ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

Echad Mi Yodea

2020年08月08日 | NEW YORK

 今週の火曜日にニューヨーク市一帯においてトロピカルストーム ISAIAM の到来で大きな被害が発生した。雨量はたいした事は無かったのであるが、暴風が数時間に渡って吹き荒れた。こうしてパソコンの前に座ってブログを更新しているのは、3日振りに電気が回復したからである。

 

 当日、僕は訪れていたニューヨークの郊外の住宅の窓から暴風が吹き荒れる光景を恐怖心と共に眺めていた。その光景は巨大な怪物が街で暴れ、容易に木の太い枝をへし折り飛ばし、高木を根元から間引き倒す。瞬時に辺りは停電となった。家の壁が強い風圧に耐えている事を室内で感じる恐怖の時間であった。自然界の驚異は神の怒りの様にも感じ、これも生命の営みの展開である事を見せつけられる。一時間程時間が経って暴風のピークを超えたのであろうか、風がやや収まった。外に飛び出して、乗ってきた車の上に落ちた木の枝の塊をどかした。2箇所程ボディがへこみ、バックミラーのプラスチックは割れフロントウィンドーには小さなヒビが発生してしまった。

 風の風圧に押し倒され枝を折られ吹き飛ばされる自然の畏怖な光景を見ながら、頭に浮かんできたのは、映画 7Days in Entebbe の中で知らされたイスラエルのチェアーダンスであった。Echad Mi Yodea というユダヤ教の教示に沿った歌に上手くチェアーダンスを組み合わせている。暴風が吹き荒れ木の枝をへし折ってゆく展開が描写されている様に思った。ヘブライ語で、1を知っているか、2を知っているか、と展開するユダヤ教の教えにちなんだ歌詞とリズム、それに加えられたパフォーマンスが嵐が過ぎ去った穏やかな今日も頭の中に響いている。生きている上で人間は決して災いを忘れてはいけないのだ。今年もハリケーンシーズンに入っている。Echad Mi Yodea が頭に響きだす時、神は自然界に対する容赦ない対処の側面(摂理)を見せ付ける。我々は覚悟が出来ているのであろうか。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする