島便り

スペインはマヨルカ。2004年9月生まれの息子、2009年6月生まれの娘と、島出身のだんなとの4人家族の日々。

出来そうで出来ないこと

2008年09月28日 | ファミリー
 パーティー会場を提供した叔父宅の敷地内を散歩するナルとだんなの従兄弟


だんなの家族は結束が固い。
ドイツ時代、「彼女」としてマヨルカへヴァカンスで来ていた時は、彼のビッグファミリーを、映画みたいだ、と感じた。
マヨルカに住むようになってからは、この結束を重く感じ、うんざり時代に突入。
数年後、自分もビッグファミリーの一員なんだ、と自覚するようになり、家族行事は進んで参加するようになってきている。

だんなの両親は離婚しているため、家族行事は一度で住むものが二度、人の倍ある。
双方ビッグファミリーなのだが、私が「絶対参加!」したいほうは義父方ファミリー。
長であるだんなの祖母、その長男である私の義父を中心に、みんなで美味しいものを食べ、飲み、大声で笑い、たまには食事中に激しい喧嘩もあり、それでも数分後には肩を組んで笑っている、そんな「カラっ」とした家族なのだ。

2年前、だんなの叔父が大腸癌を患った。
手術もうまくいき、元気な姿でその後も何度も一緒に食事をしてきた。

ところが、今月になり、転移していることが伝えられ、叔父自身が医者であるため、告知。家族みんなに報告があったのが数日前。
叔父の報告によると、状況はかなり厳しいとのこと。
一族全員が言葉を失った。

そんな叔父が一族、そして気の合う友人みんなで食事をしたい、といってきた。
美味しいコチニージョ(前にも書いたけれど仔豚の丸焼き)をシネウという村から仕入れるから是非みんなで食べよう、と。

そして今日土曜日、30人近くが集まり、もう一人の叔父宅でコチニージョパーティーが開かれたのだ。
正直、私は気が重かった。
話によると、病気の叔父はすでに治療が始まっていて体力も落ちていて、杖をついているという。
表面だけで笑って「励ましの会」みたいになるのは嫌だなぁ・・・と思った。

ところがそんな不安は取り越し苦労だったのだ。
天気もよかったので外で食べよう、と、素敵なテーブルセッティングがすでに用意されていて、いつものように、ワイン片手に和気あいあい。
叔父も確かに杖はついていたけれど、自分がオーダーした黒豚の丸焼きをみんなががっつくのを嬉しそうに眺め(もちろん自分も食べてた)この集まりの趣旨も瞬く間に忘れ、数時間後には全員が酔っ払い。

スペイン人は先のことを考えず、そのときそのときを楽しむ国民といわれている。
口でいうのは容易いけれど、そんなに簡単なことではない。
自分が病気になったとき、自分が企画してパーティーが出来るか???と問われると、私は「No」と答える。
今日のために、各国に散っているだんなの従兄弟たちがわざわざ帰ってきた。そして
「帰ってきてよかった」といった。

誰も病気の話題は出さなかったけれど、帰り際の叔父への抱擁は、全員がいつもより長かった気がする。
言葉に出さなくても全員が同じ思いなんだなと、胸が熱くなった。

この家族は私のマヨルカの誇りです。

60の手習いー孫のためならえんやこらー

2008年09月25日 | ファミリー
右端が義母のフランシスカ。
かれこれ2年くらい前の写真です。一番左はフランシスカのお母さん(ナルの曾お婆ちゃん、彼女もフランシスカっていう名前です)、この日は彼女の82歳のお祝いで家族が集まりました。

で、フランシスカ(義母)ですが。
ことの発端は夏休み後半の彼女のひとこと。
私とナルの日本語の会話を聞きながら

「ナルの日本語を理解したい!」

私の日本語ではなく、あくまで、孫のナルの日本語を理解したい、という彼女。
いやいや、孫の威力ってすごいよねぇ。

マヨルカにはいくつか語学学校があるけれど、まだ日本語があるところはあまりない。私が知っているのは一つだけ。
それはベルリッツ語学学校。
しかも、そこの日本語の先生はこのBlogでもよくコメント欄で登場するIzumi氏。

彼女はいろんなところで翻訳をしている人だけれど、語学学校の先生でもある。
私の知人で彼女の生徒がいて、とにかく楽しくて仕方ない!最高の先生だ、と聞いていたので、フランシスカにも
「友人で日本語の先生がいるけれど?」と伝えた。
これがFormentera旅行の前日。

Formentera滞在中、彼女から連絡があり
「週一回、個人授業を受けることにしたわ~!」と、とても嬉しそうに報告してくれた。
かなり・・・・・びっくりしました。本気かよ!と。

ちなみに彼女は私がだんなと付き合い始めたころまでは、高校の歴史の先生だったのだが、持病の糖尿病を理由に早々とリタイア。
リタイアしてからは、自由な時間を旅行、そして語学に費やした。
これまでに、英語、そしてアラブ語をやってきている。
何語を話しても、マヨルキンにしか聞こえないんだけれど(本人、自覚あり!)楽しそうだし、実際、その言葉を使って旅行したりしているので、よくやるなぁと思っていたのだが、まさか日本語をやるとは!

予想通り、授業は最高に面白いらしく、授業初日の夜、早速電話。
習いたての日本語を使いたいフランシスカ。
孫のナルに
「こんにちは(すでに夜9時だったので間違ってますね)。私はビールを飲みます」



孫のナルが電話口で
「おばあちゃん、ビール?」というので発覚したんだけれどね。

昨日も彼女のお宅へ行ったとき、私とナルが日本語で話していたときに

「今、『あした』っていったわよね。それは『マニャーナ』っていう意味よね???ね???」
といわれた。

「すごいじゃん、あってるよ~」と褒めたら

「今年のクリスマスはね、あなたのご両親に日本語でクリスマスカードを書くのよ!」。

無理だよーーーそれは無理ですよね?先生?????

でもこのやる気。本当に感心します。

一番笑えるのは、ナルの一言。
「ママ、なんでいきなりおばあちゃんが日本語????」

あなたのために頑張ってるんです!!!!

あれから4年・・・・

2008年09月23日 | ひとりごと
                      後姿は「一応」真剣!


昨日9月22日は息子ナルの4歳の誕生日。
早い、早い、早すぎる!!!
あの破水、あの陣痛、あの出産(超安産らしいが本人は死ぬかと思った!)から早4年。
一緒に旅行に行ったり、一人で友達の家にお泊りしたり、確実にお兄ちゃんになっているんだけれど、親としては信じられない気持ちでいっぱいです。
私はどちらかというと、赤ちゃんよりも言葉でコミュニケーションがとれる3歳以降の子供のほうが好き。
でもまわりのお母さんは「10歳までだよ~そのうち、親はあっちいけっていわれて寂しくなるんだよ~」というんだけれど、実はうちの息子、すでに「ママ、もういいから向こう行って」っていうんです。
すでに親離れ????
まあ、いつまでもべったりよりは自立していていい気がするけれど、それでも初めてそれをいわれたとき(ほんの数ヶ月前のフランス旅行がきっかけ)は、結構ショックでした。
「え?今、向こういっていい、っていった???」ってね。

幼稚園は先週の月曜日から始まりました。
去年は初めての幼稚園(年少さん)で、確か3日間くらいお試し期間があったはず。
お試し期間というのは、初日は9時登園、11時半下校、次の日は12時、そして1時・・・とのびていき、4日目から通常通り給食つきで4時半下校。
私立の学校はたいていこういう時間割になっているんだけれど、3歳児がいきなり9時から4時半まで、大半が遊んでいるにしろ、体がもつのかな?と思っていたのだが、ちゃんと疲れる子のためにお昼寝ルームもあるみたいで、ナルは年少さんのときはお昼寝組に入っていたらしい。

年中さんになると、初日からこの9時~4時半の時間割で、さらにうちは今年からチェロを習わせているので、4時半にナルを迎えにいったあと、週2で5時半から6時がチェロ。
きつかったらチェロは延期してもいいかな、と思っていたのだが、やはり1年たつと幼稚園のペースにも慣れるみたいで、元気に下校してきたあと、張り切ってチェロやってます。

この習い事。
週2とはいえ、家で練習しないとなんの意味もない習い事、しかも、その「練習」にかけては練習歴33年近い親がそばにいるわけで、息子が「もういやだ!」といわない程度に監督しているんだけれど、これが結構難しい。
習わせる前は「本人が楽しければいいよね」とだんなといっていたのだけれど、いざ始めると、やっぱり先生のいったことをちゃんと習得させねば・・・と、どうしても厳しくなってしまうのです。
いかん、いかん、と「上手に弓が持てるようになったね~」といってみたりするんだが、その数秒後に「構えがちっがーーう!」と巨人の星の父ちゃんみたいになっちゃうのだ。さすがにちゃぶ台はひっくり返しませんが。
「忍耐」という意味では私にもいい訓練です

そうそう、習い事といえば、うちの義母がこのたび○○○を始めました。
この話は次回。

病み上がりBBQ

2008年09月14日 | 日常
それは1週間前の日曜日に始まった。

息子の「ママ、おなかいたーい」

「いたーい」の「い」の字が終わるや否や、吐いた。しかも激しく。
久しくこういうことがなかったので、一瞬かたまったけれど、吐いたあとはけろっとして遊んでいる。なんか変なもの食べたか?と思ったが、あまり気にせず水分だけとらせていたら、これまた吐いた。
おなかのウイルスだな、と判断し、二日間、スープからスタートしてうどん、おかゆと病人食。

おかげで火曜日には普通に食事ができるように。ほっ。

水曜日。息子の習い事を夫婦で見に行ったのだけれど、そこでだんなが
「寒気がする・・・」
家に帰っても寒い、寒いと連呼するだんな(普段は異常な暑がり)
そのうち
「腹がいてー」と言い出し、その日の夕食はパス(相当重症)。

寝る前に
「すいませんが、今夜はかなり激しい夜になると思われるので、別室で寝てくれない?」といわれ、家庭内別居(ちょっと違うか・・?)

朝、げっそりしただんなに、昨夜の状態を聞く。かなりヒートアップした夜だったらしい。トイレに何回も起きたんだけれど、YUKO,起きなかった?といわれ

私「熟睡させていただきました~!」

まったく、うちの男どもは、弱いなぁ。母ちゃんは出産前までかなり虚弱体質だったけれど、産後はぴんぴん、子供が風邪ひいたってうつんないもんねぇ、と余裕の笑みまでうかべ、引き続きだんなのために病人食を作る。
ナルはスープ(スペインではソピータと呼ばれる鶏でだしをとったスープに細かいパスタを浮かべる幼児食のひとつでもある)が大好物なので、パパの病人食にも文句いわず、同じものを食べていた。
私も一人だけ違うもの作るのも面倒で、病人食。
早く、いつものようにがっつり食べようよ~と思ってたけれど、仕方ない。

だんなが動けるようになったのが金曜日の朝。
その日の夜は、スペイン人の友達と長電話をしていた私。
というのも、この友達、この夏に彼ができまして、話したくて仕方ないのね。

しばらくすると、おなかが痛くなってきた。
相槌も「へー」から「うーー・・・」に変わって来て(それでも気が付かず話すあっぱれ友人!恋はすごいなぁ)
最後はだんなにいわせると日本語で
「もう切るわ」
といってたらしい。

即効トイレーーーー

こんなに気持ち悪いのはいつ以来!!!っていうくらい、恐ろしい吐き気が数分起きにやってくるのです。

私もその晩は激しい激しい夜になったため、またもや家庭内別居。

巷ではやっているかは知らないけれど、いやいや、一週間、我が家はおなかのウイルスにやられました。私は熱まで出たわい。

というわけで、1週間続いた病人食にうんざりした我が家は、家族合意のもと、今日のお昼はBBQと相成りました。
写真のソーセージはイベリコ豚のソーセージで激ウマです。

明日からナルは新学期スタート。
年中さんだよ

Formentera編 その4

2008年09月07日 | 旅行
毎晩繰り広げられる子供ディスコの一場面。「お母さんと一緒」みたいな感じかね。

このホテル、というか、この島の観光客はなぜだか7割がイタリア人。次いでスペイン人、ドイツ人(どこにでもいる恐るべしドイツ人!)。
夜、いろんな国の子供が集まって、いろんな国の歌に合わせて踊り、歌い、友達になり、まさに子供天国なオーガナイズがあるこのホテル。
ナルも初日からとけ込んで、沢山の友達が出来ました。

初日は、「振り付けわかんないよ」といっていた息子だけれど、もともと踊りが好きな彼はすぐに踊りを覚え、気づいたら舞台の真ん中で踊っていたり、なんちゃってドイツ語で歌まで覚えたり、親ばかでですが「よくやるなぁ」と感心。

親はそんな可愛いわが子を見ながらモヒト(ラム酒ベースのキューバのカクテル)を飲み、ほろよいで部屋へ戻る。そんな毎晩でありました。

さてさて、復帰じゃー。仕事じゃー。

終わり。

Formentera編 その3

2008年09月07日 | 旅行
こちらがお気に入りビーチ。別に指定されているわけではないけれど、全員全裸で泳ぎます(もちろん水着着てもOKだけれどね)。

このビーチを発見したのは2回目のフォルメンテラ滞在のとき。
うちのだんなは、基本的に全裸で泳ぐのが好きな人なので、許されるところならすぐにすっぽんぽんになるんだけれど、私はトップは外しても、下まで脱ぐことはマヨルカでは、まずない。
ちなみにトップを外すと肩のところに水着の後がつかなくて、ドレスなどを着たときに格好よい、というのが私の理由の一つ。一度やると病みつきになります。

