島便り

スペインはマヨルカ。2004年9月生まれの息子、2009年6月生まれの娘と、島出身のだんなとの4人家族の日々。

言葉の壁

2007年09月29日 | ファミリー
                      パズルに夢中な二人♪


両親が来て1週間。
練習中に掃除してくれたり、仕事で出かけるときは子守をしてくれたり・・と大助かりな毎日です。
ナルとじいちゃん、ふうちゃんは、初日は大変な盛り上がりだったけれど、徐々にナルがじいちゃん、ふうちゃんを「自分の言葉を分かってくれない外人」と思うようになり、3日目くらいには、パパ、ママがいないと駄目、というちょっと私にはショックなリアクションがあった。
前回の日記にはコミュニケーションOK、と書いたけれど、日が進むにつれ、会話も増えるわけで、言葉の壁が徐々に出てきた。
100%日本語で会話を進めてきたつもりだった私だけれど、時折はさまれるカステリャーノ語、カタラン語を訂正することなく会話を進めてきたため、たとえば「ママー、カミオン(トラック)黄色」とか「ミラー(見て!)大きなペーシュ!(カタラン語で魚、という意味)」など。結構ちゃんぽん語を使っている息子、これは私の両親には通じない。
ナルにはそれがもどかしい。
ちょうど3歳になったばかりの息子は今沢山言葉を覚えている時期なので、自分のいっていることを分かってもらえないと、少し極端なほど激怒するのだ。

もう少し懐いてくれないかなぁ・・・とおもっていたのは私だけで、両親は「時期がくれば大丈夫」とわりとのんびり。
そして、今日、私は午後フリーだったので家にいたのだけれど、ナルがじいちゃん、ふうちゃんに歩み寄りだした。
ふうちゃんとはかくれんぼう。
じいちゃんとはパズル遊び。
きっかけがなんなのかは私には分からないけれど、たまにしか会えない日本のじいちゃん、ふうちゃんと息子が笑いながら遊んでいる姿に胸が温まる。
もう少し近くに住んでいて頻繁に会えればいいんだけれどね。

帰国の時期を決めました。
来年の復活祭あたりに期間は未定だけれど帰ります。
ナルを日本の幼稚園に入れるぞ!!!




じいちゃん&ふうちゃん到来

2007年09月24日 | ファミリー
                   まだかな、まだかな。



先週の金曜日、私の両親がスペイン入りしました。
ちょうど土曜日が息子、ナルの3歳の誕生日でそれに合わせて来てくれました。

日本からドイツへ飛び、旧東ドイツが見てみたい、と3泊のライプツィヒ、ドレスデン旅行のあとのマヨルカ入り。到着夜10時半。
ナルを連れてのお迎えは無理かな、と思っていたのだけれど、朝から興奮状態の息子を説得するのは不可能。
親子3人でのお出迎え、となりました。
写真で見るとガラガラな感じだけれど、マヨルカの空港は夜の1時過ぎまで混雑状態です。その日も次々到着するドイツ人でごった返していた。

だんなの両親、私の両親、ナルの双方の爺婆の呼び方を紹介します。
まず、だんな側。
だんなの父は、カタラン語の「おじいちゃん」に当たる「プレディ」
だんなの母は、日本語の「おばあちゃん」
私の父は「じいちゃん」
そして母が「ふうちゃん」
私は両親を高校生のときからこう呼んでいるので、今さら替えるのは不自然、ということで、おばあちゃんは、義母に譲りました。義母は自分が日本語で「おばあちゃん」と呼ばれることに非常に満足していて、事あるごとに「私は日本語のおばあちゃん、と呼ばれているのよーー」と自慢してます。

ナルがじいちゃん、ふうちゃんに最後に会ったのは彼が1歳半のとき。
それでも子供はちゃんと覚えてるんだね。
頭の中がどうなっているのか不思議なんだけれど、すぐに懐いて、すでに日本語での会話が成り立っている。
家で日本語を話す人が二人以上いると、日本語の上達は早い。私一人だと限界があるけれど、会話を聞くことによって、ボキャブラリーが増えていくみたいだ。

じいちゃん、ふうちゃんは10月15日まで滞在します。

The 社会人

2007年09月20日 | Music
大学生活を終えたのは25歳のとき。ドイツでの留学が終わったときだった。
そのあと、演奏活動、伴奏業をやるようになったのだけれど、提携している事務所があるとはいえ、仕事の管理は自分でやる。つまりフリーランス。
ピアノの生徒、というのも年に単発で教えたりすることはあったけれど「自分の生徒」というのはいない。

7月。音楽院の院長から電話を受けた。
10月から、音楽院のレパートリスタとして働かないか、と。
レパートリスタというのは、日本語でいうと伴奏ピアニスト、とでもいうのかな。
いってみれば私の本業だ。
週8時間、弦楽器を3時間と木管楽器5時間、という説明だけ受けて、9月に正式採用、今週は人生初の「職員会議」というものも体験した。

とりあえず「弦楽器」の会議だったのだけれど、いったいどの楽器にあたるか、実はちょっとドキドキしていた。ヴァイオリンとチェロはだいたいのレパートリーを持っているのだけれど、コントラバスにあたったら嫌だなぁとかね。
運良く、3時間ヴァイオリン担当になり、ひそかにこぶしを握る私。
そのあと誰の担当になるか、時間割はどうなるか、など生徒との話し合いがあり、とりあえず木曜日の午前中3時間、つまり3人の生徒を引き受けることが決まる。
生徒・・・しかもピアノ科じゃなくてヴァイオリンの子たちを「自分の生徒」と認識するのもなんだか不思議な感覚だ。
おまけに、3ヶ月に一度試験があり、成績もつけなくてはいけない。

音楽院は日本でいうと大学3年、4年にあたるのだけれど(多分・・)私が受け持つ3人は全員4年生。=卒業試験がある。来年の6月が試験なので、リサイタル形式の試験があるため、伴奏者は結構大変だよ、と前から聞いていたけれど、ま、3人ならいいか、と思って余裕だったのだが、今日の会議で私が担当する管楽器も全員卒業試験を控える生徒たちらしい、ということが判明。
げげげ。

多分週3回、音楽院に午前中通うことになりそうです。
いきなり8人の子持ちになった心境。
いやいや、学校を卒業して早10年。やっと社会人になった気がする。

はて、社会人ってなんだろう・・・・・

正しい週末、エラーな週末

2007年09月17日 | 日常
                   スペイン+日本のハーフたち

この週末の過ごし方は山あり、谷あり、でした。

土曜日。
日本人の友人2名と彼女たちのだんな(スペイン人)そして彼らの子供たちを招いて我が家でBBQ.
写真に写っているのは御近所に住む3人姉弟。恥ずかしがって写らなかったもう一人の5歳のお嬢さんを含め5人の子供たちがうちに集まった。いやいや、にぎやか!
おいしいワイン、だんなたちが焼いてくれるお肉、野菜、楽しい会話・・・とこれぞ週末!!!というひと時を過ごしました。

ここ数日、マヨルカの残暑、ともいうべく暑い日が続き、外に出るのは正直億劫なのだけれど、人とワイワイやる分には全然構わない!

が。仕事となると腰が重くなる。

今日はうってかわってブルーな一日。
明日から始まるクラリネットのオーディションのために島入りしている人のために、週末返上での合わせが入っていた。
昼2時半には市内に着き、週末だということで冷房の入らない世紀末的練習場へ足を延ばし、着いたとたん来るはずだった一人が飛行機の遅れで2時間遅れる、という連絡を受ける。
合わせをしてさっさと帰ってくるつもりだった私は本を持たずに家を出たので、そばのネットカフェで時間つぶし。
日曜日だぞーーー
おまけに、4時過ぎにはあたりは騒がしくなり、なにかと思えば今日はホームグランドでのサッカーが5時からあるという。もう街中うるさい!!!
6名のクラリネットを消化し、2リットルの水も胃に入り、あまりの暑さに頭はショートしかけ、昨日とはうってかわった地獄の日曜日に悪態をつきながら帰宅。
息子、もう寝てるし・・・・

だんなが夜ご飯を用意して待っていてくれました。助かります・・・
だんな曰く、「いかに大変でも、好きなピアノを生かしてやっている以上、僕から見ると羨ましい仕事です」とのことです。
そういつも思えるといいのだけれどね。

涙、涙、涙・・・

2007年09月14日 | 日常
                栄養士の先生と。お世話になりました!!

