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昨日の記事で紹介した稲佐の浜の豊玉毘古命の祖父母、伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)・伊弉冉尊 (いざなみのみこと)を祀るのが近江の多賀大社です。なぜ近江かと言えば「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐す」と古事記にあるからでしょう。

一方、日本書紀に「伊弉諾尊は幽宮を淡路の洲につくり」とあることを受けて淡路島に伊弉諾神宮があり、古くから近江か淡路かどちらが正かの論争があったようです。

本居宣長は、「淡路に多賀という地名が存在しない」として古事記の伊邪那岐大神は近江であると唱えています。

また、同じ神が二か所に祀られていても不思議はないので論争そのものが無意味という説もあるようです。

古事記には伊弉諾尊 ・伊弉冉尊 は天照大神を生んだとあるので、伊勢神宮は、多賀大社の祭神の子供を祭っていることになります。・・・石の太鼓橋

古くから「お伊勢参らば お多賀へ参れ お伊勢はお多賀の子でござる」とあるのがそれです。

さて1195年、後白河法皇から東大寺再建の院宣を受けた重源(当時61歳)が多賀大社に参篭、長寿を祈ったところ、ここで20年の寿命を与えられ、再建をはたすことができたと社伝にあります。それ以降、長寿祈願の神社とされ、社頭に重源が使ったという寿命石が残っています。

 室町時代、戦国時代にも多くの有名人から寄進があった記録があり、徳川時代の元和元年(1615年)に社殿が焼失しますが、寛永10年(1633年)に徳川家光が再建を命じ、5年後に完成。

その後、安永2年(1773年)、天明2年(1782年)、寛政3年(1791年)と社殿の被災と再建が繰り返され、現在の社殿は1933年(昭和8年)に再建されたものです。

参考文献:多賀信仰 多賀信仰編纂委員会編



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