ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

6年ぶり開催のDHLマラソン

2014-06-19 | 海外&ルーマニア・マラソン大会


2005年から4年連続で開催されていたDHLマラソン、2008年を最後に経済危機で中断されていましたが、6年の年月を経て同じコースで同じ大会が開催されることになりました。時期も同じ、6月中下旬。
 
DHLマラソンが開催されていた当時はまだまだランニング人口は少なく、国内で開催されるフルマラソン大会といえば、3つほどしかなかったのです(AIMS公認レースのティミショアラ、ルーマニア選手権を兼ねているシギショアラ・メディアシ、そして民間開催のDHL、DHLは日本にも来ている国際宅配便会社)。
 
これはチャリティーイベントで、過去4年間総計で、個人種目(フルとハーフ)に参加したのは合計約2000人、6人でつなぐ駅伝には230チームが参加していました。このマラソン大会では、収益のすべてを難病を抱える子供たちのためのNGOに寄付されています。

4年間の寄付総額は60.000ユーロ。そのNGOはブカレスト腫瘍病院の小児セクションに無償の援助をしたり、また、視覚障害児のための点字書籍のための活動をしていたり、自閉症・失読症・ダウン症と診断された子供のための8箇所の教育センターを手助けしているのです。
 
マイダーリンは第1回大会に駅伝チームで参加、登りの第1区を好走し見事優勝しています。私は第2~4回大会でフルマラソンを走り、3連覇。最速タイムは3時間5分で、プレデアルからルシュノフをへてポイアナ・ブラショフに駆け上がる山岳フルマラソン(ロード8割とトレイル)を制しているのです。2007年の第3回大会では、マイダーリンとワタクシ、マドモワゼル、アベック優勝♪
 
今ではとてもそんな力は無いけれど、どれくらいで走れるのだろう。体調が悪かった2008年大会は、登り坂でかなり歩いたりもしました。今回はどれくらい歩かないで行けるだろう?(急激なのぼりで歩きが入るのは覚悟の上)
 
それよりも何よりも、2004年にフランス大会で知り合った最初のルーマニア人3名のうちの一人、ステファンがグリーンカードを得て家族揃って7月にアメリカ移住が決まっています。彼はスピードランナー、めったにフルマラソンを走らないけれど(下記:参照)、このDHLをルーマニアでの最後のフルマラソンに選びました。ステファンの息子達も大学生になり、駅伝に参加します。彼らのゴールを祝うために、DHLマラソンへ、いざ。

ステファンはギネス記録ホルダー:


2013年ブカレスト国際マラソンで達成された『6人のつながれたランナー』によるマラソン・ギネス記録、2時間54分14秒、ステファンもその6人のうちの一人です。

走っても最速ステファン、つねに周りの人がうまくいくように気を配り、「僕たちは動物じゃない、人間なんだから。」と助け合う大きな寛大な心を持っています。

間違いなく、私の人生の中で出会った最良&最速&最、がいくつ重なるか判らない、そんな人。・・・ルーマニア・ランニング界は、ステファンのUS移住により、それはそれは大きな逸材を失うことになります(新生活へ激励の涙・別れの涙・・・)。

一番上のイラストは、DHLマラソンのサイトより拝借、リンクは画像をクリック。


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