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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



昨日の記事に続き、1945年(昭和20年)412000人余りが遭難した阿波丸事件を阿波丸が出航したシンガポール・ジュロンバードパークの鳥の写真と一緒に紹介しましょう。

194541日午後10時頃、阿波丸は中国本土寄りの台湾海峡を航行していたところ、アメリカ潜水艦クイーンフィッシュに探知され、クイーンフィッシュは魚雷を発射、魚雷が命中した阿波丸は一瞬で沈没しています。

10分後に戦果確認のため浮上したクイーンフィッシュは無数の人が漂流物に混じって泳いでいるのを発見しますが、うち船員1人だけが収容され、残りの2000人余りは助かりませんでした。

潜水艦クイーンフィッシュには阿波丸攻撃の禁止命令書が渡されていましたが、艦長が命令書を確認するのが遅れ、阿波丸の位置を知らせる伝達も遅れていたのが原因とされ、艦長は軍法会議で有罪判決(比較的軽い戒告処分)を受けていますが、後に艦長は海軍少将まで昇進しています。

日本政府は撃沈直後から戦時国際法違反として抗議、戦後に阿波丸の賠償金請求が出されましたが、アメリカ政府は日本への有償食料援助額を18億ドルから49千万ドルへ値引きすることで、阿波丸賠償請求権を放棄するよう求め、当時の日本政府もこれを了承。

その後、1950年の国会では「阿波丸事件の見舞金に関する法律」が成立、死亡者1人あたり7万円の見舞金が遺族へ支給され、阿波丸を失った日本郵船には、1784万円が賠償支給されています。

阿波丸にスズ・タングステンなどの地金5000トン以上、金塊、プラチナ、ダイヤモンドなど(数100億円相当か)が積み込まれていたことを知った日米メンバーは、早くから阿波丸引き揚げを計画、日本政府や中国政府に働きかけますが、阿波丸が中国領海内にあったために着手されませんでした。

ところが19794月、中国政府は沈没した阿波丸を中国領海沖の水深60mの地点で発見、阿波丸から多数の遺骨や遺品が回収され、日本側に引き渡されています。

中国政府は、阿波丸が積んでいたスズ・タングステンなどの地金5000トン以上、金塊、プラチナ、ダイヤモンドなど(時価数百億円)を引き揚げたかどうかを明らかにしていません。

参考文献:阿波丸撃沈 太平洋戦争と日米関係 ロジャー・ディングマン著 川村孝治訳



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