島便り

スペインはマヨルカ。2004年9月生まれの息子、2009年6月生まれの娘と、島出身のだんなとの4人家族の日々。

ズッキーニ

2008年05月27日 | 日常
マヨルカは連日雨。
ちょっと太陽が恋しいけれど、この雨のおかげでズッキーニ、かぼちゃが急成長。
今朝見て回ったらズッキーニの花が開いていました。
花も美味しいんだよね。今回はとらずに実まで待ちます。

物々交換

2008年05月26日 | 日常
近所の畑友達がソラマメとラディッシュを持ってきてくれました。
お返しに家のルッコラを。
やっぱり自家製はうまいですよ~
ラディッシュはコールスローサラダに入れて食べてみました。味が濃厚になっていい感じです。

Segovia(セゴヴィア)

2008年05月24日 | Weblog
木曜日。
朝8時半からコンセルヴァトワールでレッスン、3時の飛行機に乗るためにそのまま空港へ直行。この日はサックスの生徒たちを連れ、セゴヴィアのコンクールへ。
セゴヴィアはマドリットからバスで北へ1時間。
写真はスペインで一番長いセゴヴィアの水道橋(Aqueducto)、全長728メートルだそうです。圧巻。
ローマ人が1世紀後半に作ったものなのだが、生徒の説明によると、つなぎなし、つまりセメントなしで、石だけの重さでこの水道橋は支えられているとのこと。

先生の素朴な疑問。
「地震があったら一巻の終わりだよね?」

生徒
「・・・・・・・地震かぁ・・・・考えたことなかったなぁ」

平和な土地であります。

さて、写真を撮る余裕があったのは、この広場からコンクール会場へのバスが出ていたから。
あとは会場へ入り、ホールの響きなどを確かめ、生徒たちは地元のコンセルヴァトワールへ練習に行くという。
YUKOの部屋も予約するよ、といってくれたものの、すでにその時点で夜8時過ぎ。
体力も気力も限界だし、ここまで来て練習はしないよねぇ、と思ったら、ホールにいたほかのピアニストは、みんなコンセルヴァトワールにこれから練習に行くという。確かに面倒な曲ばかりなんだけれどね。

・・・・いやだ。帰る。
という顔をしてしまったんだろう。
生徒たちが一斉に
「ああ、YUKO,疲れてるよね、Hotelに戻ってていいよ。僕たち終わったら連絡するからそうしたら夕ご飯食べようよ」

とっさに考えた図。
きっとこの子たちは最後のあがきでいっぱい練習したいんだろう。
そして、おなかがすいていることも忘れちゃうだろう。
結局、夜遅く、ファーストフードを食べるだろう(それくらいしかもう開いているところはない時間になるだろうから)

冗談じゃないぜい!

というわけで、彼らの好意もご辞退させていただき、
「わたくし、一人でホテルへ帰り、ご飯を食べますのでご安心を。明日の朝会いましょう」
と、一人でホテルへ向かうことにした。
「知らないおじさんと食事しないでよー、夜道はバッグをしっかり持ってよー、ホテルに着いたら僕たちの誰かに電話してよー」

20歳前後の生徒たちににここまでいわれる私っていったい・・・

セゴヴィアの名物料理は仔豚の丸焼きCochinillo(コチニージョ)
もう7年くらい前になるけれど、私は一度ふうちゃんとセゴヴィアに旅行しに来たことがあり、そのときに、老舗といわれるCandidoというレストランでこのコチニージョを食べた。
でもそのときは体調があまりよくなくて、堪能した!という感じではなかった。(ふうちゃんいわく相当美味しかったらしい)
というわけで、今夜はリベンジ!と、ホテルのレセプションに聞くと、Candidoのほかに2軒お勧めがあるという。
まだ夜も更けていず、散歩を兼ねてくてく歩いているとありました、ありました。お勧めレストランの一軒「Jose Maria」
入り口はタパス屋になっていて、地元の人がワイン片手にチョリソやマッシュルームの炒め物なんかをつまんでいる。
どうやら、奥がレストランらしい。
私は一人で食事をすることにかなり慣れているんだけれど、さすがの私でも一人で仔豚の丸焼きにかぶりつくのはちょっとなぁ・・・と思いはじめた。でもここまで来たんだし、と勇気をふりしぼり、ボーイさんに「一人でもいい?」と聞くと、典型スペイン人の笑みを浮かべ「あったりまえさー!一人が嫌だったら僕がお相手するよ(そんなわけないだろう!)」と席を案内された。

