MAICOの 「 あ ら か る と 」

写真と文で綴る森羅万象と「逍遥の記(只管不歩)」など。

蒲の穂綿(写真俳句)

2008年11月23日 | 写真俳句
蒲の穂綿が風に乗って飛んでいく。その行き先はわからない。
「水涸れる」が冬の季語であるが、蒲の穂綿もまた初冬の風情である。しかし「蒲の穂綿」は季語としては成立していないようだ。
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「みいさんぽ」(33-大町公園)

2008年11月22日 | あらかると
大町公園のもみじ山が22日から公開された。すでに紅葉を終えている楓もあり、先日下見したときは、もみじ山の紅葉も見ごろのように見えた。
友人を誘い公開初日にもみじ山に入ったが、紅葉していたのは日当たりの良い場所ぐらいで、8割方の楓は緑色だった。
大町公園のもみじ山の開放は12月7日までである。最終日近くには再度見に行きたいと思っている。

先端だけが少し色づいている葉には「未成熟」の美がある。


下の写真のように、肉眼では美しく見えても写真にすると迫力が消えあまり好くないことが多い。桜などもそうで、一本の木ごと撮ってしまうと小さな画面では何の面白みもないが、プロジェクターなどで壁などに原寸大近くで投影すると、現場の再現が可能で、撮影時の感動を味わうことができる。
紅葉している対象だけを撮影する場合には、葉一枚一枚をデザイン的な構図にすると成功することが多い。


冬の日は傾くのが早い。とくに谷津を利用した大町公園は日陰になるのが早い。写真的に奥のススキにスポットを当てたいのでやや暗めにしたが、15時前なのにすでに夕方の風情をかもしだしていた。


この記事の投稿日は24日ですが、撮影日にあわすため過去の時間にさかのぼって(22日)修正しています。
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富士燃ゆ(写真俳句)

2008年11月21日 | 写真俳句
今日も木枯らしが町を駆け抜けていた。
木枯らしは日没とともに止み、直後には富士を渡る雲を夕日が染めた。
富士の山が燃えているようだった。このような光景は私にとって初めて見る光景でだったので、手前のビルのアンテナが邪魔になったが、数枚の写真を撮った。

句は推敲不足でうまく出来なかったが、約一時間前の午後4時30分ごろの光景である。
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熟柿と目白(写真俳句)

2008年11月20日 | 写真俳句
澄み切った青空に、熟れた柿が美しかった。まるいままの柿をとっても面白みにかけるので、鳥に啄ばまれた柿に狙いを定めファインダーを覗いた。とろりと溶け出すような柿が見えた。人が食べても絶対に甘く美味しいに違いない。

一枚撮り終わった瞬間小鳥が枝に止まった。
目白だった。
5羽飛来したが、私を警戒している様子は余りなく、一心に食べていた。ある程度食べるとこちらに視線を向け5羽とも飛び去っていった。
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「みいさんぽ」改め「映像散歩」(32)

2008年11月19日 | あらかると
空気が入れ替わったようなすっきりと晴れた一日になったが、午後からは西風が吹き荒れ一段と寒くもなってきた。
最初の写真はいつもの散歩コースである川岸の遊歩道からの「コガモ」。白の縞模様が鴨などが通るたびに様々に変化する。前回撮った小鷺は人を警戒してか、こちらを確認すると飛び立っていってしまい、最近ではこのスポットには姿を見せなくなってしまった。

散歩途中で見つけた真っ赤に熟れたざくろ。ざくろは樹上で完熟するとこのように割れ、美味しそうな姿に変身する。


「柿もみじ」柿の葉が紅葉した様を言うが、柿の種類によっては今でも碧い葉を見ることができる。


空が澄んでまさに「天高し」の感がある。空が明るすぎてススキがシルエットになるのを避けるために内蔵のフラッシュをたいた。やや不自然さが見られる。


住まいから見た公園の紅葉状況である。


公園から見た私の住む団地の光景である。


次回から「みいさんぽ」のカテゴリーを「映像散歩」と変更の予定です。タイトルも生地の中身に沿ったものを採用予定です。
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