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林房雄の小説から西南戦争開戦時の山県有朋の西郷隆盛論とミサゴの着杭を紹介しましょう。<・・・>が小説からの引

<鹿児島から急いで帰った海軍大輔(海軍中将・西郷とは親戚)川村純義は、神戸で山県有朋、伊藤博文と会談、ここでも西郷が反乱に参加しているか否かが重要な論点となった>

<川村は言った「西郷の誠忠の志は疑うべくもなく、思慮も周到の人物であるから、大義も名分もない暴徒と行動を共にすることはないと信じている>

<山県有朋は坐りなおし、おれは西郷という人物を少しは知っているつもりだ。維新戦争の前からのつきあいで、北越の戦争中もずっと一緒だった。常に名分を重んじ、決断力に富み、判断にも私心のない珍しい人物だ>

<廃藩置県も徴兵令も西郷がいなかったら実現しなかったろう。おれは西郷に傾倒しすぎるといって、木戸(孝允)さんに何度も叱られた。・・・ただ、西郷は情誼に厚すぎる。人情に押し流されるというか、自分の育てた私学校徒が死地に赴くのを見捨てるようなことは絶対にできない人物だ>

<伊藤博文が「それでは、なおさら私学校徒の暴走を抑えるのではないか。一万人の子弟に朝敵の汚名を蒙らせて死地に赴かせることは、人情として忍び難いと思うが」・・・山県は「たしかに、これまでよく抑えてきた。だが、今度はもう駄目なのではないか。西郷の力をもってしても、どうにもならぬところまで来ているような気がする」>

山県有朋が言う<高橋という薩摩人が先日村田新八に会った時、今の薩摩は水のあふれた四斗樽を腐った縄でしばっているようなものだ。桐野利秋も篠原国幹も自分もその腐れ縄で、四斗樽は今日明日にでも破裂する。西郷先生の力でも、もうくいとめられぬと言ったそうだ>

<四斗樽はついに破裂したのだ。西郷は押し流される。愛弟子を見殺しにして、自分ひとり再び山中に逃避するような人物ではない。西郷は必ず反徒の中にいるぞ>

<成功の見込みのない暴挙と知りつつも、甘んじて御輿となり、若者どもにかつぎあげられているような気がしてならぬ>山県有朋だけは、西郷の心中が判っていたということでしょう。

参考文献:西郷隆盛 林房雄著



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