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さて、写真は幼稚園の参観日の授業風景。窓を開け放し、寒風が吹き込もうがおかまいなし。教室内にはドラえもんの張り紙も見える。
【真冬の参観日】
昆明の暖房のない寒さに風邪を引きダウン中の1月半ば、幼稚園から授業参観のお知らせがきた。夫は、例によって雲南のどこかに調査に出掛けていて、いない。娘は元気で「きてきて」とせがむので熱をおして、参観することにした。
【お尻が並ぶ】
教室の入口脇をのぞくと扉のないトイレがあり、子供達がかわいいおしりを出して並んでいた。中央に直線的に伸びた溝にチョロチョロと水が流れる中国式のものだ。そこにムカデ競争のポーズでずらりとしゃがむのである。公共の施設、例えば動物園に行けば大人も同様の格好をしなければ用は足せない。日本のトイレに慣れた娘にとって当然ながらトイレは試練の場所となった。「小」はできるものの、最後まで、みんなの前での「大」はできなかったそうだ。これが帰国すると、逆の心配が出た。どこでもすっとしゃがんでトイレポーズとなるので、ひどく私をあわてさせた。この癖は半年ほどで消え、ほっとしたが、今でも時折、学校でトイレのドアを開けたまま、してしまうことがあるそうだ。
トイレの習慣は、とくに中国において文化の根源に関わるものなのではないかとにらんでいる。おそらく幼少時にトイレがしやすいように、子供達に「また割れズボン」(しゃがむとズボンを脱がなくてもつるりとおしりが出て自由に用が足せる服)を穿かせ、どこでもフリーでトイレができる環境が、長じても尾を引いているのではないだろうか。最近では中国でも「紙おむつ」(日本のムーニーなどが売られている)が出てきて、都会の親の中にはまた割れズボンを穿かせずに紙おむつをさせる人も増えてきた。中国のトイレの習慣も変わろうとしているようだ。だが、それはそれで今度はゴミ問題が心配である。
【勉強もお遊戯も寒風を友に】
さて、朝食が終わると先生方は机を片づけ、子供たちは窓側に椅子を並べて座り大声で日々のスローガンを唱えだした。
「今日も元気に頑張ります」といった言葉が、調子のいい節で続くのである。娘も大声で唱和していた。その間、先生方は教室を掃除する。寒風吹きすさぶ曇りの日だというのに平気で窓を開け離す。子供たちは厚手のジャンバーやセーターを重ね着していたが、先生は薄手のジャンバーを羽織っているだけ。だのに寒そうな風情はまるでなかった。なんと授業が始まってからも、窓は開けられたままだった。当然、暖房はない。
1時間目の授業は算数。沢山のシールを渡されてお猿さんチームとうさぎさんチームで分けるゲームをしているなとほほえましく見ていたら、いきなり足し算がはじまった。先生がホワイトボードに5+3と書いて、答えは? と聞くと、次々に手が挙がる。もちろん手を挙げているからといって、皆が答えられるわけではなかったが、ちょっとびっくりした。
子供たちは、わりあい熱心に授業を聞いていた。カードを切る場面では鋏の取り合いもあったが、幼稚園生らしくて私は好もしかった。でも、この教室は勉強が主体ではない「大班(普通の年長組)」、学前班という同じ年長でも親が希望していれる勉強スパルタ組とは違うので、比較的のんびりしていたのだろう。
1時間ほど勉強した後には、2階のテラスでのお遊戯が待っていた。私は寒くて凍えていたが、親の中には子供と一緒に踊る強者もいた。
平日だったこともあり、参観者はおじいさんおばあさんが多く、若い親は少ししかいなかった。
ちなみに幼稚園や小学校の送迎にしても、母親中心に子育てする日本とは違い、父親も同じくらいの割合で参加していた。祖父母の協力者も多かった。公園にいってもそれは同じ。いろいろな世代や性の違う人が混在するため、日本のように母親同士で徒党を組む場面などできようもなく、「公園デビュー」が記事になるへんな土地柄でもない。その点でも子育てがしやすかった。