それは本当に素敵なレストランだった。
雰囲気はとてもフレンドリー。壁一面にワインが並び、お客さんたちも大声で笑ったりできる場所。
さすがに私が一人で食卓につくと「この子(彼らから見ると36歳の私も「この子」なのだ!)はいったい一人でなにをしているんだ?」という目で何度か見られたけれど、こちらからにっこり微笑んだら(これがコツなのだ)向こうもにっこり。こうするとこれ以上彼らの興味はひかない。

仔豚の丸焼きの足の部分をもらい、赤ワインを注文。さて、食べるか、と思ったら、隣の席に老夫婦がついた。
フランス人だ。
メニューと、取っ組み合いをしながら、ボーイさんに頑張って注文しているんだけれど、聞いていると海老とアボガドのサラダとか、コロッケとか「ここまで来てコロッケかよ!」というような注文をしている。しかもそれがボーイさんに通じていない。
ちなみに、私のフランス語はかなりかなりいい加減。全部分かるわけではなく、言葉がひろえる程度。
でも、せっかくセゴヴィアに来て、こりゃかわいそうだ、と思い「お手伝いしましょうか?」と聞くと、「お願い」といわれ、結局彼らの食べたいものを私がボーイさんに伝えることになった。
ひと段落したあと、彼らから「一緒に食べませんか?」といわれ、このつたないフランス語で楽しい夕食は無理だよなぁと思ったのだけれど、せっかくのお誘いだったのでテーブルをうつる。

やれやれ・・・と思いきや、彼らはストラスブールというフランスとドイツの国境の町から来ていて、ドイツ語が話せるという。
というわけで、結果的には、楽しい楽しい食事となったわけです。
3人で赤ワインを2本。仔豚の丸焼きにデザート。
そして、「とにかく楽しかった、ありがとう」と、ご馳走してもらっちゃいました。(コチニージョというのは高いんだよ)

ホテルに着いたのは11時過ぎ。そのまま爆睡。

次の朝、会場に9時過ぎに着くと、生徒たちが、こわーい顔をして私を待っていた。
「昨日、何度も電話したのに、なんででないんだよー、すっごーーーい心配したんだぞー!」
あ・・・レストランに着いたときにサイレンスにして、そのまま寝てしまったんでした。
丁重にあやまり、でもとにかく楽しかったのよ、でもこの楽しかった話はコンクールが終わったら話してあげるから、とコンクール開始。
生徒たちの目は「こいつ、なにをしやがったんだ?」と語っておりました。

結果。第一位はうちの学生がもらいました!ピース!

賞金のほかにコンサートがもらえるので、12月、再びセゴヴィアです。

おまけ。
帰りの飛行機に向かう途中、YUKOのアヴァンチュールを生徒たちに聞かせてやったら
「すげーーー最高!」といわれたあと
「普通、夜にコチニージョは食わない」。
確かに私もマヨルカでパエリアを夜には食べないけれど、外から来る人は食べたがるもんね。

1年半の成果がここに!(長いよ)

2008年05月20日 | 日常
                     これはなーんだ!

今日は記念すべき日です!かなりうれしいです!!!!

私は日本で大学卒業し、ドイツでプラスαの学業をし、スペインへ渡ってきた。
私の仕事は、履歴書&演奏、または口コミで決まることがほとんどなのだが、数年前から地元での仕事にも腰をすえたい、と思うようになりだした。
スペイン国内では、公の職業に就くのに絶対必要とされる書類がある。

それが「Homologacion de Titulo(肩書、または資格の公認書)」である。

時は7年前にさかのぼる。
教職のオファーがあり、履歴を出すようにいわれたのだが、その数週間後「公認書は?」といわれた。
そんなものはあ~りません、と答えると、即効「じゃ、だめ」との返答。
公認書ってどうやってもらうの?と、同業者に聞いてみると、100%の確率で「ああぁ・・あれね、大変なんだよ。1年以上かかってさ」と、長い長い説明が始まった。

