走までの時間が、長く、長く感じられた。だけど、同時に、出走時間を迎えるのが怖くもなってきた。もうすでに、三人そろって馬券購入窓口まで行って三十四万円分の単勝馬券は購入済みだ。マークカードを記入するときも、お金を窓口に出すときも、馬券を受け取る時も、ずっと手が震えっぱなしだった。責任を持って、その重たい馬券をジャンパーのポケットにしまい、緊張のため汗で湿った手で上からずっと押さえていた。たまに、茜がオッズを確かめにフロア内のヴィジョンを見に行った。レインボウアローのオッズは前日から比べて、少し人気を上げたようで、最後に見たときには十八・一倍の七番人気に落ち着いていた。そして、ついに、その時刻を迎えた。ぼくらはフロアの端にある大きなヴィジョンに映し出される映像をなんとか見逃さずにいられる場所に移動して立っていた。

 快晴の東京競馬場で演奏されるファンファーレの音がスピーカーから聞こえ、出走馬十八頭すべてのゲート入りが終わる。芝コースのコンディションは「良」。それぞれのプライドを賭けた二千四百メートルのレースが始まろうとしていた。がしゃんとゲートが開く音がして、各馬がいっせいに飛び出したその中で一頭だけ、出遅れた馬がいた。八番のゼッケンをつけたレインボウアローだった。ぼくは声もなく、息をのんだ。先行戦法が得意な馬だけれど、後ろから追い込む戦法だって得意かもしれない、まだわからないぞ、と自分を勇気づけ、馬を信じ、横の二人をちらと横目で見てみると、やはりぼくと同じように、馬を信じているような、決心を固めたような、そんな強いまなざしでヴィジョンを見つめていた。
 レースは、およそひと月前に行われた大レースである秋の天皇賞を逃げ切り勝ちしたゼッケン三番のマキシマムターボが引っ張っていた。いや、引っ張っているどころか、一馬身、二馬身、三馬身・・・と、どんどん後続との差を広げ、大逃げ戦法に打って出ている。マキシマムターボを除いてはほぼひと固まりの馬群となっていて、その馬群の前の方の位置取りに英国からやってきたゼッケン十五番、一番人気の凱旋門賞馬シルヴァールーラーがいて、その走りは、ぼくの目にはなんとも貫録のある落ち着いたもののように映った。そして我らがレインボウアローは最後方でじっと我慢のレースをしている。このまま最後方で力尽きてしまうのか、それとも、未知数の瞬発力をみせてくれるのか、それはまだまだわからなく、どきどきするよりほか仕方無かった。フロア内はざわついていて、実況中継のアナウンサーの声がところどころ聞きとれない。左回りの東京競馬場のコースの一コーナーと二コーナーを走り抜け、十馬身以上、後続との間に差をつけたマキシマムターボが前半の千メートルを通過したようで、アナウンサーはそのタイムを読み上げる。五十八秒四。ぼくらの後ろでレースを見ている眼鏡の二人組の男の一人が「速過ぎる、潰れるぞ」ともう一人に短く言うのが聴こえた。
 灰色の葦毛馬シルヴァールーラーはやはり落ち着いたまま、騎手の指示通りなのだろう、四番手の位置取りをずっとキープしている。その走っている様子からも頭の良い馬なんだろうな、と素人目にも感じられる。馬群は向こう正面の直線を抜けて、三コーナーから四コーナーに入って行った。ぼくのどくんどくんという鼓動はどんどん高まっていく。きっと、カズと茜も同じだろうなと思いながら、レインボウアローから目を離さずに、頼んだぞ、という祈りに似た願いを込めた。まだ、マキシマムターボは十馬身くらいのリードを守り先頭をひた走っている。シルヴァールーラーはマキシマムターボの逃げるペースに自分のペースを乱されてはおらずにレースをしているようで、じっくりと、勝利を射程圏内に入れたかのような戦略で一頭抜き去り、三番手に順位を上げた。さすが、と言っていいようなレースぶりだ。マキシマムターボが四コーナーを通り抜けて直線の入り口に入ろうかとする時には、二番手以下の集団すべての馬がペースアップしており、レインボウアローも例外ではなかった。レインボウアローはカーブを曲がりながら、二頭抜き、その前の馬と馬体を合わせながら、先団目がけてぐんぐんと位置取りを上げていっていた。馬たちの掻きあげる土の塊が宙を舞うのが見えた。
 そして、もっとも早く直線コースに入り、内ラチ、つまり内側の柵に沿って粘りを見せていたマキシマムターボを追って、二番手に上がったシルヴァールーラーは、まだ騎手が腰に鞭を放っていないにもかかわらず、もはや三馬身差ほどまで詰め寄せていた。前半に飛ばして逃げたために、もう余力の残っていないマキシマムターボは足取り鈍く、しかし、一瞬、天皇賞馬の意地を見せ、並びかけてきたシルヴァールーラーを抜かせまいと並んで走ったのだが、そこで鞭の入れられたシルヴァールーラーはもう一段階スピードを上げ、先頭の座を奪ったのだった。そのとき、もうこのレースはシルヴァールーラーに勝たれたかな、と大勢の人はそう決着を想い浮かべたかもしれない。後続から追いすがってくる馬たちの脚色は一様で、先頭との差は縮まる気配がない。いや、しかし一頭を除いて。
