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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



1909年(明治42年)にイギリスに留学した2代目伊藤忠兵衛は、外国商社を通さずに直接イギリスの会社と取引すれば安く仕入れることができることにすぐに気づき、これが後の総合商社伊藤忠を設立するきっかけとなったという。

八日市駅の近江鉄道電車



また留学中からイギリス、ドイツ、フランスから織物を仕入れて日本経由で韓国に輸出して儲けるなど三国間貿易を始めているので、留学中から商売がしたくてしょうがなかった親譲りの商人であったようである。

伊藤忠兵衛本宅のある豊郷駅ホーム



1910年、イギリスから帰国した2代目伊藤忠兵衛は、海外の営業拠点作りに奔走し、1913年頃にはインドからアフリカ東海岸まで販路を拡張したという。

豊郷本宅前の旧中仙道



さらに1914年に個人商店を改めて伊藤忠合名会社に改組し、翌年には本町の大阪国際ビルの場所に新本社ビルが完成している。

2代目伊藤忠兵衛は工業の分野にも乗り出し富山紡績、呉羽紡績を設立、トヨタ自動車の設立発起人ともなっている。

豊郷本宅の奥座敷



1918年には伊藤忠合名会社の国内事業を伊藤忠商店、貿易事業を伊藤忠商事として2つに分割し、伊藤忠商店の社長には初代伊藤忠兵衛の次女の婿伊藤忠三が、伊藤忠商事の社長には2代目伊藤忠兵衛が就任している。

2代目伊藤忠兵衛愛用の蓄音機



1921年の大正不況期に入ると2代目伊藤忠兵衛は、国内事業部の伊藤忠商店と、初代伊藤忠兵衛の兄長兵衛が創立した伊藤長兵衛商店を合併させて丸紅商店としたので、1872年以来使われていた「丸紅」の印がはじめて商号として使われることとなった。

1918年の大阪本町地図にある伊藤忠(現在は大阪国際ビルが建つ)



丸紅商店社長には初代伊藤長兵衛の養子、2代目長兵衛が就き、副社長には伊藤忠三が就任している。

今の丸紅大阪本店と伊藤忠の跡地に立つ大阪国際ビル



丸紅商店は本店と京都支店で、絹織物・毛織物を扱う繊維専業の問屋であったが、1931年(昭和6年)伊藤忠商事に倣って貿易事業をする大阪支店を開設、中国各地やインドに支店・出張所を開設し、取扱商品も繊維、建築材料、機械、雑貨、食品と次々と拡大している。


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