島便り

スペインはマヨルカ。2004年9月生まれの息子、2009年6月生まれの娘と、島出身のだんなとの4人家族の日々。

うちのヤンママ

2009年05月30日 | 日常
ヤンママっていう言葉、今でもある?

出産1日後は、子猫から離れなかったけれど、おっぱいをやる以外、たいした仕事のないことが分かった我が家のチョコラ。またまた甘えん坊に戻りました。若い母ちゃんだし退屈なのかもしれません。が、ちゃんと子育てはしている模様。

子猫はまだ目が開いていなく、おっぱいを飲む以外はずっと寝ている気配(なにせ茂みの奥にいるのであまりよく見えない)だけれど、今日のぞいたら、一匹頑張って立とうとしている子がいました。目があくのはそろそろなのかしら。
こんなにスリムな体系に戻ったチョコラですが、どうやら4匹産んだみたい。

若いっていいなぁ・・・・
しみじみそう思います。

サッカーの後は救急?

2009年05月29日 | 日常
またもや、サッカーにやられた一日・・・・というのは。

水曜日の朝、朝食を食べる息子が「おなかが痛い・・・」といったことから事は始まりました。
おなかでも冷やしたか?と思ったのだが、とりあえずシリアルを一皿平らげ、元気に登園していったのを見送り、その日はいずみさんが安静最終日の私を訪ねに来てくれることになっていたので、のんびり家で待っていると、だんなから電話。

「今、幼稚園から電話があって、教室で2回吐いたらしく、保健室にいるみたいだから、これから病院へ連れて行く。おなかのウイルスらしい」

家を出ていたいずみさんには連絡はせず、まあ、たいしたことないだろう、と家で待っていると、どこが病気なの?っていうくらい元気な息子がだんなと帰宅。
ただ救急病院で、おなかのウイルスなので、乳製品はあたえず、水分を多くとらせるように、と指示があった、とのことで、たいして心配はしなかった。
いずみさん持参のおいしーーーい蜂蜜とレモンのシフォンケーキをだんなといただき、ことはすんなりいくかと思いきや。

夕方6時過ぎから連続の嘔吐。嘔吐。嘔吐。
嘔吐した直後はさすがにぐったりしているのだけれど、30分もたてば「ママ、お腹すいた・・」と食べ物を要求。
スープくらいなら飲めるかな、と思って、あげてみても駄目。おかゆも駄目。すべてが駄目。
もう多少おなかすいてもいいから、アクアリウス(ポカリスエットみたいなスポーツドリンク)だけ飲んで横になってなよ、といっていたら、そのうち吐き疲れたのか、ソファで寝だした。

ま、ちゃんとこれで夜寝られたら、明日は少しなにか食べられるかな、と思い、これまた、たいした心配もせず、その日非常にスペインが盛り上がっていたチャンピオンリーグ(サッカー)をテレビで観戦することに。

またもや、バルサですよ。バルサ対マンチェスターの最終戦。
そういやぁ、2週間前、バルサの試合を見たあと、救急へ行ったんだよね~なんて話しながら。

試合はバルサが勝ち、近所でバンバン上がる花火の音を聞きながら寝仕度をしようと立ち上がったそのとき。

息子の悲鳴が。

「ママーーーーー耳が、耳が、耳がいたーーーーーい!」

嘔吐は心配しなかったけれど、耳が痛い=中耳炎の疑い、なので、これは放っておくとえらことになるから、またもや救急。
でも私は付き添えないので、だんなが車で救急へ駆けつけた。
深夜の小児科の救急には、南アメリカからごそっと来た小児科医(この国でも、小児科の仕事はきつく、とくに救急の先生は外国人が多いです)が勤務しているのだが、どうやらこの日当たったウルグアイ出身の先生は、だんなの目から見て「あやしい」先生だったらしい。
別に南アメリカの先生は質が悪い、ということはないです。でも、たとえば労働許可のために日本人の小児科の先生に求める書類と南米出身の小児科医に求める書類の数には雲泥の差があり、南米の方はほとんどなんの手続きもなしくらいの勢いで仕事に就くことができる・・・と聞いたことがあるんですが、これは本当でしょうか????