 シルヴァールーラーが勝利を確信するかのように先頭に立ってもスピードを緩めずにゴール板を目指していたそのとき、中団に並んで走っていた四頭の馬込み、その間に隙間が空いたのだった。そしてその後ろから青い帽子の騎手を乗せたレインボウアローが縫い出てきて、その四頭をぱっと抜き去り、その瞬間から放たれた七色の矢と化して、王者のオーラをまとった葦毛のイギリス馬を目がけ、飛んで行ったのだった。その七色の矢と化したレインボウアローの瞬発力はすさまじく、シルヴァールーラー以外の他の馬たちはまるで、走っているのではなく止まっているだけのただの障害物だとでも言うように、歴戦の強者であるはずの彼らを簡単に一頭二頭とどんどん抜き去っていくのだった。
 ゴールまであと百メートルのところで、先頭を行くシルヴァールーラーとレインボウアローの差は二馬身しかない。ぼくのどきどきは最高潮に達し、顔も熱を帯びていた。カズと茜のことも忘れ、レインボウアローの奇跡を見届けようと、心の底からヴィジョンにくぎ付けになった。シルヴァールーラーの外目を走るレインボウアローのほうが、脚さばきが良かった。一完歩、一完歩、獲物を捉えるため、一番でゴールを駆け抜けるために人馬一体となって差を縮めていく。だが、そこでシルヴァールーラーは、さらに激しくなった腰へのムチに応えて、驚いたことにもうひと伸びして見せた。そのため、その差、半馬身が縮まらない。このままゴールしてしまうのかと思ったそのとき、レインボウアローは、きっと己の限界を超えた意地かなにかで、それはサラブレッドの本能の力かもしれないが、
最後のひと伸びを見せ、なお王者に喰らいついたのだった。そして、その振り絞った力でシルヴァールーラーをついに、かわした。が、それはゴール板の前だったか後ろだったかが判然としないところでだった。勢いではレインボウアローがまさっている。ゴール後、両馬の騎手はたがいにガッツポーズを取ることなく、どっちが勝ったかわからないといった体で馬上から一言二言、言葉を交わしていたように見えた。ヴィジョンには、一着二着の欄に馬の番号の記載がなく、横に「写真」と表示された電光掲示板が映し出されている。
 レースが終わった直後、ぼくは言葉を失って呆然とし、ただすごいものを見たことはわかっていて、頭の中は真っ白に近いような状態だった。そんな興奮と驚きに支配された表情でカズと茜のほうに顔を向けると、カズも同じような顔をしながら、でも結んだ一文字の口に力が入っている。茜は目を潤ませていて、すごかった、という形に唇だけ動かした。写真判定によって勝敗が確定され発表されるまでにけっこうな時間がかかった。その間、馬券が当たるかどうか、その結果が相当に未来の道筋を左右するという、運命の渦中にいるぼくらにとっては、結果がでるまで一日千秋ならぬ、一秒千分のような待ち遠しさがまずあった。そこに、歓喜する気持ちと残念に思う気持ちのどちらへも瞬時に変化するようにできている、混然となったくるおしい感情のかたまりが、その発露をやはりいまかいまかと待ちながら飾り立てていた。ぼくの心の内では、わずかに、期待のほうがまさっていた。ゆえに、そうして、ある種の甘い苦しみのような状態にあったのだが、それも、次の瞬間に終わりを告げる。掲示板に五着まで入着した馬の番号が出たのだ。「オーッ」という人々の声が響く。レインボウアローの付けていた番号である八番という数字は、二着のところに点灯した。着差には「ハナ」と出た。勝ったのはシルヴァールーラーのほうだった。フロア内に満ちた大きなどよめきは、きっと安堵のためのものだったのだろう。
そのときにはぼくらはすでに、階段を降りはじめていて、建物内からでようとしていたところだった。ぼくらはお互いの顔を見なかったし、話すこともしなかった。ぼくの目には涙がにじんでいて、きっとカズや茜も同じだったろう。自らの感情、それは強い喪失感に似た種類のものだったが、そういった感情を必死で押しとどめ、逸らそうとし、あふれだしてくるのをどうにか処理するのに苦心したが、こぼれおちるのを止められないものが多かった。外に出るとゆっくりと小雪が落ちてきていた。
 こうして、ぼくらの計画は、終わった。

 計画は失敗に終わっても、容赦なくぼくらの生活は続いていく。あの計画の失敗によって、一時期、ぼくらはどんなにか気怠い日々を過ごしたものか。カズに至っては、ほぼ一日中、布団の中で過ごす日が何日か続いたようだ。希望ばかりを見ていたせいか、跳ね返ってきた現実によるショックは大きかったのだ。でも、街を囲む山は白くなり、クリスマスも近づいてきた頃のある夜、ぼくら三人は久しぶりに神社で待ち合わせをして集まり、それから、個人経営の小さな食堂に入って、ラーメンやそばを食べながら、あの日までの道のりを振り返ってみた。引きこもりがちだった日々から、まったくの別世界である《労働する世界》に足を踏み入れることになった、そのきっかけは、馬券計画だった。それまで縁のなかったお金というものを稼ぎだし、嫌だったり辛かったりしながらも、それらに負けたり打ち勝ったりして、そういうことが、生きているんだ、という種類の忘れかけていた実感をもたらしたような気がする。引きこもりがちだからこそ、日々を送っていても感情が揺らぐ経験も少ない。だからこそ、ジャパンカップでレインボウアローの走りに心を揺さぶられたのは、お金を失った大きな対価となったんじゃないか、とぼくらは話をした。そこまでの道のりだって、悪いことだってあったけれど、結果的に平板な人生よりずっと面白かったんじゃないか、と、そんな感想も、三人で共感を持って共有した。そんな中、