で、このヌーディストビーチで、数年前私は初めてすっぽんぽんデビューしたわけなんだけれど、いやー気持ちよい。
で、泳いでいたら、向こう側からアジア系の若い男性がすいすいと泳いでまいりました。
この島でアジア人を見たのはこの時だけなんだけれど、お互い顔だし平泳ぎ状態で、なんとなく挨拶したほうがいいかなぁと思い、ハローかなぁ、ニーハオかなぁ、オラで通じるかなぁ、なんと思ってたら

「こんにちわぁ」



日本人だったのだ。
顔だけ出して少しお話して、さて、そろそろ海から出ますか・・・というとき。


ぎょえっ。二人とも全裸・・・・

別に気にしてないわよぉという顔を作って浜まで上がりましたが、実はかなり恥ずかしかった。
まわりがみんな外国の人~と思うと恥ずかしくなくて、同じ国の人だと恥ずかしいのはなぜでしょうか。


そんな経験があるこのビーチ。
老いも若きもぶらんぶらん状態で、みんな泳いでたよ。

続く。

Formentera編 その2

2008年09月07日 | 旅行
フォルメンテラ島での日課はひじょーーに単純。

朝9時起床。顔だけ洗ってビュッフェ式朝ごはん。
朝10時過ぎ。水着に着替え海へ。

昼2時ごろ。お昼ごはん。近くのレストランで食べてもよし。ホテルの屋台で食べてもよし(私らはいつもこれをチョイスします)。朝ごはんのビュッフェで堂々とお昼ご飯のサンドイッチをこさえるのもよし。

3時過ぎから5時まで部屋で休憩。

夕方5時。再び海へ。プールで泳いでもよし。

夕方7時。部屋へ戻りシャワー。小奇麗になったらディナーへ。

夜8時。ホテルのこれでもか!というほどのバイキングでディナー。日替わりの見事なバイキングは5日間の滞在、飽きることなく堪能しました。

夜9時。子供ディスコ&大人バー
このホテルは夜のバイキングタイムが2回に分かれていて、子連れの人、またはドイツ人のように早めに夕食をとる人たちは7時から9時までのバイキングへ。イタリア人、スペイン人のように夜が遅い人たちは9時半から11時のバイキングへ繰り出します。
子供がいないときは私たちも9時半からのバイキングへ行っていたのだけれど、ナルと一緒の前回、今回は7時からの夕食をとり、そのあとホテルのバーで子供たちの踊りや歌を見ながら大人はお酒を飲む、こういう段取り。

夜10時半から11時。就寝。

単純過ぎて怖い。
でもこれぞヴァカンスなのだ。

写真はホテルから私たちのお気に入りビーチへ向かう道。ホテルから子供の足で20分くらい歩いたビーチに毎日行ってました。

続く。

最後のヴァカンス Formentera編 その1

2008年09月07日 | 旅行
8月の最後の週末からだんなが夏のヴァカンスに入りました。
3月の日本旅行で1年でもらえるヴァカンスの大半を使い果たしただんなくん。
残りは夏に家族でフォルメンテラ島へ行こうね、と決めていた。

フォルメンテラ島というのは、ここマヨルカ島から船で3時間ほど行った小さな島。
マヨルカ島、イビサ島などを含む100近い島からなるこの地域をバレアレス諸島というのだけれど、バレアレス諸島の中で人が住んでいる島は、マヨルカ島、メノルカ島、イビサ島、そしてフォルメンテラ島。

フォルメンテラ島へ行くには、まずイビサ島まで飛行機なり船なりで行き、そこで小型船に乗り換え。日本でいうと沖縄の離れ島みたいな感じ(多分・・・行ったことないから分からないけれど)。

この小島になにがあるかというと。

なんにもありません。

ひたすら、海、海、海。

太陽の苦手な人、海に興味がない人には、なんの魅力もない島であります。

私たちは、子供が生まれる前からこの島の虜になり、今回が4回目の訪島。
ナルは2年前に初めて行ったので、これが2回目。

写真はフォルメンテラの港。小さくてのんびりした風情ある港です。

続く。