今日で2年半お世話になった保育園ともさようなら。
思えばあっという間の2年半でした。

出産後の仕事復帰は息子が4ヶ月のとき。
仕事仲間には出産1週間後でコンサートとか1ヵ月後に子連れツアーとかいうツワモノがいるのだが、妊娠が分かった時点で、復帰は自分が「いまだ!」と思ったときにしようと考えていたので、出産前に組んだスケジュールもかなり余裕を持って考えたつもりだった。
が。現実は厳しい。
4ヶ月のとき、バレンシアでのコンサートが仕事復帰となったのだが、本番前にパンパンに胸が張り、舞台に上がってからもあまりの痛さに倒れそうになる。休憩時間にはホルスタインよろしく控え室でおっぱい絞ってました。
とにかく予想できないこと続きの出産後。義母の助けを借りながら6ヶ月までは夫婦二人で頑張っていたのだけれど、今度は練習時間がとれない!
というわけで息子の保育園デビューは6ヶ月のとき。

Polissonという名の出来立ての保育園。マヨルカ語で「いたずらっ子」という意味。
1歳になるまでは、持参する離乳食を食べさせてくれ、1歳からは栄養士さんが毎日作ってくれる給食になる。
小さい保育園だけれど、保母さん6名と栄養士さんで、1歳未満のBabyクラス、1歳から2歳の2クラス、2歳から3歳の2クラス、という分け方になっていて、催しものも多かった。

入園当時は「大人しくてよく寝ていい子ね」といわれていた息子も、1歳になり、ハイハイをするころから悪がきと化した。
1歳半を過ぎ、歩くようになってからはいたずら度が増し、壁に向かって立たされる、ということがほぼ毎日。
嫌いなものが給食で出ると、口の中に食べものを溜め込んだり(お昼寝のあとに保母さんに発見されたこともあった!)、机の下にこっそり落としたり、とにかく保母さんたちを手こずらせた。

カステリャーノ語、マヨルカ語、日本語と3ヶ国語で育っているため、保育園でもたまに日本語が出るらしく、保母さんたちも「おはよう」「じゃあね」「ありがとう」を覚えてしまったくらい。
悪がきだけれど、泣いている子には非常に優しく、笑わせようと泣いている子の前で踊ったり歌ったりすることも。
つまりどうやったって、保母さんの頭にインプットされちゃう子供なのだ。

今日の3時。お迎えに行ったら、3人の保母さん、栄養士さんが出てきた。
2歳からのクラスの先生は?と聞いたら、「もう泣いて泣いて出て来れない」という。どうしても直接お礼がいいたいの、といったら、真っ赤な目をした保母さん3人が出てきて、結局みんな泣いてしまった。
つられて私も泣いちゃったよ。
息子はそんな私たちを見てびっくりしていた。

制服を着た姿が見たい!というので、来週、幼稚園のお迎えのあとに寄ろうと思う。
赤ちゃん時期が終わったな、と実感した一日だった。

お料理教室

2007年09月12日 | 日常
・・には通ってません。

週に2回から3回、車校に通い路上運転をするようになってから早1ヶ月。
これが楽しくて仕方ない。
車を運転することも去ることながら、車内で繰り広げられる会話がとにかく楽しい。
そう、うちの車校の先生、エドワルド(称してエドゥ)は、初日からラジオで音楽をかけ、車ではずーーーーーーっと話している。初日からこうだったので、運転の練習というのはこんなものかと思っていたら、日本で免許を取ったマヨルカ在住の友人が「ラジオーーーー!????」と驚きの声をあげた。
ラジオは普通じゃないらしい。

エドゥは下っ腹の出た50過ぎのおじさん。奥さんと共同で自動車学校を経営。
いけ面の二人の息子のうち、一人が家業を継ぐべく、今、教員試験を受けている。

たとえばある日の路上練習はこんな感じ。

エドゥ「さー、行ってみようかーー。昨日はさ(と、いきなり会話スタート)、うちに友人10人くらい呼んで飲み会だったわけさ。あ、次、右な。いい蛸が入ってさー、やっぱり蛸といえばPulpo a la gallega(ガリシアの蛸料理)だよな。ギア3にしろよ。作ったことあるか?え?ない?じゃ、教えるけれどさ・・・・」

