野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



伊藤忠兵衛記念館となっている住居は、当時の伊藤家の財力に応じて造られたせいか、中仙道に面した正面は目立たない普通の民家であった。



そのせいか豊郷駅の近くで地元の人に2度場所を尋ねてみたら、何と2回とも知らないという返事だったので、地元の人にもあまり知られていない普通の民家である。



これなら、明治2年に建てられた家内の実家のほうが、まだ広いのではないかと思ったが、座敷に上がってみると奥に広い裏庭があり、さらにその先に土蔵が何棟もあったので、実際の敷地はかなりの面積がありそうであった。



この家は1882年(明治15年)に新築されたもので、1886年(明治19年)には初代伊藤忠兵衛と八重夫人との間に2代目伊藤忠兵衛がここで生まれている。


建築後125年が経過した建物は、初代伊藤忠兵衛の100回忌となる2002年に改装され今も週3日間だけ公開されている。



伊藤忠兵衛記念館となっている住居は、初代忠兵衛が暮らし、二代忠兵衛が生まれたと案内にあったが、初代忠兵衛は大阪で仕事をしていたので、住居は神戸の須磨にあった別邸を主に使っていたようである。

縁側



1903年(明治36年)、忠兵衛が伊藤一族、幹部店員に見守られながら61歳の生涯を閉じたのも須磨別邸であったという。

初代が使った帳票



ここ豊郷の本宅は、仕入れと丁稚の採用教育を担当していた八重夫人の住宅兼仕入れた商品(近江麻布)の集荷発送所であり、個人邸にしては広すぎる炊事場がある。



当時「紅忠」の主力商品であった近江麻布は、忠兵衛の妻であった八重夫人が大量に仕入れてここから大阪に発送していたという。

女中部屋



2代目伊藤忠兵衛は、「数万反の麻布を1日に発送する総指揮から食事、弁当の準備まで全部母が主宰していた」と回想録で語っている。

豊郷本宅前の中仙道



さらに八重夫人は、新入社員の採用と教育を担当していて、見習い店員は全員ここで1ヶ月間、夫人から行儀作法からそろばん等の教育を受けてから配属されたというので、豊郷本家は伊藤忠の社員研修所でもあったらしい。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )