気づいたら11月も半ば近く。それでもまだ生ぬるい風の吹くマヨルカです。
といっても、この間、大きな暴風雨があり、集中豪雨のおきまり→渓流決壊→「家の前通行止め」があり、家が孤立・・・という事態発生。
ま、慣れているんだが困りますね。
さてさて、まとめてざっとアップしますが、色々あったようななにもなかったような。
ハローウインなんかもありましたね。別に我が家はなにもしないのだが、たまたまシーツを干している日だったので
これ、わたし。誰がやってもこうなると思うが、これわたし。
いえーい、はろーういんだぞー、
という軽い気持ちだったのに、娘ギャン泣き。息子ダッシュで逃げる。そんな場へ帰ってきたNadalさんに「まじで怖いから早くとれ」といわれ、たった10分で我が家のハローウイン終了。
自分たちは顔にペインティングしたりするの好きなのにねぇ、ひどいわ、まったく。
ナルの学校の友達の誕生日会でペインティング中のお兄さん。
私にはよく分からんが「アイロンマン」なんだそうです。これを見た妹さんが黙っているはずはなく
こんな平和な日もあったなぁ・・・・、と、今写真を整理しながら数日前を振り返る・・・・
11月1日は万礼節の祝日。ヨーロッパはおそらく全部この日はお休みだよね。日本でいうお墓参りの日です。
この日は叔父宅で宴会。
数年前にも書いたのだが、叔父は大腸癌を患い、治療中。治療法が合ったのか、経過は良好だったのが、ここへ来て肺への転移が見つかり、ちょうどこの日の2週間前、バルセロナで手術をしました。
この日は前からこの叔父宅で宴会予定だったのだが、手術のあとだし、日を改めて・・・と、まわりが考えていたのに、当の叔父が「集まれー!」号令をかけ、本当に予定通りに宴会決行。
叔父も元気な姿を見せ、「まだまだ遊ぶぞ」宣言をしていました。
というわけで普段どおりの飲み食い。
そして大型犬にはしゃぐ我が家のKids.
犬のいる生活、というのに憧れるなぁ・・・
そして。
ここから生活が一転(おおげさか・・・)。
我が家の頼みの綱、フランシスカが11月の末まで中国へ旅行へ行ってしまいました。
彼女のパートナーはイギリス人ですが、今の勤務先は上海から数キロ内陸へ入った「にんぼう(漢字は分からん)」というところ。
こんな機会でもないと中国へは行かないと思う、と、行動力のある彼女は思い立ったその日から旅行会社と相談してプランを練りだしました。せっかく行くんだから、色々見てきたい。そう、彼女はリタイアするまで高校の歴史の先生だったので、中国史にも非常に興味を持ち、まずは上海に行く前に北京へ行ってツアーに参加する!と言い出しました。
おいおい、大丈夫か???という声がほとんど(とくにここ、マヨルカは保守的な人が多いのでね)だったのにも関わらず楽しそうに計画を話してくれる彼女。
その横で「その間、わたしはどうしたらいいのでしょうか・・」と途方にくれる私・・・
もちろん、そばにいても、いつも感謝してますよ。が、いなくなると、彼女の日ごろの協力に土下座したい心境。
彼女が無事北京に着いた、と聞いた日に、結が鼻水を出し
翌日にはNadalが「ちょっと風邪気味」と言い出し
みんなに「今倒れたら承知せん!」と鬼母を演じて(地が8割・・)乗り切ったかと思ったのに
鬼母ダウン。しかも、半端ない扁桃腺で高熱を伴い、ベットから起き上がれず・・・
息子のテスト週間(小学校2年でテスト週間って、わけわからないんですが)で、水枕をしながら
地球の自転だの公転だのを、よりによって「カタラン語」で覚えなくてはいけなくて、頭痛アップ。
(なぜ教科書に平仮名で「なる」とか、太陽の中に「あ」とか書いてあるのかは熱のためスルーしたが、今となってはやはり不思議・・・授業聞いてるんだろうか・・・)
やっと熱も下がり、ふと気がつくとその週は現代音楽週間となっており
朝の9時からこんな楽譜を見ながら公開レッスンを見守り(客員教授はバーゼル音楽院のMarcus Weiss。岡部夫婦の友人でもあります)まだまだげっそりの日々・・・でした。
フランシスカが帰ってくるまで、まだ2週間強ある・・・
まわりには「シッターさん雇いなさい!」と強くいわれたのだが、家族、友人以外に子供を預けたことがないので、いまさら誰かに・・という気持ちになれず、いまだ意地をはったまま戦場状態を続けています。
とりあえず、この方たちが元気なら大丈夫、と言い聞かせて。