ま、それはいいとして、ウルグアイ先生は、息子が耳がいたーーい、と訴えているその場で、たいした診断もせず、「あ、これは中耳炎だね」といったらしい。
「ずっと吐いているんですが」というだんなの訴えにも「ウイルスだね。抗生物質だね」と即効の診断。
診断表に書かれた薬の数、といったら、なんと6種類。
なるべく抗生物質は飲ませないで・・というのが、息子のかかりつけのお医者さんのアドバイスだし私たちもその通りだと思うので、電話でだんなから「多すぎないか?」といわれたときも、耳の薬だけ買って、あとは様子を見よう、という結論になった。

ときはすでに1時過ぎ。
24時間営業の薬局(スペインでは、病院で薬を処方してくれるわけではなく、医師が書いた処方箋を持って薬局へ薬を買いに行きます)がどこにあるのかを把握していないだんな(私もあまり知らない)が、耳の薬を買って帰ってきたのが2時過ぎ。

次の日は私の検査日。
絶対安静から解放されるか否か、という検査だったけれど、そのことよりも、息子の耳が気になる!
とりあえず私の検査をしてもらい、同じ病院なので、息子の担当医に診てもらうことにしたのだが、アポなしで行っているため、待つこと1時間。
なんだか元気そうに見えるのは気のせいなのか????というくらい、機嫌のよい息子。

担当医の丁寧な診断のあと、「中耳炎じゃない。少しだけ耳の奥が詰まってるから、○○という液を2滴くらいたらしてあげるだけでOK.心配することなし。抗生物質???冗談じゃない。今から食事療法いうから実行するように」と、薬なしで帰された。
この差はいったいなんなのだーーーー!
まじめに6種類薬を飲ませてたら・・と思うとぞっとしますね。

とりあえず、10分置きにフルーツジュースを大匙1杯、これを2時間続けて、吐かなかったら、パンになにもつけず食べてみる。
24時間、食事時にはこれのみ。
24時間吐かずに済んだら、次の段階へ。ハム(ボイルされたハム)やリンゴなど固形物を与えてみる。
48時間吐かずにいったら、乳製品はのぞいて普通食に戻す。

ただいま、27時間経過しておりまして、ハムだけ入ったサンドイッチを食べたところだけれど、異常なし。非常に元気な息子です。
すべてが食べられるようになるまで自宅安静なので、家にはいるけれど、写真のように外で絵を描いたり、今日はスペイン人の友人が家庭訪問してくれたのだけれど、前夜救急へ行った話を披露したり(得意になる話ではないのだが・・・)通常通り、いや、もしかしてパワーアップかも。夜にはうどんをリクエストされたし、食欲はすでに戻っているらしい。ほっ。


バルサの試合がある日はご用心、です。


ところで、私ですが、絶対安静から無事解放されました!
できれば、あと10日くらい赤ちゃんがおなかの中にいたほうがいいらしい(なんせ、予定日は6月26日だし)けれど、ま、今産まれても子供に影響はないといわれ、一安心です。

50年後の私たち

2009年05月20日 | ファミリー
やっと1週間が経過しようとしています。

昨日、出勤したはずのだんなが早々と帰宅。
運転中、背中に激痛が走り、会社までたどり付いたが、座ってられなく早退。
病院へ行き、検査されたあと(異常なし)痛み止めの注射をおしりに打たれ、へろへろになって帰ってまいりました。

横になっていないといけない、ということで、夫婦してテラスの長いすで横になり、ときおり「いてて・・」と声を上げ、それ以外は世間話をし、足元にはおなかの大きいチョコラがいて・・・

まさにこれは老後生活!

今日の朝一で再び病院へ行っただんな、内臓関係ではなく、筋肉がつった状態なので、痛み止めを飲んで安静にして金曜日までは会社には行ってはいけない、とのこと。
でももう動けるので一安心です。
私は話し相手がいる、というだけでちょっと嬉しかったり。


ところで、昨晩、地獄耳の私は外で普段と違うチョコラの声を聞きまして、朝起きたときにだんなに「チョコラ、もしかして出産したかもよ」と報告したのですが、今さっき庭のハイビスカスの下で子猫2匹と一緒にまるくなっているチョコラを発見したそうです。
動物はえらいねぇ。
自分ひとり(一匹)でちゃんとお産して。

