Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

『陽だまりのこちら、暗がりのとなり』 第一話

2024-03-08 05:15:00 | 自作小説20
 晴れ渡り、空気の澄んだすばらしい朝でも、今日一日つまづくことはない、と約束されたわけではない。
 坪野老人に呼び止められて、しまった、の心の声が顔に出てしまった。振り向く自分の右頬が軽く引き攣ったのだ。たぶんまた昔のことを尋ねられてしまう。
正直に話すとややこしくなる僕の暗部を、どうやら坪野さんはその憎たらしい嗅覚で探り当てているらしかった。きまって気安く、好奇心だけでずいずいと踏み込んでくるのが坪野さんだ。僕という藪に蛇はいない、とあっさり決めつけているかのように。
完全になめられているんだよなあと思いつつも、ただそうやって安牌扱いされているがための心理的な組みやすさはあった。まず、頼み事はされない。いわゆる味噌っかす扱いなのだ。
 でも、そうではあるのだけど、坪野さんを僕はやっぱり苦手としていた。年齢はたしか七十五を超えていて、町内でも顔が利き、よく意見の通る坪野さんだからこそなお、雑な応対はできないのだから。
「おはよう、喬(きょう)一(いち)君。どこか行くところかな」
 五月の暖かな南東の風が時折強く吹き抜けていきもする中、色黒で皺だらけの細い顔をいっそうくしゃくしゃにしながら、若干僕を見上げるようにする坪野さんだった。ファイターズの野球帽を被っている。手に入れたばかりなのかもしれない。まったく型崩れしていなくて、坪田さん自身とのコントラストがずいぶん不釣り合いに感じられた。
「ウォーキングです。最近、腹回りが気になっちゃって。ダイエットしてるんですよ」
 それではまた、と挙げた片手で断りを入れ、そこから歩き去ろうと足を踏み出しかけたところだったが、坪野さんの、まあ待て待て、の手振りで制してくる勢いのほうが断然勝った。
「仕事はどうだ。順調か」
 僕は来年四〇歳になるのだが、長く続いた仕事は無く、自立しきれないその末に札幌からUターンし、今は地元の田舎町のスーパーでパート勤務をしている。二年目になったばかりだった。
「もう慣れました。まあ気になるのは、仕事の中身というよりも、最近なんだか売り物の値段が頻繁に高くなっていくことですかね。物価ってこんなに突然、まるで遠慮なしに上がっていくものなのか、って驚くというか」
「まあな。物価高は世界的な流れだからしょうがないんだよな。だけど、賃金が上がるスピードが遅いよ。そのうちちゃんと物価高に見合うくらい上がっていくだろうが、その狭間なのが今だろうな」
 しゃべる坪野さんの腕組みをする姿につられたのか、いつの間にか僕も同じように腕組みをして向かい合っている。
「賃金、上がるんでしょうか」
「欧米各国の最低賃金なんて日本よりずっと高いみたいだよ。それらの国々じゃ、上がった賃金に合わせて物価が上がっていくのが当然だからさ。日本がそういう国々と貿易で付き合うのが避けられないのは、なんていうか、この世界の在りようとして揺るぎない仕組みなんだから、日本だけその流れに乗らないでいるとどんどん差が開いていって、ますます苦しくなっていくよ。グローバル経済って、運命共同体みたいなところがあるんじゃないのかな。足並みを合わせないと、とんでもなく転落する」
 あまりそのあたりの話に明るくないので、はあとか、ふうんとか、なんとなく適当な返事をしつつ聞いていた。でも、坪野さんの話はどことなく説得力のあるものだった。日本だけ賃金を上げずにやっていくとしたら、江戸時代みたいに国を閉鎖して、自給自足するほかないのではないだろうか。それはそれで行き詰まりそうだけれど。
 このまま、帰郷したての頃そうだったみたいに、僕の個人的な領域に話が向くことなく終わればいい。深入りするより先に話を切り上げたい、と心の隅で考えていると、「ところで」と坪野さんは容赦なく、僕の触れられたくない領域の門をこつこつとノックし出したのだった。
「喬一君は札幌でどんな仕事をしてたんだっけ。アルバイトが多かったって前に言ってたが。正規の仕事もしてたんだろ」
 腹の底がかあっと熱くなった。
「ええまあ。でもすぐ辞めましたよ。残業だらけで低賃金のブラックな会社だったので」
 坪野さんは、この道路沿いに建つ一軒家の前庭に植えられている満開のムスカリや水仙なんかよりも、僕のプライベートな話こそがなにより趣深い花々であるとするかのように、僕の顔をしっかと見入る少し濡れた両目を燦然と輝かせていた。そんな張り付いてくるような目つきのまま、「そうかあ、ブラックかあ」と気の抜けた声でぽつりと言った。世界経済にはそれなりに詳しいようだけれど、ブラックな職場についての知識はあまり無いのかもしれないと思えてしまう態度だった。
「じゃあ、仕送りしてもらっていたのか」
「そうです。親から援助してもらってました」
「そうか。粕谷さん夫婦も大変だったな。そうだろ」
「そうですね。迷惑をかけたというか。そのお返しではないですけど、今じゃ家の手伝いもしてますから」
 坪野さんは小さく何度も頷くと、やっと道沿いのムスカリと水仙に気が向いたようで、丸く口を開け後ろに手を組んだ姿勢で、そちらのほうへと小さな体躯を丸めて二三歩近づいていった。
「青紫が深くていいですね」僕がムスカリを褒めると、坪野さんは、うん、と短く応えてさらに前庭へ近寄っていくので、「それじゃ、ウォーキングしてきます」とその隙に無理なく立ち去ることができた。腹の底の熱はまだ引いていなかった。
 一番聞かれたくないのが、仕事に就いていなかった時期には何をしていたのか、だ。曖昧にならば答えられはするものの、この質問をされると、ずっしりと内臓が骨にめり込んでいくみたいな気がして気持ちが悪くなる。そして、どうしても口にしたくないために無理やり省き飲み込んだ事実たちが、駄々をこねる子どものように、体内をじたばたと転げまわるのだ。

 自慢の種のように誇って他人に匂わせていた時期もあるのだから、実に恥ずかしい話なのだけれど、白状すると、深い闇というものの味を、僕は知っている。それがどんな味なのかを正直に告白したならば、それを聞いてくれる人がうっすら顔に浮かべるだろう好奇心のための微笑み、あるいは寄り添おうとしてくれる柔らかな表情の、ぬくもりある色をさあっと失くさせるに違いない。
 当時の、闇慣れした僕にとって、闇はほんとうに滋養のあるたまらない味わいだった。じゃなければ、次から次へとがつがつ貪り食うことはなかっただろう。隠さずに言うならば、そうなる。
 滋養ある旨みと共に、闇が纏う瘴気の、ぴりぴりと知性を切りつけてくる味わいもやはり知っている。肉体面の老化を促すという活性酸素よりも、おそらくずっと強い作用で存在自体を蝕んでくるのではないかという瘴気だ。
 存在自体を蝕むその瘴気とセットになった闇を食らう行為を、若い時分の僕は止められなかった。
 探せばまあ見つかるといったように、闇と括るべき物事が当時のネット世界には多く遍在していた。ネット世界を覆っている日常会話の範囲に収まる程度の薄い皮を一枚めくった、個々人の息遣いが匂い漂うような様々な場所に、ぽつんぽつんと存在していたのだ。
 思春期に特有であるたまの精神的不安定さを導火線として、放埓になった気分の赴くまま、夜な夜な、やっとのことで親に買い与えてもらえたパソコンをいじって気持ちを発火させていると、電脳世界に無造作に、そしてぬくぬくと植生する無数の闇の触手が友好的に僕の肩をたたき、それ自身の在りようや成り立ちについて、気前の良過ぎるほどやさしく教えてくれる。僕はこれを十六歳で知った。
 初めて知った闇たちは、僕を強く惹きつけた。初めて目にするこの世界の真実、とそのときの僕は闇をそう位置付けた。しかし、ほどなく僕はそれらに違和を見て取るようになる。ちょっとした事実に尾ひれがついたもの、そもそもが脅しのもの、なんでもない出来事が改変されたもの、フィクションを剽窃したらしいもの、伝言ゲームの果てのようなものなど、ディスプレイに映された闇は、いや、初めは闇だと判別していたのだけれどどうやら違ったものたち、つまり闇に擬態していたものたちは趣向に富んでいた。
 僕はそれらに「ちょっと待てよ」とひっかかってくる違和を感じとることができたのだった。水面下で操作されたそれらの卓越した心理的計算の痕跡に感づいたのだ。とてもよくできた、でもとても悪い冗談であるエンターテイメント性を、そこから感じ取らないわけにはいかなかった。眼識の芽生え、それが十七歳。
