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昆明の幼稚園事情7

2006-11-02 23:07:01 | Weblog
 写真は幼稚園内に掲示されている幼稚園の献立表。夜食欄があるのは、お泊まり保育も可能な園であるため。

【三つ子の魂、百まで】
 踊りの中で毛沢東をたたえる少数民族の踊りを子供達が練習させられたことは前にも書いたが、毎月曜、中国国歌を流しながらの国旗掲揚も幼稚園の重要な行事となっていた。敬礼が徹底させられているせいか、娘はテレビで国歌が流れると、すぐに歌いながら敬礼するようになってしまい、帰国後の心配をしたほどだ。ちょうど中国にいた2003年夏にアテネオリンピックが開かれていたため、国歌がよく流れた。ときに「君が代」が流れると「なんか、悲しくなる曲だね」と今一つノれない様子だった。

 中国の国歌はトランペットの軽快な曲でうきうきするノリがある。この曲の作者・ニーアール(上部に耳+下部に双で一字・耳)は昆明の出身だ。今も市内には生家と墓が残され、郷土の誇りとなっている。家の方は清代の建築物なので一見の価値がある。 

 このメロディーは1933年当初は中国共産党を宣伝する映画の主題歌として作られた。ニーアール氏はその後、日本に留学し、1935年、神奈川県藤沢市の海岸で遊泳中に23歳の若さでおぼれ死んでしまった。何が縁になるのかわからぬものだが、おかげで昆明市と藤沢市は現在、友好都市となっており、彼の墓がある西山には藤沢市長が昆明を訪れた時の写真が飾られている。

【黄金の一週間メニュー】
 さて給食は朝食、昼食、おやつ、夕食と4食あった。すべて一階の給食室で手作りされたもので、なかなかおいしそうだ。おやつには最近では美容によいと日本でもブームとなっている白きくらげの甘煮がだされたり、米で作られた麺のジャージャー麺風(雲南の一般的なおやつ)などが熱々の湯気を立たてて各教室へ運ばれてきた。このように日々のメニューに変化があって味もよかったのだが、一週間のメニューがほぼ固定化されているとなると話は変わってくる。娘は一ヶ月も過ぎると
「今日は月曜か。あの黄色い豆腐、たべたくないな」など、メニューが読めもしないのにつぶやくようになってしまった。

 幼稚園の給食だというのに唐がらしがかかせないのにも、参った。このように小さいうちから辛い味付けに慣れさせるためか、昆明の料理屋では、どれもこれも微妙に辛い。

 雲南省麗江(世界遺産に登録された都市として有名)出身の人に聞いた話だが、20数年前に南京大学生として初めて雲南を離れた時、一番、困ったのは南京の料理に唐辛子がはいっていなかったことだった、と言っていた。これでは「ものたりない」と、休みごとに郷里にもどってはビンいっぱいに唐がらしを詰めて、ほくほく顔で学校の寮に戻っていたそうだ。唐辛子の味付けをするだけでホームシックが軽減されたというのだから、いかに舌が唐辛子になじんでいたかがわかる。

 一方で40数年前から昆明に住んでいたおばあさんに聞くと当時は、今ほどは唐辛子がきつくなかった、むしろ甘めの味付けだったと語っていた。とはいえ、冬場、昆明ではやる唐辛子たっぷりの四川わたりの鍋料理「火鍋」で胃を壊した人の話だから、あまりあてにはならないが。
コメント
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