と延々とつづく。
彼が黙るのは、高速道路に入る瞬間だけ。そのときは少し教員らしく指導してくれるけれど、高速に入ったとたん、再び会話が始まるのだ。
会話ですから、私もちゃんと答えます。
最初はうそだろ?と思ったけれど、そうこうしているうちに、考えなくてもギアの操作ができるようになってきた。
もしかして彼の指導方針なのかもね。

毎日、料理の話をしているわけではないが、彼が教えてくれる数々のスペイン料理のレシピは、ものすごーーーーく美味しいのだ。律儀に毎週末、試す私も私だけれど。
今まで何度もパエリアを作ってきたけれど、エドゥのレシピが一番美味しかった。
だんなも絶賛。
「学校でなに習ってるの?」って聞かれた。

こんなエドゥも、試験の同乗はすごく緊張するらしい。
もう30年近くこの仕事をしてきているけれど、全然慣れない、といっていた。
そんな人間味あるエドゥは生徒たちの人気者です。

入園準備

2007年09月09日 | ファミリー
14日から通う幼稚園の制服を試着してみました。

早いもので2004年9月生まれの息子が今週の金曜日から幼稚園へ通う。
なぜに金曜日??と思っていたのだけれど、金曜日はオリエンテーションのみ、11時から12時半まで、という時間割。通常スケジュールはその次の水曜日から始まるらしい。

ここは幼稚園から高校までの一貫教育の学校で、7年前までは女子のみの学校だった。
実は、この女子校だった時期、私は音楽鑑賞授業のピアノ演奏としてこの学校を訪れている。
初めて行ったのは1999年、ピアノソロとして訪れ、生徒の反応のよさ、先生方の熱心な教育姿勢に好感を持ち、音楽の先生との話し合いでその後も2回、チェロ、オーボエ、と相手を連れて出かけた。
おまけに、スペインの合唱コンクールで常に上位に入る合唱団を持っている学校なので、1度メノルカ、マドリットとピアノ伴奏で引率したこともある。
まだそのころ子供のいなかった私は「女の子ができたらここに入れたいな」と思っていた。
でも生まれたのは男の子。そのころすでに共学になっていたのだけれど、そのことを知らなかった私は最初からこの学校は候補校からはずしていた。

今年の3月、みなが「学校どうする?」という話題をするころ、この学校の音楽の先生から「学校はどうするの?」といわれたのがきっかけで、共学になったことを知り、だんなにも学校を見せ、ここに入れたい!という希望を再燃させたわけだ。

木曜日に息子を連れて入園手続きに行ってきたのだが、受付の先生、園長先生、校長先生、もちろん音楽の先生・・・と知り合いだらけ。
さらにびっくりだったのが、息子はD組に入れられたのだけれど、ピラールという名前の息子の先生は音楽の先生(つまり私の友達)の教え子、そしてC組から勢いよく出てきた若い先生が「ゆうこーーーー待ってたよーー!」と声をかけてきて、知り合い????と首をかしげていたら、彼女は私が音楽鑑賞教室に行ったとき、生徒としてここの学校にいたらしい。
息子が幼稚園、ということにも時間の経過の早さに驚くが、自分が担当した生徒たちが先生になっている、という事実にも愕然とした。8年、という年月は人を母親にし、人を先生にもするのね。

とりあえず、息子は入園を楽しみにしているのでほっとした。
14日に泣くか、泣かないか、それはまた別問題だけれど。

水分補給

2007年09月05日 | Weblog
日曜日に行ったCan Picafortの海。息子のために砂浜を選んだので、マヨルカでも「超」がつく大観光地だけれど、そのわりには浜辺も綺麗だった。

さてさて、9月ですね。
時間がたっぷりあった8月に見ないふりをしていた楽譜たちが、いつものように山積みになっている。計画性のなさに毎度反省。
来週から始まるブラスのクラリネット部門の試験の練習が始まっているのだが、フランセ、コープラン、ボッサ、ニールセン、ゴトコフスキーなど、管楽器に携わらなければ縁のない作曲家たちの、しかもピアノ伴奏者には非常に弾きにくい曲ばかりの練習で、休みぼけの頭には少々きつい。
昨日はブラスの練習場へ出かけての練習だったのだけれど、クーラーが壊れている、といわれ、4時間クーラーなしでの拷問状態!
頭がぼーっとしてきた数時間後、「この症状は・・・」とはっと気付いた。
The 脱水症状!