 されど、これは尾ひれをつけたものだろう、とあたりを付けたところを取っ払って読んでみると、そこから明示されていないグロテスクなほんとうの闇が、もしかすればの話だけれど、という仮定の域から出ることはないにしても、僕との望まない苛烈な接触を起こしてしまうことがあった。まるで、ふだんはどこかに隠れている、かなり苦手としている蜘蛛が、部屋の床を走り過ぎていくのを見つけてしまった時のように。唐突な会敵のようにだ。たとえば、人の形をして南極の海中を彷徨うように泳ぐ巨大な生命体の存在が全世界的に秘匿されているのだ、というリーク的な書き込みのスレッドを読んだことがあったのだけれど、実際の水死体をモチーフに広げられた病んだ空想物語だったのではないか、と推察した時がそうだった。一瞬のうちに身体をこわばらせてしまうくらいの気付きだった。そうして、僕は十八歳で胃薬を飲み始めた。
 だからといって、闇から手を引くことはしなかった。闇を食らう、すなわち闇を知る行為を続けることこそが、この世界を知る努力というもので、そうすると、自ら望んで努力しているのだから僕はおそらくストイックな性格なのだろうと信じていたふしすらある。そのようにまるっきりズレた感覚のまま、もっといくらでも、と闇を欲した。闇は脳内のドーパミンと協働し、僕を囲いこんでいったのだ。
 光りあっての闇、と言われる。言うまでもなく物理的にはそうだし、心理表現や文学表現として用いても暗示的な言葉だ。
 たとえば、僕の日常だったこの田舎の高校生活は、男子たちと女子たちとの間での自然な惹かれ合い、いわゆるお互いの戯れたさが、他愛のない善良性、といっていいようなものの上に行われていた。そこには青春らしい一直線に突っ走る不器用で凄まじいエネルギーがあり、単純明快な乾いた会話があり、一晩経てばほとんどがリセットされる屈託の無さがあった。なんというか、そういったすべては光に分類できる物事だったと思う。
 もちろん僕以外の人間、つまりクラスメートたちにも闇はあった。けれども、僕にとってみると彼らの闇は、牧歌的な範囲で済んでいる、取るに足らない程度のものだった。
 悪意のメモ紙を靴箱に仕込むなんていうちょっとした意地悪をしたり、知りもしない都会の事情をでっちあげてまで知ったかぶりをし虚栄心と優越感を満たしたり、中年男性だった担任のいないところで彼の容姿をこき下ろして強がったり。僕の周囲の彼ら彼女らは、なんていうか、闇の部分が稚拙だった。僕はそんな様子を、鼻で笑って眺めていた。無知ゆえだ、と大げさに嘆息までし、自分の闇の深さに満足した。僕の知る闇の豊潤さを知らしめてやりたかったが、高校生の僕はそれらを僕だけのものとして、たまにうっすらと匂わせる程度にとどめた。ネット世界に身を寄せる長い時間が、僕の精神性をそのような闇が深い形質へと育んでいったのだ。
 豊潤な闇を僕はむしゃむしゃと涎まみれに貪り食い続け、世界の成り立ちも真実も誰よりも知っている、と心の裡でだけ豪語し誤解する阿呆な大学生になった。なるべくしてなる者となったのだ。自分は周囲より精神年齢がずいぶん高い存在だと疑わなかったし、同年代の無邪気な言動やふるまいを耳や目にしたときなどは、それらを優越感の着火剤にした。眉を軽くしかめてみせる上っ面の顔つきの裏で、心は躍り上がっていたのだった。
 欺瞞、裏切り、嫉妬、差別、詐欺、盗み、いじめなどの成功例で満ち、自殺や、証拠を残さない他殺の方法までわかりやすく解説されているパソコン画面越しの闇が、夜の深い時分、持ち上げたチューハイの缶に今まで感じたことのないような悦びの震えを伝えた。生きていくには、闇を知らなければいけない。
また、闇は自らを教科書として、僕に処世術を仕込んだ。愚鈍な人間は操らねばならないし、利益にしなければいけない。その上でスマートに振る舞い、大きな波風は立てず、小さな波風は上手に押しとどめる。そんなやり方が正しいと確信していたのに、胃薬を止めることはできなかった。
 札幌で一人暮らしをする大学生になり、初めてバイトをすることになったコンビニで、僕は同僚の大人しそうな男子高校生の外見をいじったり言動をなじったりし始めることになる。ついにネット空間だけでは物足りなくなったのだ。実体験を積んでみることへの渇望があった。
 高校生へのいじり方は、最初はソフトにだった。
「このおにぎり、期限切れ。ちゃんと見ろっていったじゃないか。どこ見てんだ。ぼーっとすんなって。小学生以下か、おまえ」
 些細なミスをしたら大げさに怒った。
「なんでそんな二の腕のところに油染みなんてつけてんのよ。汚えな、相変わらず。ばっちいわ」