スペインで学業を終えた人には当たり前だが必要ない。
ただ、スペイン以外で学業した人には必要なのだ。たとえ、それがスペイン人であっても。
私の友人ピアニスト、ポーランド人、イギリス人、彼らは公認書をとろうと自国の出身大学や大使館にかけあい書類を揃えだしたらしい。そしてそれをスペイン文化・科学省に提出しては、再提出(書類が違うとか、足りないとかそういう催促状が来るのだ)を繰り返し、ギブアップしてしまったらしい。
スペイン人のヴァイオリンの友人は、ベルギーで学業を終えたため、やはりこの公認書が必要になり、ベルギーの大学から色々取り寄せたのが、やはりうまくいかず、結局バレンシアの音楽大学でもう一度単位を取り直したとか。

聞くだけアホくさい。しかも私は最終学業はドイツだけれど、単位を取得したのは日本の大学。ドイツは実技のみだったからね。
ポーランド、イギリス、ベルギーが駄目で、日本がOKなわけないじゃんねぇ。

・・・とやる気なし。
公立の大学で教えなきゃいいんでしょ、と開き直ってた。

2006年の冬。
またもや、公立の学校(コンセルヴァトワール)から歌科の伴奏で来ないか、とのオファーがあった。
なにか提出しろ、といわれなかったため、可能な曜日だけを伝えて、返事を待っていたら、担当者から「YUKO、公認書ないでしょう」といわれた。
特別にやりたかった仕事ではないにしろ、「公認書」といわれると元も子もない。

少し調べてみるか・・と、とりあえずバルセロナ領事館に、どのような書類が必要になるか問い合わせる。
これが・・・もう「やめとけ、やめとけ」モードなのだ。
丁寧に教えてくれたものの、「確実にこれだけそろえればとれるという保障もない。とにかく時間と労力を要する」とのこと。
スペインっていったいなによ!!!(いまさらなんだけれどね)

これらの書類はすべて日本にある。
日本でのフットワークはじいちゃん(父)だ。
2008年3月に定年退職が決まっていたため、それまでだったら都内にいるし(会社が都内。実家は茨城)やってあげるよ、との力強い言葉をもらい、だめもとでやってみるか、と行動開始。
あ、行動は90%じいちゃんなんだけれど。

大学での卒業証明、成績証明、そしてこれらが公文書である、という外務省、スペイン大使館の印鑑、これらをせっせとじいちゃんは集めてくれました。

なんだ、順調じゃん、と思いきや。
私がとりよせた「必要書類」の中に気になる一文がある。
あんまりわけがわからない文だったので、スペイン語の専門家の友人Izumiさんに訳してもらったら、やっぱり私が理解した内容と合う。つまりすごく変なの。

「日本の大学に入るために、日本ではどのような教育システムになっているのか。それを説明する文+それが文部省(今は文科省っていうのかな?)の認めた文だという証明を送付すること」

これって誰が用意すんの?
大学に入るにはですねぇ。高校卒業資格がありまして・・・ってな文が必要なわけ。
じいちゃんは文科省に掛け合いました。そのような文章を作成してもらえるのか、と。
もうすでに文科省に通い続け有名人と化していたじいちゃん。
日本のお役所というのは融通がきかないと思っていた私たち親子の予想を裏切り、教育についての図解、文章(英語)を用意してくれたのだ。

とにかく、これらが全部そろうまで、かなりの月数を要した。
うちのじいちゃんが「これはいりません、といわせるくらい用意しようじゃないか」と、本当にこれがいるのか?という書類まで送ってくれました。
スペインに届いた書類を、今度は日本語→スペイン語に翻訳しなくてはいけない。
しかも、これは私が訳したのでは意味がなく、スペイン国が認めている公認翻訳家に頼まなくてはいけないのだ。
日本語の公認翻訳家はスペインに3名、その中でマドリットに住むNoemiさんというハーフの女性にこの仕事を依頼した。