鶏のちっちもまた卵を温めております。
ちっちが産んだ卵はひとつなのだけれど、週末に来てくれたペドロが「やるならどーんとやれ」とのことで、彼らの庭で生まれた新鮮な有精卵、なんと10個をちっちの下に押し込み、きっとちっちはびっくりしてるでありましょうが、3週間後に卵が孵る予定。

出産ラッシュです、我が家。

ありあまる時間

2009年05月18日 | ひとりごと
暇で暇で死にそうである。あと12日・・・・「休んでいなさい」というのがこんなに苦痛だとは。
自分がどんなに今まで動いていたか思い知ったよ。
でも辛抱です。仕方ないもんね。

週末はフランスから弦楽カルテットがコンサートために来島していて(ホテル滞在)長年知っている友人たちなので、是非是非是コンサートに行きたかったのだが、こんな事態のため、コンサートは断念。
ホテルはパルマ市内だったため、会うことすら叶わない。
たった二日の安静生活にくさくさしている私を見て哀れに思っただんなが、今朝、その友人たちをパルマまで迎えに行ってくれた。パリへは今日の夕方の便で帰ることになっていたので。

午前中は彼らと楽しいひとときが過ごせました。
絶対安静の身に必要なのは、ネットでも本でもなく、「話し相手」であります。

おまけに、誕生日プレゼント、と、大好きなマリアージュ・フレールの紅茶各種を持ってきてくれました。気が利くね~

夕方はたまき&ペドロファミリーが顔を出してくれ、今日は楽しくクリアー。
また明日からだんなは出勤で息子も幼稚園・・・・ひとりぼっちの絶対安静が始まります。くすん・・・

夜中の大騒動

2009年05月15日 | 日常
本日、雨ですが、気分だけでも盛り上げるために「晴れ」の写真を掲載します。ちっ。


昨晩は、だんなと夜遅くまでサッカー鑑賞。
トーナメント戦のファイナルで、バルサ対ビルバオ
開始時間が夜の10時、という、信じられない試合だったが、今年のバルサは半端じゃなく強く、注目の試合。
私もだんなもバルサのファンではないのだけれど、今期は惚れ惚れするプレイが見られるのでわりと楽しんで見てます。
試合は予想通り、バルサの圧勝。
ここのところ、眠気が襲ってくるのが11時過ぎなので、昨日は珍しく12時過ぎまで起きていたことになる。

で、寝仕度しようとトイレへ行くと・・・・


まさかの出血!

妊娠後期なので、これは「おしるし」の可能性も大。

まだ33週なんですよ。正産期まであと2週間。
おとといあったエコーでは、うちのお嬢さん、推定体重が1900グラム、といわれているので、もう少しおなかの中にいてもらったほうがいいわけです。

助産婦さんから、「二人目はとにかく進みが速いので、あれ?と思ったらすぐに病院へ」といわれている。
うーむ、どうしようか・・と、かなり落ち着いている自分に笑いながら、トイレで考えていると・・・


クンプレアーニョス フェーリーーーース♪

と二階から歌声が。

だんななんですが、そう、今日14日は私の37歳の誕生日。


・・・とかいってる場合じゃなくて、出血してますがな。
でも、一応、最後まで歌を聞いてから(せめてもの気遣い)
階下から

「あのーーー出血しております。病院へ行くべきだと思われる」


埴輪顔を作っただんなが二階から私を見下ろし、パジャマから即効外出できる格好へ着替え、息子を抱っこし、一階へ降りてきました。
私はその時点で、まだ「あれ?あれ?」と考えている状態。
普段のんびりしているだんなですが、こういうときの行動は早い早い。

「入院準備はしてあるのか?」といわれ、はっと気づいた。
そういえば、先週、だんなに「入院準備は早めにしときなよ」っていわれたんでした。
長男も早め(37週)で出てきたので、今回もその可能性は大だといわれており、そろそろ準備を、という話につい最近なったのだけれど、いくらなんでもまだでしょう・・とまだ手をつけていなかった!

