写真は麗江にて。女性の手にあるのが鶏豌豆粉。売り場の台にも碗で固められて置かれている。一般的な豌豆粉より、きめ細やかな舌触りと味だった。5ミリ幅程度の短冊切りし、冷たいまま、香菜や醤油・酢・唐辛子の粉など、家や店ごとのタレをつけて、食べる。噛みごたえがあり、寒天を食べるような感覚。(2004年6月撮影)
【台湾へ渡る】
ただただ、大鍋で煮て固めただけの素朴な豌豆粉。雲南の他には、四川省、青海省などで同じような製法のものが食べられています。ただ、名前は「四川涼粉」というように、「地名+涼粉」という名前に変化し、昆明でよく見かける黄色いボタッとしたポタージュを固めたもの、というより、澱粉を固めたゼリーのような透明感のある仕上がりです。「豌豆粉」ほどの素朴さは、見あたりません。それほど中国の食の移り変わりはめまぐるしいのです。
ところが台湾にはありました。中華人民共和国が中国共産党によって1949年に建国され、雲南にも共産化の波が押し寄せたときに、一時の避難の場として徒歩で国境を渡り、タイやミャンマーへと逃れた人々が大勢いました。その後、国境が閉鎖され、戻れなくなり、中国大陸を逃れた蒋介石の政治的画策により、台湾に渡った人々がいたのです。
現在、台湾の国際飛行場がある桃園地区の中瀝・龍岡地区には、そうして人々が台湾へ根を下ろして生活しています。そこでは、昔ながらの雲南やミャンマー、タイの食事が冷凍保存されたかのようにパッケージされているのです。
その中心地・桃竹苗のイスラム教寺院の信者によるイスラム料理の店ではミャンマー料理と並んで、「雲南豌豆粉」の名を冠した「そのもの」がありました。雲南の農村部でもより進化した食べ方が輸出されたらしく、醤油や酢などとともに炒め、香菜をたっぷりとかけていただくそうです。
【豌豆以外のバリエーション】
また雲南でもっとも有名なのは「豌豆粉」の中でも、雲南中北部の麗江を拠点とする納西族特産の「鶏豌豆」(エンドウ豆の小形なもので、扁平な緑豆にたとえられる豆)を使った「鶏豌豆涼粉」です。製法も、合わせる具材も「豌豆粉」と同じ。というより、味のきめ細やかさから、より上等と見られています。麗江のアチコチで売られる名産です。さっそく食べてみたのですが、砂糖の甘さが一つもない、じつに素朴な味でした。他に雲南には空豆の使った「抓抓粉」などもあります。
中国各地にみられる、豌豆の他に緑豆やお米をつかった「涼粉」文化。その起源をさかのぼると今から1000年以上前の北宋時代に書かれた『東京夢華録』の「細索涼粉」なるものにたどり着きます。この本は、北宋の都市・開封の庶民の生活を描いた本なのですが、そのころには、豆かお米をプルプルゼリー状にした今のような食べ物があったのかもしれません。その原型が今なお食べられる雲南の食文化に、なにか不思議なものを感じます。
参考文献:『澄江風物志』(楊応康著、2004年、雲南民族出版社)
『雲南喫怪図典』(張楠編著、2004年、雲南人民出版社)