2007年9月にすべてを揃え提出。

が、しかし。
12月に「再提出」の手紙が。

いやーーん。なにが足りないっていうのさ!と手紙を開くと、「日本での取得単位がスペインで何時間にあたるのか換算して提出せよ」とのこと。
これで規定時間を満たさなかった場合はスペインで新たに勉強しなおせ、ってことね。
これはあったまにきましたよ。
日本の大学とスペインの音楽大学の単位数には雲泥の差があることは分かっていたからね。(もちろん日本のほうが多いんだよ)
もうやめてやるーーと思ったけれど、じいちゃんの定年がせまってきている。やるならいまだ!と、再度のお願い。
じいちゃんも呆れていたけれど、「おっしゃー!」とまたもや大学→文科省→大使館を回ってくれた。文科省の人は「スペインねぇ、ほんと、困りますよね」といったそうです。
ほんとですね。
スペイン大使館も「お嬢さん、取得できるといいですね」と、自国のナンセンスさを嘆いたそうな。

これをまた翻訳してもらって・・・・提出しましたとも。もうこれで最後だな、と思って。

先週、スペイン文科省から「この手紙を持って出張所へ来るように」との通達がくる。
でもそこには「何々が足りない」との一文もなし、さりとて「公認書が届いていますよ」の一言もない。
なんなんだよーーと、さして期待もせず、今朝、出張所へ行ったわけです。

「はい、届いてますよ、公認書」



「うそでしょー本当ですかーーーーああーーーすばらしいーーーー!」
廊下にも聞こえただろうな、私の声。
あんまり嬉しくって担当者と握手しちゃいましたよ。

長くなりましたが、自分への記録という意味で書きました。

参考までにいうと、今やっているコンセルヴァトワールの仕事には「公文書を提出しろ」なんて一言もいわれてません。
おいおい・・なんだけれど、いつ提出しろといわれるか分からないこの不気味な契約。やっぱりあったほうがいいもんね。

人生ばらいろ~
じいちゃん、ありがとーーー!(スペインありがとう、とはあまりいいたくない私であった)

マヨルカ人の夕食

2008年05月18日 | Food
マドリットのパンはまずい。ほかのものは美味しいけれど、タパスで出てくるパンは見事にまずい。
マドリットではいつも時間がないので、ゆっくりレストランには入れず、タパス屋に入ってちゃっちゃとランチを済ますのだけれど、私はパンをソースにつけて食べるのが好きなので、パンがまずいとがっかりします。
タパスは本当に美味しいんだけれどね。

マヨルカで美味しいパンは(私には)Pan Moreno,という黒い田舎パン。
これはそのまま食べるよりも、これまたマヨルカ特有のPa amb oli(マヨルカ語でパンとオリーブオイルという意味)によく馴染む。
Pa amb oliパンボリと読みますが、これは、黒パンにパンボリ用に作られたトマト(小さめのトマトで果汁が多い)をすりつぶしてつけ、その上にオリーブオイル、塩。
これがベースです。
それを食べながら、生ハムだったりチーズだったり、そういうものをつまむ。
マヨルカの大半の人がこれを夕食にしています。

マヨルカ人のこの夕食、私も好きなんだけれど、驚くことに、マヨルカ人はこれを「毎日」食べるんだな。
私の義母も毎晩パンボリ。
火を使わないので楽だけれど、いくら美味しくても毎日というのはつらい・・・

パンボリの付け合せになる生ハム、チーズなどは、まず色々種類をそろえてないないと退屈な食卓になってしまうのだけれど、これは毎日食べていればなかなか経済的な一食だが、たまに食べるのに、わざわざ何種類ものチーズを買うのは不経済。

で、我が家。
夏が近づくと、なぜだかパンボリが食べたくなる。
今日の朝、市場へ行って、いつもいくオリーブ屋の前でパンボリ用の食材を物色していたら、そこのオーナーが「このタラのオリーブオイル漬け、お勧めだよ~」と教えてくれる。
みるからに美味しそうなタラ。よし、今日はタラとハードタイプのチーズ(隣のメノルカ島で作られているマオチーズ。熟成年月によって値段が変わります)、生ハムの燻製にローズマリーがまぶしてあるもの、これを仕入れた。
車に戻る前に、「小魚のフライも食べたいかも・・・」と市場へ引き返し、小魚を250g買い、ストックがなくなりそうだったワインも数本、それに忘れてはいけない黒パン。