「でも、いまのところだけどさ、家にいるのがいちばん落ち着いていいな」
とカズは本音を漏らした。
「『オズの魔法使い』みたいだね。冒険が終わって、おうちがいちばんだわ、ってドロシーが言うの、知らないかな。わたしたちも、冒険してたんだよね」
と茜がやわらかい目もとの表情で問いかけるのを聞いて、
「そうだね、ずっと引きこもって暮しながら、うちがいちばんだ、っていうのとはわけが違うと思うな。そのセリフを言えるのは、冒険して感情を揺さぶられた者だからこその、安心を得た気持ちだよ、たぶん」
とぼくが引きとった。
 食堂を出ると、粒の大きな雪が顔にあたり、一面に降りそそいでいた。
「明日の朝は積もるかも」
と、茜が灰色のニットの帽子を深くかぶり直す。そうして、ぼくらは帰りしなに、『オーバーザレインボウ』を鼻唄で合唱したのだった。冷たい冬の夜の外気に、その唄声はよく通って響き、もしかすると降る雪を小さく振動させていたかもしれない。本格的に雪の季節になった。雪は虹を生まない。ぼくらはそんな虹なき世界を何カ月も過ごさなくてはならない。だけれど、虹というものの存在を忘れることはおそらくないだろうと思う。冬が終わり春になり、雪が溶け始めて、やがて雨が降る。そんな雨の後にいつかかかるであろう虹を、きっと三人で眺めよう、いや絶対に三人で眺めよう、別れ際、そうぼくらは約束した。

 あの日、三人が力を合わせて購入した三十四万円分のレインボウアローの単勝馬券は、ぼくが、責任を持って保管している。その馬券は透明なアクリルのフォトフレームの中央に堂々とはめられている。そしてそれは、ぼくらの歴史であり、経験であり、力を合わせた証拠である結晶のようなものだ。この先、きっと、ぼくら三人は当時を忘れそうになった頃にこの馬券を取り出して眺めたり触ってみたりなどし、あの時とあの時までの思い出を思い起こして、苦い気持ちを噛みしめたり、触発されて元気になったりすることだろうと思う。フォトフレームに収められたそれは、ある種の記念碑的な存在になったのだ。過去から現在、そして未来へ流れていく時間上にぽとりと落とされたマークが、記念碑である。それは、その当時の、とある瞬間である《あの時》に、いろいろなその当時の意味を付着させて凝固化したものだ。ぼくらが振り返って、その記念碑を眺め、そこから抽出される意味を思い出して再体験し、だから今、自分はこうなんだ、と自身の由来を知る。ぼくらの記念碑によって振り返ることができるその由来は、この世に生を受けた時点のものでもないし、たとえば小学校ではじめて賞状をもらった時点のものでもなく、いたって、より自然発生的に生成されたポイントからのものだ。だから、一見、あやふやで、頼りげのない生の記憶の部分を記録したポイントのように思われるかもしれないが、どうだろう、そうだとしたって、こんなにも生きていた瞬間を凝縮した記録ポイントを持てる人というのはこの世界にどれだけいるといえるだろうか。食堂で、三十四万円の対価は心を揺さぶられたことだとぼくらは結論付けるように話したけれど、それだけではないのがどうやら本当らしい。もっと、ぼくらが考えていたよりもずっと深い意味を持った、人が心に持つ種火に関係するものだと、うっすらとだけれど、今はそう思えている。
 あれからツイッターやメールで話すのだけれど、ぼくら三人が共同で、カフェなのか雑貨屋なのかまだわからないながらも、とにかく何かお店をやってみないか、というのが話題になる。特に茜の本気度が高いようだ。そして、今度はギャンブルの力を借りようとはせずに実現したい、という気構えだったりする。
 ほら、やっぱり記念碑は、いや、記念碑に宿っているものは、ぼくらの生き方に影響を与えているみたいだ。きっとこの先も、ずっとずっと、永久に、ぼくらが心の種火を使って虹をかけようとしたことは、消え去ることはなく、まるでお守りのように、力を与えてくれるものへとより昇華していくのだと思う。そして、いまはまだ、ぼくらは未熟だけれど、いつか、本当に虹をかけることができる日がくる、その時まで少しでも動きつづける、見つづける、考えつづける、そうでありたく思っている。

【終】
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