さて、写真は幼稚園の参観日の授業風景。窓を開け放し、寒風が吹き込もうがおかまいなし。教室内にはドラえもんの張り紙も見える。
【真冬の参観日】
昆明の暖房のない寒さに風邪を引きダウン中の1月半ば、幼稚園から授業参観のお知らせがきた。夫は、例によって雲南のどこかに調査に出掛けていて、いない。娘は元気で「きてきて」とせがむので熱をおして、参観することにした。
【お尻が並ぶ】
教室の入口脇をのぞくと扉のないトイレがあり、子供達がかわいいおしりを出して並んでいた。中央に直線的に伸びた溝にチョロチョロと水が流れる中国式のものだ。そこにムカデ競争のポーズでずらりとしゃがむのである。公共の施設、例えば動物園に行けば大人も同様の格好をしなければ用は足せない。日本のトイレに慣れた娘にとって当然ながらトイレは試練の場所となった。「小」はできるものの、最後まで、みんなの前での「大」はできなかったそうだ。これが帰国すると、逆の心配が出た。どこでもすっとしゃがんでトイレポーズとなるので、ひどく私をあわてさせた。この癖は半年ほどで消え、ほっとしたが、今でも時折、学校でトイレのドアを開けたまま、してしまうことがあるそうだ。
トイレの習慣は、とくに中国において文化の根源に関わるものなのではないかとにらんでいる。おそらく幼少時にトイレがしやすいように、子供達に「また割れズボン」(しゃがむとズボンを脱がなくてもつるりとおしりが出て自由に用が足せる服)を穿かせ、どこでもフリーでトイレができる環境が、長じても尾を引いているのではないだろうか。最近では中国でも「紙おむつ」(日本のムーニーなどが売られている)が出てきて、都会の親の中にはまた割れズボンを穿かせずに紙おむつをさせる人も増えてきた。中国のトイレの習慣も変わろうとしているようだ。だが、それはそれで今度はゴミ問題が心配である。
【勉強もお遊戯も寒風を友に】
さて、朝食が終わると先生方は机を片づけ、子供たちは窓側に椅子を並べて座り大声で日々のスローガンを唱えだした。
「今日も元気に頑張ります」といった言葉が、調子のいい節で続くのである。娘も大声で唱和していた。その間、先生方は教室を掃除する。寒風吹きすさぶ曇りの日だというのに平気で窓を開け離す。子供たちは厚手のジャンバーやセーターを重ね着していたが、先生は薄手のジャンバーを羽織っているだけ。だのに寒そうな風情はまるでなかった。なんと授業が始まってからも、窓は開けられたままだった。当然、暖房はない。
1時間目の授業は算数。沢山のシールを渡されてお猿さんチームとうさぎさんチームで分けるゲームをしているなとほほえましく見ていたら、いきなり足し算がはじまった。先生がホワイトボードに5+3と書いて、答えは? と聞くと、次々に手が挙がる。もちろん手を挙げているからといって、皆が答えられるわけではなかったが、ちょっとびっくりした。
子供たちは、わりあい熱心に授業を聞いていた。カードを切る場面では鋏の取り合いもあったが、幼稚園生らしくて私は好もしかった。でも、この教室は勉強が主体ではない「大班(普通の年長組)」、学前班という同じ年長でも親が希望していれる勉強スパルタ組とは違うので、比較的のんびりしていたのだろう。
1時間ほど勉強した後には、2階のテラスでのお遊戯が待っていた。私は寒くて凍えていたが、親の中には子供と一緒に踊る強者もいた。
平日だったこともあり、参観者はおじいさんおばあさんが多く、若い親は少ししかいなかった。
ちなみに幼稚園や小学校の送迎にしても、母親中心に子育てする日本とは違い、父親も同じくらいの割合で参加していた。祖父母の協力者も多かった。公園にいってもそれは同じ。いろいろな世代や性の違う人が混在するため、日本のように母親同士で徒党を組む場面などできようもなく、「公園デビュー」が記事になるへんな土地柄でもない。その点でも子育てがしやすかった。
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