Fish On The Boat

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「モラハラ」と「マイルドヤンキー」の関係。

2021-01-25 11:05:15 | 考えの切れ端
モラルハラスメントって、家庭、学校、会社など社会のいたるところに根深く巣食っていて習慣みたいになっているものだと思うんですよ。まあ、大なり小なりはあるでしょう。で、モラハラへの防御や回避(それらは加害者に回るという戦術も含めてですが)としてマイルドヤンキーが登場したのでは。

マイルドヤンキーと言われるあり方は、ヤンキーのようにケンカばかりしたり、逸脱した髪形にしたり、授業をさぼったり、反社会的な行動をよくとったり、というようなハードなものではないですよね。ヤンキーのパッケージを「マイルド」に取り込んだあり方です。言葉遣いや態度にヤンキーのあり方を取りいれて生きている人たちが、いわばマイルドヤンキー。

そんなマイルドヤンキーの精神性をまとうことでモラハラの直撃から免れることができやすくなる。正面からのコミュニケーションではなくて、ちょっとねじけた角度からのコミュニケーションになるからです。多くの人は意識せずマイルドヤンキー化するので、そういったことにも気づいていません。

つまり、昨今増えた(というか、かなり前から増えましたが)、とくに地方では多くの人が成長過程でそうなっていく(自分の周囲も見てもそうだ)マイルドヤンキーは、モラハラを同化している社会の土壌が生んだものかもしれない。このあたりも各個意識していくことで、モラハラを異化できるものだと思います。異化できると対策を打てます。そうはいっても、異化するにしても排除的にはしないほうがいいですけども。

ぐっと考えてみるに、過去から連綿と続くモラハラ体質が代々受け継がれてきてしまったのではないかな。被害を受けた子が、大人になって加害にまわる。その繰り返しです。被害による精神的な傷がそうさせもするわけです。

また、親からの愛情がここに関係してきます。家族からモラハラばかりで愛情を感じられずに育ったならば(特に親からの愛情が精神形成に大事だといわれる)、相手をけなして相対的に自分を高めないと気が済まなくなる。なぜなら、そのままの自分だと自信を持つことができないから。「自分自身」を保てなくなります。

できるだけ、正面から人とコミュニケーションを取ることができること。そういった健康的な基盤がまずあること。それが社会的にも有用だし、豊かさを創っていくことになるのではないでしょうか。

ちょっと立ち止まってみる。振り返ってみる。そういうことが好い気付きや好い変化へのきっかけを見つけることはあるんですよね。
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