今日でちょうど三週間。
あの日もこのくらいの時間でした。
11:00.
仕事中で12:00からは学期末テストを控えているところで、ナダールから連絡を受けました。
パパが亡くなった。
なにかの間違いなのか、聞き間違いなのか。
でもナダールの声が事実だということを物語っていました。
心臓発作。
前日は大好きなゴルフをして、自宅で泳いで、いつものようにパートナーのドナと夕食をとり、明日はゆっくり寝てたいから、起こさないで、とベットに入り、そのまま目を覚ましませんでした。
きっと本人も死んでしまったことに気づいてない。
この写真は亡くなる3日前。こういうレトロな車でも買おうかなあ、なんていって友人と遊んでいたそうです。
友人が送ってくれました。
お通夜では、私の知らない義父の友人が続々と集まり、驚きと悲しみの中、思い出話に花が咲きました。思い出話といったって、つい前日の人もいたりで、それは辛い時間だったけれど、話を聞けたのはよかった。
ちょうどユイのコンクール受賞の話題で前の週に盛り上がっていたそうで、友人たちもまるで自分の孫のように、その場にいたユイを祝福してくれました。
そういえば、義父のベットサイドにユイが載った新聞が置いてありました。
友人たちは、ワイン仲間、ゴルフ仲間など、リタイアしてからよく集まっていた人達。
彼らが、私を見て
「あーきみが自慢の嫁さんかあ」
と言ってきたのには正直驚きました。
可愛がってもらったけれど、私と義父は面と向かってよく衝突したから。
でも言いたいことを顔を見ていうので、後味は悪くなく、必ずそのあといいワインを開けてくれました。
まあ飲めや、みたいな感じで。
1995年、ナダールとドイツで知り合って、夏休みをマヨルカで過ごすことになり、空港に息子の彼女を迎えに来てくれたのが出会いでした。
こちらでは彼や彼女の両親も名前で呼びますが、日本を離れてまだ日が浅かった私は、なんとお呼びしていいのかわからない。おまけに自分の彼と同じ名前。
なので、息子たちと同じく「パパ」と呼ばせてもらいました。
ヘンテコリンなアジア人にいきなりパパと呼ばれて、どう思ったんだろう。
でもそれからずっとパパ、と呼び続けることになりました。
サングラスをかけて、大きなVOLVOに乗り、なんだか異次元なところに来ちゃったなぁ、と思った事を昨日のことのように思い出します。
享年70歳。
健康面になにも問題なく、もっともっとリタイアライフを満喫したかっただろうパパ。
3週間経って、悲しみは癒えて来ているけれど、寂しさは増すばかりです。
今、会いたいね、とナダールとよく話します。
ナダールはパパっ子なので、相当参っているけれど、日々やることはあるし、こうやって時間が過ぎていく。
昨日、パパの自宅の庭師に指示を出しに行ったナダール。
庭師さんに「指示の仕方が親父さんにそっくりだ」と言われたそうです。
姿はなくなっても、どこかで繋がっている感じで、ナダールが笑いながら話してくれました。
時間と共に忘れることと、時間と共に浮き彫りになることの両方が、残されたものが味わう近親者の死、なのかもしれません。