とりあえず、自分の着替えと歯ブラシだけ持って、12時半ごろ救急へ出発。
本来の入院準備は、退院時の子供の着替えとか、カメラとか、そういうものをBagに詰めるんですね。でもそんな思考回路は夜の12時にはありません。

車の中で息子も目を覚まし、状況を説明すると「生まれるの?今日?」
そうか。今日生まれるとしたら、親子で一緒の誕生日かぁ・・など考えながら救急へ到着。

赤ちゃんの心拍や出血状況を診察してもらい、陣痛が起こっているかどうかのチェックもあり、その間わたしはずっと診察台に横になっていたのだが、ナルは次の日幼稚園を休ませるとしても、やはり眠いだろうし、フランシスカの家へ行かせたほうが・・と思って、だんなにそういうと、彼もそう思っていたところだったので、もうフランシスカに連絡したとのこと。
めったに見ないサッカーを同じく観戦していたというフランシスカ、ベットには入っていたけれど、まだ寝ていなかったらしい。
まったく、昨日のサッカーには感謝である。

ママはしばらくかかるから、パパと一緒におばあちゃんの家で寝てきなよ、と声をかけると、首をぶんぶん振って
「ママのそばにいる」という。

そばにいた助産婦さんが「泣けるわね・・・」といったくらい、それは真剣な表情だった。

それから1時間近く、息子は私の手を離しませんでした。
だんなと息子がそばにいて、これで早く生まれたとしても、仕方ないよなぁと、割り切りの気持ちと、ほわーーっとなんともいえない幸せな気分を味わった。

結果的にいうと、赤ちゃんが出てくる気配はまだなし、朝一で担当医の診察を受けるように、といわれ、入院は免れました。
病院を出たのが夜中の2時半。息子はそこまで寝ることなく、次の日もどうなるか分からない状況なので、予定通りフランシスカの家へ息子を預け、だんなと3時ごろ帰宅。
もうへろへろです。

今日の診察では、子宮伸縮(陣痛)が起こったことがわかり、そのための出血といわれ、2週間の「絶対安静」をいいわたされました。
2週間って長い・・・でも仕方ない。
一人子供がいると、「絶対安静」というのはかなり難しいのだけれど、ここはだんなや家族に頼って乗り切ろうと思います。

こんな、37歳の幕開けでありました。念のため、入院準備はしなくてはいけませんね。

急須を求めて

2009年05月12日 | ひとりごと
                    雑誌「ku:nel」より


今、一番惹かれる旅行先。それは日本国内。
海外もいいけれど、まだ日本国内全部知っているわけではなく、その土地でしかとれない食材やら、その土地特有のお湯だったり、そんなものにとても惹かれる。

マヨルカの友人Izumiさんが定期購読しているku:nelという雑誌は、これまた国内の知られざる部分(少なくとも私には・・)をよく特集してくれる。
5月号は「器特集」。
その中でもとくに目を引いたのが「急須」

大きめの急須を探しているんですよ、私。ここ数年。
帰国するとほしいなぁと思うのだけれど、これだ!というものがまだ見つからない。そんなに安いものじゃないし、焦らず見つけるのも悪くないし、というわけで、まだ我が家には「大きめの」急須はない。

急須のページをめくると、そこには「これーーーーこういうのほしいーーーー」というものが載っていました。
しかも特集ページには

「いい急須を探すなら愛知の常滑か、三重の四日市の萬古焼と昔からよくいわれる」

と書いてありました。
萬古焼。これは我が家でただいま重宝しているお釜が、まさにそれ。
この写真の急須も萬古焼。
なぜ片手で持っていてふたの部分と胴体がくっついているかというと、これまた説明に

「焼きあがったばかりの急須は胴体とふたがぴったりくっついていて、つまみを持っていても落ちない。和鋏でたたいて振動させるとふたがはずれる」

とあります。
初めて知りました。

実際手にとってみたい!行ってみたーい!!!

