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革命20年を記念した2009年から年明けて、ブカレストでは革命写真展が続いています。真実を伝えるものは写真、そして当時の映像。会場を新たに今月はルーマニア国立歴史博物館にて。
ルーマニアでは「社会主義の時代はよかった。」と懐かしむ人もいます。年配の人に多いようです。昨年秋の大統領選挙で、コミュニズムの色濃い政党が決選投票にまで持ち込んだことからもわかります。国中が真っ二つに分かれての大激戦。
当時の映像が何度もテレビで流れていたり、写真展で見ることできましたが、同じルーマニア人同士で銃を突きつけあったり、撃ち合ったり。なぜそこまでの犠牲が必要だったのか、一番の疑問です。
日本では、いくら将来が明るくない、とはいえ、殺しあったりはしないはず。・・・時々、むしゃくしゃした人たちが、無差別殺人事件を起こしたりするけれど。政治的な意図のある事件は少ないです。
社会主義を貫いている中国でさえ、「中国反体制作家に懲役11年」(12月下旬のニュース)、この判決が国際的に適正であるかどうかは別問題として、殺し合いにはいたっていないのです。
20年前の革命時の市民への相次ぐ銃撃事件は何故起こったのか、誰によってもたらされたのか。多くの流血の犠牲者はなぜ惨事に巻き込まれたのか。
チャウシェスク体制下の大臣で、革命後、新政権によって裁かれ、15年も獄中にいる人がいます。20年前の12月21日、チャウシェスクの命令(=民衆鎮圧のために軍を出せ)に従うことを拒否し、自殺したとされる(又は射殺されたという説も)国防大臣の後任として急遽任命された、その次の国防大臣。
彼自身も、軍を出すことをぜず、むしろ退去命令を出したといわれています。が、革命は起こり事態は一変。彼の妻は革命後に単身自殺。彼自身も獄中へ。革命ですべてを失ったのです。
が、この裁きが正当であるのかどうか。同じ時期に同じ共産党員としてチャウシェスクの元にいた人たちが、かたや獄中へ、かたやその後20年間も政界で権力を握り続けている・・・。ルーマニア革命が、宮廷官僚の反乱、と言われている由縁でもあるかも。
何かを知りたくて歴史博物館の特別展を訪ねてみました~革命時の様子、同じ1989年に相次いで起こった東欧革命の各国での様子、革命前のルーマニア国民の暮らしぶりがいかに制限されていたものであるか、など。が、展示資料も少なく、解説も最小限。「見にくる人は少ないよ。」と入り口の係員。
自由主義になり自分達の生活に夢中で多くの人は革命を忘れてしまったかのように生活している、とも言われているけれど、風化してほしくない20年前の出来事。
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上の写真は大学広場にたつ「自由から0km」の道しるべ(写真右側にあります)。
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上の写真は同じ大学広場にて、「1989年の英雄を偲ぶ」石碑(写真左側にあります)。
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