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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



多賀大社に関する昨日の記事からの続きです。・・・・絵馬通りの看板。下の写真の右手が多賀大社の拝殿です。

多賀大社の祭神は伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)、お二人は天照大神のご両親に当たります。・・・多賀大社拝殿前の鳥居

天照大神の孫が多賀大社の摂社・日向神社の祭神となる瓊瓊杵尊(ニニギノモコト)。瓊瓊杵尊の妻は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)です。・・・多賀大社にも住吉大社のような太鼓橋(反り橋)がありました。ただしこちらは石造りです。

瓊瓊杵尊と木花咲耶姫との間にできたのが火遠理命(ホオリノミコト)。火遠理命の妻は稲佐の浜弁天島の祭神・豊玉姫命で二人の間にできたのが鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)・・・拝殿

鵜草葺不合命とその妻、玉依姫との間にできたのが神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレビコノミコト・初代神武天皇)・・・反り橋と鳥居を振り返って見たところ

神武天皇からみると、火遠理命は祖父、瓊瓊杵尊は曽祖父。瓊瓊杵尊はアメノオシホミミの子、天照大神の孫(天孫)なので、神武天皇から見た天照大神高祖父の親に当たります。

従って、神武天皇から、多賀大社の祭神を見ると伊弉諾尊と伊弉冉尊は高祖父の祖父母となるわけですね。

現在の社殿は、昭和8年に完成していますが、皇室の先祖を祭る神社であることから昭和5年に皇室から御下賜金が下賜されています。拝殿の後ろにある本殿の屋根が少し見えています。

多賀大社の境内にある朱の鳥居は、金咲稲荷大明神の鳥居でした。



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