夏が来~れば思い出す♪ではないが、私は脱水症状で救急車で運ばれたという前科もち。しかもつい数年前の出来事なのだ。

4年前の8月、私は講習会の仕事でフランスのニースに滞在していた。
その年は酷暑、といわれた年で、それでもマヨルカよりはマシだろう、と余裕だったのだが、そこに落とし穴があったのだ。
冷房がない・・
もしかして、もうニースには冷房があるのかもしれないが、4年前には、コンセルヴァトワールには冷房はなく、朝9時から夕方6時まで、冷房なしの部屋で汗が顔に落ちてこないように頭にバンダナを巻いてピアノを弾いていた。そのくらい暑かった。おかげで「あの伴奏者の国籍は・・?」といわれていたらしいけれどね。
受講生は1時間で出て行くからいいけれど、伴奏者はそういうわけにはいかない。
バスにもクーラーがなかった。
ホテルにもなかった。
というわけで、4週間の仕事なのだが、最後の週は熱は出るわ、悪寒はするわ、吐きまくるわ、もう大変だったのだ。

帰りの便はニース→マドリット→マヨルカという乗り換えだったのだけれど、マドリットで文字通り私は倒れた。
空港の救急室で「マドリの病院へ運びます」といわれ、4週間家に帰れずこの上、マドリットで足止めなんて嫌だーーー!!!と声はほとんど出てないが抵抗に抵抗を重ね、マヨルカまでどうやって耐えたのか記憶にはないが、なんとか帰還。空港で私を待っていたのはだんなと救急車。

大変な病気になってしまったんだ・・と思っていたら、診断は「水分不足だね。体が脱水症状になっている。点滴したら治るよ」と数日の入院で終わり。
本当に子供みたいだけれど、水分は採らないといけません。

明日もブラスの練習場なんだけれど、クーラー直っていますように。


島縦断

2007年09月02日 | 日常
1ヶ月前から、だんなの仕事関係のドイツ人から9月1日パーティーがあるから是非!と招待されていた。場所はパルマから車で40分くらいのPollensaという村の外れ。
なんでもドイツでは大変有名なロック歌手らしいのだけれど、音楽あり、食事あり、子供たちも沢山来るよ、ということで楽しみに出かけたら、まず人の多さにびっくり。
少なくても300人は来ていた。
パーティーは1時からスタートだったのだけれど、私たちが出かけたのは4時過ぎ、すでにビールで出来上がった大きな大きなドイツ人たちが、ライブ演奏を聴きながら「アイン、ツバイ!」と縦のり。
しばらく絶句の夫婦+縦のりはあまり好きでない息子という我が家族、早々と退散。

せっかくの土曜日なのに予定がなくなったじゃないか!と誰に文句をいったらいいのか分からないまま車を北へ走らせる。

Alcudiaというわりと大きな村へ到着。海を見がてら、飲み損ねたビールを飲み(海辺で飲むビールってなんでこんなに美味しいのだろうか・・)そういえば母方の祖母に1ヶ月くらい会ってないから会いに行くか、と車をターンさせ、島の真ん中あたりのCanpanetまで走る。

この村、私の義両親の里であり、だんなが生まれ育った村でもある。
村へ入ったとたん、点在するバーから親爺たちが「オラーー(Hello)」と声をかけ、駐車して車を降りるなり「コンバー(元気か?というマヨルカ語)」と肩をたたかれ、息子は広場へ直行する。
住むと結構近所付き合いなど面倒そうだけれど、たまに行くには村は和んでよい。
とくに息子は喜ぶ。
広場に集まる沢山の子供たちと混ざって遊ぶのがとても楽しそう。

祖母と少し話をし、すでに夕食を作る気力がないということで、途中でピザを食べ帰宅。
なんというか、予定が狂った土曜日だったけれど、久々に家族でまったり過ごしました。
明日は海へ行くよ。