小笠原日記

夫婦で小笠原に移住予定です。どんな生活が待ち受けているか?とりあえず小笠原の生活を綴って見ようと思います。

なが~い一日

2010-03-03 12:51:13 | Weblog
やや古い話題になってしまった感は否めないが、津波の件には触れておかないとネ。

2月28日オガマル出港日の日曜日、いつものように桟橋に8時前に到着。その時点では特に変わった様子は無かったのだが、その内パトカーに乗った顔見知りのお巡りさんがやってきて、「津波の影響どうなの?オガマル普通に出るのかな?」「いや~今のところ何も聞いてないんですけど」そんな会話をしている内に、次第に様子が慌しくなり大変な一日になったしまった。

けたたましく唸るサイレンと、津波に関する防災無線の島内放送。最終的には、12時までに海抜の低い地域の住民は避難所への避難勧告。

我々の荷役作業も、積めるだけの積荷を積み込み、その後オガマルは沖へ一旦避難、津波警報解除後、又入港し、その後乗客を乗せ竹芝へ向け出港と言う事に一応なったようだ。一応と言うのは、津波警報の解除が無ければ動きがとれず、その時点では先の事は全く予想できない状態と言うのが実際の所。

とりあえず11時半頃だったかな、綱を外されたオガマルは、空しく沖へと出航して行った。その前後も港に係留してある島の船が津波を避け、続々と沖へ向かっていく。二見港湾内は正にラッシュ状態。港からその様子を見ていると、ぶつかるんじゃないかと心配になるほど。

我々もとりあえず連絡待ちと言う事で一旦解散。僕の住む奥村地区には避難勧告が出されていた為、高台に住む妻の友人宅へ、妻共々お世話になったのだが、それからが本当に長かった。

幸いにも、父島では津波の被害は全く無かったようだが、オガマルの出港予定がハッキリしたのが夜の8時前。当然僕にも連絡が有り、港へ再集合、そして打ち合わせ。

まずは、沖から帰って来るオガマルの綱取り。その後残りの積荷の積み込み。そして母島から帰って来るハハマルの到着を待ち、その積荷のオガマルへの積み込み。そしてオガマルの出港は夜中の12時の予定と言う事になった。

朝8時から一旦待機時間を挟み、夜中の12時までの仕事。「一滴の酒も飲まず、こんな時間まで起きてる事、まず無いな」そんな冗談と共に、皆苦笑いするしかなかった。

そして最後にオマケが一つ。荷役作業を終えやっと出港の時間、後はタラップが外され合図と共に綱が緩み、それを外していざ出港、と言う所でなぜかなかなかタラップが外されない。その内放送が入り、出港が5分ほど遅れるとの事。結局10分ほど遅れての出港、何でも何処の偉い先生だか知らないが、その人の到着待ちだったらしい。いい加減にしてくれよ、全く!

そしてこのオガマル、竹芝入港は3月2日の早朝7時30分。乗船客は船中二泊と言う事に。船好きの変わり者が喜んでいるかもしれないが、ほとんどの人は予定も大幅に狂い、ゲンナリだろう。

津波の余波はそれだけに留まらず、次便のオガマル、当初2日の10時竹芝出港の予定も大幅に狂い、午後の2時竹芝出港。そんな訳で今日のオガマルは午後3時半の入港。今その入港待ちの時間にこうしてパソコンに向かっている所だ。当然今日中に荷役作業が終わるわけも無く、明日も恐らく午前中一杯かかるだろう。まあ自然が相手、どうしようもないネ。

所で妻の友人宅に避難中、ダン吉君をTV観賞。ダンプレンにササヨのピーマカ作っていたモーリさんは我家のオーナー。そして我が瀬掘アパートも、チラッと映っていてビックリ。

写真は津波一過、3月1日の前浜。昼休み、前日(と言うか当日)3時間足らずの睡眠時間だった僕は、芝生の上でガン寝。