Fish On The Boat

書評中心のブログです。記事、それはまるで、釣り上げた魚たち ------Fish On The Boat。

カンペキさのほうを向いた理想。

2016-06-12 21:54:11 | 考えの切れ端
「自分はたいした人間じゃない」
と謙遜でもなくつぶやく場合って、
誰にたいして言っているかって、
それは若いころの自分に向かって言っているのかもしれない。
理想や目標がカンペキのほうを向いていて、
それは達成できるものと信じて疑わなかったあの頃の自分。

人間、そういうもんだと思うんですよ。
それで、逆に、年をとってから自分は大したものなんだ、
と言えてしまうひとは怪しいのかなと思ったり。
若いころ考えるカンペキさみたいなものって、
実は欠陥だらけだとも思うのですよ。

欠陥だらけのカンペキさは、
達成できないほうがより素直な生き方だと思うわけです。
そのカンペキな理想を、
その理想の隠しもつ欠陥さえ補って達成しえなかったことに対して
「自分はたいしたことがない」と思うことっていうのは、
そういう負い目を持ちながら生きることによって、
そのひとの形成していく円熟味に繋がるのではないか。

自分はたいしたものだと言えてしまうひとは、
たぶんにカンペキさのもつ欠陥に気付けていない。
もしくは見て見ぬふりするようなタイプか、
内省のできないタイプのようにも思えます。
きっと脳の構造だとか社会の構造だとかの兼ね合いから、
欠陥のないカンペキさって絵にかいた餅なんだろうなあ。

若いひとが年輩の人の
「自分は大したことがない」というぼやきに対して、
情けないなと嘲笑したり冷笑したりすることってあると思うのです。
でも、前述のように、
若いひとのもつカンペキさ、つまり理想ってものは、
人間にとっては無理の生じる種類のものなんだと思うよ、
っていうことを言っておきたかったのです。
一番いいのは、理想に燃えながらも寛容さというか、
わかってあげられる気持ちを持つことなのかもしれないです。
難しいけれど。
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