子供が二人になり、またあちこち行くには時間をおかないといけないけれど、下の子が難なく移動できるようになったら是非行きたいところのリスト上位に入ります、この四日市。
鈴鹿サーキットには子供が遊べるかなり本格的なゴーカートパークがある、と聞いたこともあるし、それは絶対ナルを虜にするだろうし、行くしかないね、ここは。

新興住宅地の罠

2009年05月10日 | 日常
今日の午後はナルのクラスの男の子、Alvaro(アルバロ)の家で誕生日会。
Alvaroのお宅はSa Cabanetaという村にあるので、我が家からは車で10分から15分(・・・のはず)。
車で初めてのところへ行く、しかも地図を見ながら、というのはあまり得意ではないのだが、だんなは午後仕事があったため、これは頑張って私が行くしかないわけで、運転する前に地図を頭に叩き込み出発。
だんなが地図を見ていうには「○○のロータリーを過ぎて左折してまっすぐ行けば分かるよ」と、聞こえは非常に簡単。

うちからの田舎道を通り、Festival Parkというショッピングセンターを通り過ぎ、そこまでは順調。・・って車でたかが5分のところなんだけれどね。

はい、そこからが問題でした。
本来ならそのショッピングセンターを過ぎ、Sa Cabanetaという表示のほうへ進むべきなのが、気がついたらAutopista(高速道路)にのっているではあーりませんかーー
しかもパルマ方面へ。
高速にのった以上、次の出口までは後戻りできないので、これはずんずん行くしかない。
後ろで「やっぱりママ、間違ったね」といわれ、あんなに簡単、簡単、といわれたのに、間違った悔しさで、もくもくと車を走らせる私。
Al Campoというこれまた大型スーパーで高速を下り、再び北上。もとのところへ戻るべく、方向転換。
次の出口を見失わないように・・・・と、次の出口で下りると、そこは見たことのない新興住宅地。
Marratxiという、新興住宅地へ入ってしまったわけでした。

新興住宅地って、迷うよね???まるで迷路。
どの家も同じつくりだし、ぐるぐる回っているうちに、方向感覚を失い、またもやナルに「ここ、もう3回通ったよ」といわれ、「ママ頑張ってるんだから応援してよ」といったら、「・・・・そこの人に聞いたら?」ともいわれ、もうママの立場はなし。
悔しいことに、木の向こうに、さっき通過したFestival Parkが見えているのだ。そこへ戻りたいのよーーーとぐるぐる回っていたのだけれど、どうやっても出られない。
で、息子のいっていることが正しいと認めざるをえなく、通行人に道を聞く。

若い女性だったのが、私が「そこのFestival Parkに戻りたいんだ
けれど・・・」というと、ため息をつき(おい!)「簡単そうで、これが面倒なのよね。見えてるのに。大変なところに迷いこんだわぁ」とお先真っ暗発言。
誕生日会はとっくに始まっているし、だいたい家から10分だ、と考えていたのに、すでに5時30分。
教えられた道、というのは、本当に、ほんとーーーに途方にくれるほど面倒な道でありました。
新興住宅地を作る方、もうちょっと考えて作りましょうよ、まったく。

冷や汗をかきながら、大幅な遅刻でやっと到着。
ナルには「ママ、よくやった」といわれてしまいました。
マヨルカでナビゲーターが必要な人っているんかい?と思っていたけれど(実際持っている人は多数いるものの)私には必要かも。

まあ、なにはともあれ、誕生日会には無事参加でき、素敵なお宅のお庭で元気に走り回る子供を見ながら、ママ友達とお茶を飲む午後は悪くなかった。7時でお開きだったのだけれど、8時までなんやかんやべちゃべちゃ話していたくらい楽しかったです。やはり野外はいいね。

カエル体操

2009年05月08日 | 日常
だんだん、暑くなってきました、マヨルカ。
今年の夏はヨーロッパ、かなり暑いらしいのだけれど、もしかしてもうその兆しが出ているのかしら。まだ外に出ていても気持ちよいけれどね。

8月に産後初めてのコンサートが入っているのだが(ヴァイオリンとのDuo)予定されていたプログラムが先月変更になった。
プログラムの5曲のうち、4曲は弾いたことがあるはずだったのだが、ベートーヴェンの7番のソナタが10番に変更。
ベートーヴェンは10のヴァイオリンとピアノのためのソナタを書いているのだが、1番から9番までは自分のレパートリーで、10番のみ、やったことがなかった。で、よりによって10番に変更・・・
今見ておかないと、産後どういう状況か分からないのでぼちぼち見ています。もう一曲はサンサーンスのソナタ。
両方とも胎教によさそうで弾いていて楽しいのだけれど、こんなに前もって曲を準備するのは学生時代以来。なんだか実感湧かなくて、進みも遅いです。