気づいたら結構な額になってました

たまにだからいいや、と思う反面、やはりパンボリは不経済・・とつぶやく私です。

ひとつ歳をとりました。

2008年05月15日 | ひとりごと
                       36歳と7歳の誕生日♪

今日、ひとつ歳をとりました。
近くのお友達の息子くんと同じ誕生日のため、友達M子さんがケーキを焼いてくれ一緒にお祝いしました。
人にケーキを焼いてもらうなんて何年ぶりだろう。
というか、子供のとき以来なんじゃないだろうか。
嬉しいもんですね。

明日から日帰りの仕事が続きます。
とりあえず明日はMadridへ。

頭の中は、はて・・・

2008年05月12日 | ファミリー
                   きみはフランス語分かるの???

木曜日にぶっ倒れました。やむを得ずかかりつけの医者に診てもらい、扁桃腺がぱんぱんに腫れてまっせ、と抗生物質を出され、しっかり熱も出たので金曜日は仕事をキャンセル。
私は抗生物質はあまり飲まないように頑張っているんだけれど、今回は食べ物がのどを通らないほどの痛みだったので、飲みました。
飲むと症状は軽くなるんだけれど、もうフラフラで運転はもとより、ピアノも弾けないし、台所にも立てないし、ようするに「寝てなさい」ということなのですね。

病原菌を持ってきたのは息子ナル。幼稚園でうつされてきた風邪で息子も3日間幼稚園を休んだのだけれど、母さんのほうが症状は重かった。私が倒れたときに息子が元気だったのが救いです。

どこかで書いたような気がするんだけれど、私は自分で弾くだけでなくコンサート企画のお手伝いみたいなものもしてます。
そして今週末、フランスの弦楽五重奏&ピアニスト、というメンバーをよんでいたのでありました。
こんな症状なのでコンサートには行かれなかったけれど、今日日曜日はメンバーを家に招いてのBBQを予定していたので、さて、どうしよう・・と思っていたのだけれど、昨日の夜を最後に抗生物質をやめたので、なんとか台所には立てるようになり、やっぱりせっかく来てもらったんだから楽しくやろうじゃないか、と思っていたら、なんだか元気になってきたわけです。われながら単純。

本来なら、外でBBQの予定だったのだけれど、ここ数日マヨルカは雨、雨、雨。
畑を持つわれわれとしては恵みの雨なんだけれど、たまに来るフランス人には「ドマージュ・・・(残念!)」な雨でした。
水着まで持ってきてたからね、彼らは。
確かに例年だと今頃は少々冷たい水でもOKな人はプールに入るんですよ。
でも、今日は家で暖炉をたいているくらい寒く、さすがの彼らも諦めていました。

で、息子。
写真のように、すいすいと彼らの中に入っていき、打ち解けてしまうのはいつものこと。観察していたら、最初はスペイン語で話しかけ、通じんぞ!と思ったら、なんと・・

日本語で話しかけてるーーー!!!

どう見ても日本人じゃないだろう。フランス人もびっくり。

でも、子供は強い。そんなの関係ない。
この写真はゲームの説明をみんなが聞いているんだけれど、まるで自分も参加するがのごとく(そして参加していた!)ふむふむ聞いています。
どうなってるんだろうね、この人の頭の中。

初歩のコミュニケーションは語学じゃないです。度胸です。

あれ・・・・・・?

