Fish On The Boat

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『ナイフ投げ師』

2019-09-10 20:54:41 | 読書。
読書。
『ナイフ投げ師』 スティーブン・ミルハウザー 柴田元幸 訳
を読んだ。

ミルハウザーとしては第三作目の短編集ということです。

想像力で生まれたものを、哲学してふくらませているように見えてきます。
そういう作風だな、と僕は感じました。
さらに、描写が緻密だし、
「そこまで奥深く見ていて、かつ、それを言葉にしたか!」と
ちょっと舌を巻いてしまうくらい(というか、呆れるにも近いのだけれど)、
作家は静かに見通したり感じたりしている。
つまりは、たぶんかなり多くの時間をかけて、
自らの言語能力と言語未満での感性を磨き、育んできたのだと思う。
その結果、生まれ出たのがこの短篇集の作品たちだ。

でも、
いや、まてよ、と思う。
文章を読んだ感覚では、想像してから哲学してインフレーションを生じさせて
豊かな物語世界を作り上げたように思えたものが、
もしかすると、
哲学してから想像力で膨らませたのかもしれない、とも思えてくる。
執筆を「物語を設計する」としたときには、
この後者の順序の方がしっくりくるような気がします。
でも、本当のところはわからない。

作品によっては、自身の執筆についてだとか、
小説家としての自分自身について、
物語の形を借りて自己言及しているのが、
彼のそれらの作品の核心部分なのではないかと思えるところもあります。
今作品に登場する、自動人形作家しかり、遊園地の支配人しかりです。
そうであれば、登場人物たちのような、ある意味での袋小路に彼もはまりかねないし、
自らの物語で語ったことが今後の彼の作風まで照らしてしまい、
さらに目新しさや驚愕をもはぎとってしまい、
新たな作品を書いたとしても、それまで彼を追ってきた読者は、
残念ながら再読するような気持ちで初見の作品を読む、
みたいな気分にさせられるかもしれない。

しかし、どうなのだろう、彼ら登場人物たちの「果てまで追求したワザと思考」には、
究極とともに、奥深い闇をたたえた陥穽が横たわっていることを、
ミルハウザーは物語を作るために深く考えたことで心得ているから、
その究極の淵の部分を慎重に歩くように執筆しているのではないだろうか、とも思えてくる。
だから、物語の登場人物のように、究極に飛び込むことはしていないし、
これからもしないのではないか。
まあ、わからないですが。

というところですが、
なかなか興味深く、
その、現実味をもたせながら想像世界へ飛翔する技法をもう少し見てみたいので、
またいつか、ミルハウザーの作品に触れることになりそうです。
しっかり読んだなあ、という重みというか質感を感じた読書でした。


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