 品出しの途中、制服に小さな汚れを見つけたら、不潔の烙印を押してやった。そうやって、なじられることに慣らしていく。それから、徐々に圧力を増していく。いつの間にか、かなりの罵詈雑言を浴びせられても、大人しい高校生は耐えてしまうようになる。逃げればいいのに。かかってくるといいのに。でも、高校生はそうしない。さらには、巧く周りのバイト仲間をも巻き込んでいく。あいつの髪形おかしくないか、なんてことをこそこそやる。しまいに、大人しい高校生は四面楚歌の状態で、何の変哲の無い普段の情況から、その表情を苦痛のためにひどく歪めるようになるのだった。それが、格別なまでの、闇の滋養ある旨みの生まれた瞬間だった。
 これを知ってしまえば、ネット空間でしか知らなかった闇なんて、レトルト食品のようなものだった。こうしてリアルな手応えをもって闇を味わうのは、まるで肉汁したたる高級ステーキ肉に齧りつくようなもので、レトルト食品なんかでは味わえない極上の快感と満足感を孕んでいた。僕は次第に胃薬の必要を無くし、高校生がバイトを辞めると、自分もまたそのコンビニを去った。
 三十九歳の現在になって思うのは、実際にいじめをしてしまう前、もっと早い段階でこんな日常から転げ落ちていたら良かったのに、ということだ。闇へ見切りをつけるのが遅すぎて、色の失せた、腐ってひしゃげた世界観を無理矢理に維持し続け、本来はカラフルなはずの世の中をずいぶん長い間、つまらないモノクロの歪んだ世界として眺めることになった。
 今は悔んだりするし、過去に戻れるものならばやり直してみたくなったりする。とはいっても、長い時が過ぎ、気持ちが大きく変化したからといって、僕自身がきれいさっぱりリセットされたということはない。なにせ、過去は修正できないのだから。時の柱に刻まれてしまったことなのだし、そういった過去を起因として出来上がった結果が、動かしようのない現在なのだから。落ちない汚れをつけたまま、徒労感を覚えながら、それでも悔んだり、償いを考えたりすることを止められない。全力で光の世界の端っこにしがみつこうとするためには、そうする他ないのだ。

 ムスカリの花の色の青紫は痣の色に近い。だなんていう方向へと真っ先に考えが流れ込んでいくのが、繰り返し闇を味わった者の後遺症だ。こういう癖のようなものは、おそらく一生ついて回るのだろう。
 そんな腐った雑念が湧いてくるのを打ち捨てるように、速足でウォーキングを続けた。一度、頭の中を空っぽにしたい。
 住宅地を抜けた。この町を南北に貫く、全体として胡瓜のように細長く弧を描く幹線道路沿いの歩道に出る。ときおり顔に受ける五月の風は乾いて柔らかく、本来は爽やかで心地よいものに違いなかったのだけれど、濃緑色のウインドブレーカーに包まれた白のTシャツが汗で肌にひっつき始めて不快だった。スマホで時間を確認する。自宅を出てからまだ三十分しか経っていない。ウォーキングをするときは、たっぷり一時間以上は歩く決まりにしていた。
 午前九時半を回った今でも、往来する車の数はいつもどおりの少なさ。過疎の度合いはどんどん増している。僕が子供の時分は、幹線道路である国道沿いに酒屋や洋服店、ラーメン屋に小さなファンシーショップまで、個人商店がきちんと商売を営むことができていた。それがシャッター通りとなり、少しずつ建物も壊されていき、ほとんど何も残ることがなかった。道路補修工事のときには若干拡幅され、整った歩道が寂しくつくられた。そこを今、歩いている。
道端に伸び始めたばかりのまだ丈の短い草むらにも、白や黄の水仙が無数に花弁を持ち上げていた。とくに見るでもなく眺めながら進んでいき、やがて工業団地のほうへ伸びる道へと交差点を左に折れた。
 道端の草むらに黒い塊があるのが目にとまる。このウォーキングコースはいつも通る道なのだけれど、今まで気付きもしなかったのに今朝は目を引く、ある物体があったのだ。体を屈めてその塊に顔を近づけると、それが石炭の塊であることが分かった。大きさはゴルフボールぐらいで、光沢がある。旧産炭地の町であっても、この時代に石炭が落ちているなんて珍しい。僕はその石炭を拾い上げ、ウインドブレーカーのポケットにしまった。
 それからいつもながらの速足で、ぽつぽつとまばらに並び立つ工場群に挟まれた道の歩道を往く。すると、後ろから追い越していった黒の軽自動車が、すぐ前方でハザードランプを焚いて脇に停車した。あの車は、間柴瑤子(ようこ)のものだ。彼女とは中学と高校がいっしょで、高校二年と三年のとき、クラスメートだった。歩く速度を緩めて、ちょうど開きだした助手席側の窓に近づく。「おはよ」と運転席から少しこちらへ身を乗り出す瑤子だった。