2008年05月04日 | ひとりごと
午後5時。
昨日誓った「DENISOVを仕上げるまでは遊ばない」。
だんなの「ナルと散歩に行ってくるね」で、半分くじける。
どこへ行くのか聞いたら、モリナールというパルマ市に近い海辺を散歩するという。
あっけなく、誓いが崩れ、たったかピアノの蓋を閉め、散歩に同行。

意思の弱さを思い知りました。

モリナールは家から車で20分の街。
車が入れない通りが多いせいで、子供たちが自転車に乗ったり、インラインを操る格好いいお姉ちゃんがいたり、おばちゃんたちが犬を連れて散歩をしていたり。
私の義母は数年前までこのモリナールに住んでいて、私はドイツでの学生生活が終わったあと、このモリナールの義母宅に1年間居候させてもらった。
スペイン語はまったく分からず、先々どうなるかも見当つかず、よくこのモリナールの海岸沿いを「これからどうしよっかなぁ」と思いながら一人で散歩していた。
結婚パーティー(一応盛装したパーティーだったけれど、20分もしたら飲み会と化した)も、このモリナールでやった。

明日こそ誘惑に勝ってみせる!
・・といったら、「誰も誘惑なんかしてない」といわれてしまいました。



一日6時間

2008年05月03日 | Music
                       杏の実、だいぶ大きくなりました。

うちのコンセルヴァトワールのサックス科は、2ヶ月に一度、フランスからサックスのProfとサックス専門伴奏者がやってきてマスタークラスをやっている。
私が昨年、サックス科担当になって涙していたとき、Profたちは「2ヶ月に一度、スペシャリストが来て、きみを助けてくれるからね。大丈夫」といってくれた。
そして、そのスペシャリストは日本人でありました。

彼女の名前はHilomiさん。ひろみさん。
なぜかどのプログラム、名簿にも「Hiromi」ではなく「Hilomi」と書いてある。
たぶん、フランス語の発音になんらかの問題があり、彼らに発音しやすく「L」を使っているんでしょう。フランス語には結構こういうのが多いね。
私より5歳くらい上のHilomiさんに初めて出会ったのは12月のオーディションのとき。
彼女は本当に「なんでも」弾いちゃうサックス伴奏者。
私がひーひー言って弾いている曲も、彼女が弾くと、なんだか「おフランス」の香りがして、思わずうっとり聴いてしまう。
そう、サックスの本家本元はフランスで、弾く曲もフランス人の作曲家が多いし、そういう意味で彼らのマスタークラスは生徒でなくてもとても勉強になるのだ。

先週、またフランス軍団がやってきた。
今回はHilomiさんと話す機会があって、というか、めちゃめちゃくだけてしまったのだけれど、不思議だったことをひとつ聞いてみた。
「サックスのスペシャリストって、サックス伴奏歴、どのくらいなの?」と。

そうしたらガハガハ笑いながら「誰がスペシャリストっていってるか知らんが5年前にサックス科に配属されたのよ。もう毎日泣いてた。音楽院ではサックスのほかにヴァイオリンとチェロを担当してるのよ。毎日サックス伴奏なんかしてたら気が狂うでしょ」
あー普通の人だったんだ・・・・となんだか嬉しくなった瞬間だった。なにが?といわれても困るけれど、なんとなく。

今、私はProfにいわれてDENISOVという曲を見ている。
いつ、どこで弾くのか、いわれてないところが不気味なんだけれど、「用意しておいて」といわれたので、やるしかない。
○月○日に弾け、といわれると、お尻に火がつけば何日かに集中して仕上げることはできるんだけれど、この「いつか弾くから」といわれると、ぜんぜん楽譜をあける気がしない。
でも、色んな人に「DINISOVは見ておいたほうがよい。っていうか、弾けるか弾けないかだけでも知っておいたほうがいい」とこれまた恐怖のアドヴァイスをうけ、先週から楽譜をあけました。

・・・・・弾けない、かも????

もう30数年ピアノ弾いてるけれど、こんな曲は初めてだよ。
まず「数えられない」基本中の基本ができない・・・
今日はこのページを仕上げるぞ、と思ってなんとか形になったと思っても、次の日、なんにも覚えてない。これは歳なのか???
さらに、ピアノパートの上にごにょごにょ書いてあるサックスパートも勉強しなくてはいけないのだけれど、見ればみるほど分からなくなる。

こういう数日が続いていたので、Hilomiさんに「DENISOVっていつか弾けるようになるの?」と聞いてみた。
すると・・・

「ああ、あの曲は大変。うん、大変。私も毎日6時間さらったよ。もう何度も弾いてるから体が覚えちゃったけれど、サックスパートは暗譜(楽譜を見ないで弾ける、または歌えること)したほうがいいね」

