1月に現れた迷い猫。
無事帰宅。
去勢手術か、頑張れよ、と励ます長男。
お互い大変だったよね、と寄り添う2匹。
そして土曜日。
トラッチ、長生きしようね。
雄猫とらと雌猫オセロ。
それから家に居付くようになり、とらはトラッチと呼ばれオセロはオセリンと呼ばれるように。
3月くらいかな。オセリンのお腹がふっくらしていることに気づく。
まだ仔猫だと思っていて避妊手術、去勢手術を5月くらいに設定していた自分達。
猫は6ヶ月目から妊娠可能になります。
どんどん膨らんでいくお腹を見ながら外の気温が低いことが気になり、ダメ元で段ボールの寝床を設置してみる。
先住猫チョコラも若い時4匹産み、赤ちゃん猫が歩き出すくらいまで庭の茂みに隠れていたので、オセリンもきっとしばらく姿を表さないんだろうな、と思ったものの、なんとなく気になり寒かったら段ボールであったまれるかな、と。
4月17日。この春一番の寒さと言われた日。
ユイがオセリンの異変に気づく。
テラスが血だらけ、と。
出産しては歩き続ける、そして赤ちゃん二匹は死産。
夕方18:00ごろ、キッチンにいた私が甲高い猫の声を聞く。
1匹、産まれた!
オレンジの木の下でオセリンの身体に寄り添った赤ちゃん猫を発見。
ここから通常は母猫がおっぱいをやり、赤ちゃんを守っていくので人間は静観するべき、なので、見守りましょうとその場を離れる。
それから2時間後、段ボールで丸くなるオセリンを見つけ、やっぱり防寒に寝床を作っておいてよかった…と思ったら
赤ちゃんがいない。
慌てて庭を探すと、か細い声で泣く赤ちゃん猫をユイが発見。まさかの育児放棄。
ナダールが冷え切った身体の赤ちゃんを手でくるみ、とりあえず家の中へ。
さて、何したらいいのか…
小さな箱にホッカイロを包んでその日はハラハラしながらすごし、翌日友達のアドバイスで動物病院の救急へ赤ちゃん猫を連れて行く。
とにかく体温温存。あとは授乳。2時間おき。
湯たんぽを作り寝床を作りその日から授乳を始めました。
ちゃんと猫用の哺乳瓶とミルクがあるんです。
友達の獣医さんには、生存率はかなり低いけど、できないことはないよ、と言われたので、あえて名前はつけない。でも家族全員でローテーションで授乳、夜は私が担当。まさかの12年ぶりの夜間授乳。
当たり前ですが翌日仕事の私、眠い眠い。
月曜日のお昼過ぎ、具合悪そうなオセリンを発見。ナダールが大急ぎで村の動物病院に連れて行くと、緊急手術か見放すか、そのくらい状態が悪いと言われます。
即答で手術。
子宮摘出、産後膿が発生し、かなり長い手術でしたが
無事帰宅。
朝晩抗生物質を飲まなくてはいけなくて、ナダールがそれを担当しました。餌に混ぜても食べてくれないのでナダールがオセリンの口を開け飲ませる。神業。
水曜日、夜12:00の授乳時。
それまで順調にミルクを飲んでいた赤ちゃんが口を開けない。
嫌な予感がしたので添い寝。1時間ごとに様子を見ていたのですが明け方5時、痙攣が始まり、私の手の中で息を引き取りました。
五日間の命。
目が開くまで名前はつけない、と言っていたものの、ルート、という名前に決定していた赤ちゃんでした。
やるだけやったよね、と沈む家族と励まし合い、今いる2匹を大事にね、前向きに。
術後経過もよく、またトラッチと遊びだしたオセリン。食欲も良好。抗生物質を持ってくるナダールとのやりとりも笑えて平和な日々。
子宮摘出しているので、トラッチの去勢手術を急がないと雌猫を探しに姿を消すよ、とまた猫好きな友人にアドバイスされ、動物病院に連絡。同じことを言われたので金曜日にトラッチの去勢手術の予約をとりました。
去勢手術か、頑張れよ、と励ます長男。
金曜日のお昼には家に戻ってきたトラッチ。
お互い大変だったよね、と寄り添う2匹。
そして土曜日。
朝ごはんを食べ終わり寛ぐ2匹。
これがオセリンの姿を見た最後になります。
お昼もトラッチしか姿がなく、でも外猫あるある現象だ、と心配することもなかったのですが。
17:00、ユイの悲鳴が聞こえます。ちょうどいずみさんがお茶をしに遊びに来ていた時。
オセリンが倒れてる。
ゴムの木の下の茂みに息絶えたオセリンを見つけ、ナダールがユイは見てはいけない、というのでパニックになっているユイを家の中へ。
その場で木の下に埋葬。
何が起きたのか全く分からない。
そのあと号泣するユイ。どうして2匹も逝っちゃうの。
答えはないんだよ、ユイちゃん。
1週間内でこの事態はキツい。
相方を失ったトラッチもかなり寂しそう。
悲しい経験をした兄妹。
生き物に生死はつきものです。頭で分かっていてもなかなか割り切れないものがあります。
トラッチ、長生きしようね。