「仕事かい?」
 実家の板金屋で事務仕事をしている瑤子だから、今はたぶん外勤中なのだろう。
「うん、そうそう。銀行へ行くところ。喬一はウォーキング中だね。今日はこっちの道にいるような気がしたのよね。休みなんだ?」
 影になった車内でも、瑤子のさっぱりと短い髪は明るかった。耳には銀色の、メビウスの輪のようにねじれたピアスをしている。 
「そう、たいてい月曜日は休みのシフトだね。歩かないとほら、運動不足になるし、腹も出てくるし」
「運動不足か。耳が痛いわ。私ら、もうアラフォーだものね。私もなにか考えないとだけど。それにしても、平日に休めるのってうらやましいな」
 瑤子は目元に皺を作って微笑んでいる。
「こっちは土日に休みたいことだってあるよ」
「それって、競馬?」
「競馬もあるけれど」
 立ち止まったために額に滲み出した汗が、眉の上に落ちてくるのを指で拭った。ぬめぬめする汗だった。
「ねえ、喬一。あのさ。喬一ってもしかしてあれでしょ、なんていったっけ。ああ、あれあれ。ピーターパン・シンドローム」
 目元に皺を作った瑤子の両目からこちらへ投げかけられた光が無遠慮なものだった。僕の整理しきれていない闇へ容赦なく射し込まれていく。光の痛みに掻き乱され、視界が一瞬ぶれ、言葉を失くした。そんな僕の取り乱した様子から目を逸らして、瑤子は声のトーンを落として続ける。
「違う? だって、喬一って職歴あんまりないじゃん。それって、そういうことなんじゃないの」
 なんて短絡的かつ無配慮な言い分だろう! 降ってわいた屈辱に耐え、沸きあがる怒りをやっとのことで抑え、ひねくりだすようにして言った。
「そりゃ、たしかにあんまり働いてこなかったけどさ、ピーターパン・シンドロームだなんて、それは勝手な決めつけだわ。そんなんじゃない」
 でも、瑤子は唇を尖らせて、引き下がらなかった。
「じゃあ、なんでずっと働かないできたの? 理由は何よ」
 五月の蝦夷(えぞ)春(はる)蝉(ぜみ)たちの、自らの生を切実に訴えかけるような合唱が、僕らの背景音として途切れることなく響き渡っていて、そのけたたましさと僕のこの揺さぶられた気持ちとの波長が、急激に同調しつつあった。
 人間不信だった。自己との対話の時期だった。その対話なくして、今の自分への変節、つまりは闇の場からの脱却、それはなかったのだ。だけれど、そんなことをここで瑤子にどのように説明しろというのだ。
「難しいんだ、説明するのが。働いてなかったなりにいろいろあったんだよ。特別に考えたいこと、特別に勉強したいことがあったってことだよ。ずっと大人になれなかったわけじゃない」
 口ではそう言いはした。もちろん、ピーターパン・シンドロームだなんて、僕は否定する。しかし、理不尽にラベルを貼られたことに対する怒りとは別に、胸の裡で揺れているものもあった。
「特別に勉強したいことかあ。いや、いいんだけど、別にね、喬一の生き方は喬一の生き方なんだし。わたしがどうこう言うものでもないから」
 だったら不躾なことを言うなよ、と心の裡で呟いて、歯噛みした。おそらく瑤子は、自分の率直さが、どれだけ相手に対して効果を生んでいるのかの見積りが出来ていない、あるいは最初からそんな計算をする気を持っていない。
 この数分でなんだか僕はずいぶん消耗してしまった。感情の高ぶりや乱れを抑えこみながら、一心に平静を装ってはいたが、抑えきれず少しずつ外へ漏れ出していたものがあったと思う。さすがの瑤子も僕の様子から、潮時だ、と感じ取ったらしい。
「ごめんごめん。ウォーキングしてたんだったね。今度さ、六月に入ったらうちの家の畑で苺がとれるから、持ってくわ」
「うん。ありがとう。楽しみだよ」
 自分の声に張りがなかった。瑤子は車を発進させた。
 遠くの電線に止まった小鳥たちが鳴き合っている。小刻みに上げ下げする複雑なメロディをその小さな喉で奏であっていた。それは鋭い音色でもあった。どちらがより複雑に鳴くことができるか、競いあっているかのようだ。
 せいぜいやってろよ、と思う。もう僕は誰とも張り合いたくない。

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