わたくし、その場で数秒口を開けたと思われます。
一日6時間、あの曲弾くのーーー!
っていうか、一日6時間ってどいうことさ。
彼女には二人の子供ちゃんがいて、ようするにお母さんもやっているはずなのに、どうやったらそんなにまとめてさらえるんでしょうか。なぞです。
まあ、考えてみたら、週末など、午前中3時間、午後2時間とか弾くことはあるので、そうすると合計5時間なんだけれど、これはよっぽど焦っているときに、だんな協力のもとで実現する練習時間であり、このDENISOVにそれほどの時間が割けるか・・といわれると。

割くのか。

まあ、何時間でもいいんだけれど、そのくらいさらわないと弾けないよ、という収穫はあったわけでした。
こんなに毎日天気もよくて、そろそろプールにも入れそうで、暑すぎないから外で食事も楽しそうだし、家族でドライブなんかもいけそうなのに、家でDENISOVかい。
でもこの曲を仕上げないとほかの曲が見られない、という問題もあるのでやるしかないんだろうな。

というわけで、来週はほかの仕事のために海を渡りますが、このDENISOV持参になりそうです。くわばらくわばら。
この曲が仕上がったら、自分になにかプレゼントしよっと。誕生日も近いしね。



最近の私たち

2008年05月02日 | ひとりごと
          我が家のハックリベリー

この間まで、のんびりヴァカンスだったのに、・・・というか、ヴァカンスをとったせいで、夫婦共々、「時間がなーい!」という毎日をおくっています。主に仕事が原因ですが。
こういう繰り返しで365日が、あっという間に過ぎていくんだよね。

今日5月1日はメーデーで祝日。そして明日はナルの幼稚園は連休。
ナルの幼稚園だけでなく、ほとんどの学校は連休になるらしいのだけれど、私の勤務するコンセルヴァトワールは通常通り授業がある。なんで????
だんなも仕事。
というわけで、今日の夕方からナルはおばあちゃんのうちにお泊りです。
なんて静かなんでしょう・・・・ちょっと物足りないくらいです。

さて、最近の私たち、という題名をつけたのには意味があるのです。
いったい、私の本業はなんなんだ!というくらい、はまっているものがあるんですね。
前にも書いたけれど、畑。

今日も練習を夜の8時ごろに終えて、だんなと二人で畑へ出ました。
水遣りは朝9時前、そして夜8時以降にするのがマヨルカの畑愛好者の常識になっています。
その時間を外すと、あまりにも外気が熱い&土の温度が高いため、お湯をかけているような状態になり、根を腐らせるわけです。
もくもくと各々作業をするわけなんだけれど、本当に「なにも考えない」1時間。
だんなも「ここまで無心になれる作業ってないよね」と、どんなに疲れていても畑へ毎晩出ています。
私たち夫婦はよくしゃべる夫婦だけれど、畑へ出ると、無言。

日本からたんまりと種を持ってきたので、日本の大根やら、日本のなすやら、そういうものが植わっているわけなんだけれど、芽が出ると、まるでわが子が生まれたように嬉しい。
それから、畑仲間、というのがいて、苗を交換したり、発芽の状況を報告したり、そういうのも仕事のストレスを忘れさせてくれるのがよい。
最近聞いた怪しい話は、昨年なめくじに全滅させられたいちごを今年は収穫したいため、懐中電灯を持って夜の10時過ぎに畑に出てなめくじ退治する奥さんの話。なめくじっていちご食べるのね。
近所ではきっと「あ・・・またやってる!」といわれていると思うけれど、気持ちは分かるな。

畑グッズというのがあって、麦わら帽子、軍手、長靴、これらは必需品なんだけれど、できればこれらはあまり人に見られたくない。
この間、ガスの点検に早朝やってきたお兄さん(本当に若かった!)がいて、たぶんぎょっとしていたよなぁ。
私もちょっとショックだったんだけれど(なんせ相手が若かったし・・・)早朝来るほうが悪い、と開き直った。
こうやっておばさん化していくんだけれど、それも愛嬌(だと思いたい)。

という最近です。