私が島に来て最初に得た仕事。
1998年から25年間勤めた合唱団を退団しました。来年70歳を迎えるJoanがこの8月のコンサートで退団するため、新しい指揮者と続行するか、一緒に辞めるか、年明けから迷いに迷いました。
新任指揮者のオーディションは5月にあり第一次審査はピアノ合わせ、二次審査はピアノと合唱、そのあと初見やらアカペラやらが最終審査であり、私はニ次まで担当したのですが、膨大な課題曲にまず目眩、ほとんどの曲をやったことあったのが幸いでしたが、ストラヴィンスキーには泣かされました。
最終審査を通過したのはカールスルーエで合唱団を持っている女性指揮者。
私より一回り若いかな。
世代交代、という意味では私も交代するのは悪くない。一区切りという意味も含めて。
家族のように接してくれた団員ともお別れです。個人的にこれからも会いますが、週二回の練習日に同じ場所で顔を合わせるということはなくなります。
団員には私も退団することは伝えていなかったのですが、練習最終日には伝え、最後に私のリクエストでフォーレの曲を合わせ
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途中から全員号泣…
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数分後には爆笑していた私ですが、Joan,団員には感謝の気持ちしかありません。
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常に持ちつ持たれつ、の関係でした。何回も書いていますが、マヨルカの人はあまり外部からの人に心を開かないと批判されがちですが、私が今まで一度もその感覚を味わなかったのはもちろんNadalといることに加え彼らに島に来たての時に知り合い言葉も拙かった私をすぐに受け入れてくれたから。
25年に拍手。
25年に終止符。