さて、今日からマタニティークラスというものに通いだしました。
助産婦さんが出産のための基礎運動を教えてくれるのだ。
2004年に長男を出産する前も、同じところに通ったのだけれど、そのときは「こんな生ぬるい運動が役に立つんかい?」と思っていたくらい、緩々の体操だったのだが、内容が変わっていないのに、今回は結構きつい。
やっぱり5年という歳月は侮れません。ばっちり高齢出産だしね。

自分では「こんなに大きなおなかになってしまって・・」と思っていたし、現に私を知っている人は「二人入ってるんじゃないか?」なんていうほど、私の体系にびっくりしているのだけれど、今日、マタニティークラスに行って、「私ってまだ初期?」と思ったくらい、ほかのスペイン人のプレママたちのおなかはでかかった。
ナルのときは、「あなた、本当に妊娠してるの?」って7ヶ月のおなかでいわれたほど、日本人の私とスペイン人のおなかの出方は違うものなのです。
しかし、おなかのでかい、妊娠後期の妊婦が20人くらい集まって、ひーふーいう光景ってかなり異様。
壁が鏡になっているので、自分たちの姿が丸見えなんだが、カエルがひっくり返って足をばたばたさせているみたいだったよ。
私もカエルの一人だけれどね。

親子遠足③

2009年05月04日 | 日常
Sollerに着くと目の前にTranvia(路面電車)が止まっていて、その電車に乗るとSollerの港に到着します。
そこでお弁当を食べよう、ということになったので、またまた乗り物。
これまた家と家の狭い路地を走るし、遊園地にあるような路面電車、つまり窓も扉もない電車で(柵はあるけれど)途中から飛び乗ることも可能なくらい低速。
1913年に運行開始で、リスボンの路面電車と同じ会社が作っているらしいです。当時は乗客のほかに、港であがった魚が積まれたりして貨物の役目も果たしていたとか。

港はこんな感じ。
何度か私は来ているけれど、来るたびに民家だのホテルだのが増えて、ちと残念。
ここでお弁当を食べ、船を眺め、再びTranviaで村まで戻り、「Sa Fabrica de Soller」というマヨルカでは有名な手作りアイスクリームを食べ(これは私のお決まりコース)広場で地元っ子と遊ぶ息子を眺め、ガウディの弟子が設計した教会を訪れ、再びTren de Sollerでパルマ市内へ・・・・
という「これぞ遠足なのだ!」という半日でありました。

この「Sa Fabrica de Soller」というアイスクリーム。Soller出身の私の友人(しかも彼は一度もスペイン本土にも渡ったことがない、という、Soller命の島人)が、去年、なにを思ってか、格安チケットでドイツのドレスデンを訪れ、市内で「Sa Fabrica de Soller」のアイスクリームが売られているのを発見。
その場で大粒の涙を流し、帰ってきてからお土産をくれたときに「YUKO,Sollerはインターナショナルな村なんだよ!」と興奮して話してくれた、という逸話つき。

インターな村かどうかは別として、訪れる価値は十分な村です。
そしてどうせ行くのなら、やはりこの「列車」がお勧めかと。島の住人には面倒だけれどね。



親子遠足②

2009年05月04日 | 日常
列車からなぜか我が家が見えたりして、われながら「ご苦労なこった・・」と思わなくもなかったけれど、車から見える景色と列車から、しかも恐ろしく低速な列車から見る風景はまた一味も二味も違うもので、ここの住人だということをしばし忘れたくらいヴァカンスモードに入っていきました。
山が多いので、トンネルも多く、ナルの興奮度アップ!
トンネルは日本で乗った新幹線で少し味わった程度で、あとは絵本の世界だったのね。
このTren de Sollerは単線なのでトンネルの壁ぎりぎりを走るため、かなりスリルがある。

Sollerに着く前に見晴台があり、そこで乗客はカメラを持って下車する時間がある。
というわけで、私たちも一枚。

バックに見えるのがSollerの村です。山に囲まれた独特の雰囲気を持つ村。
オレンジが名物かな。

まだまだ続く。