ここは、建仁寺境内にある「楽神廟」。
お寺なのに鳥居というのが不思議な雰囲気が漂っている。
臨済宗の開祖で建仁寺を開山した栄西禅師のお母さんに由来するのが「楽神廟」。
栄西禅師は、永治元年(1141年)吉備津神社の権禰宜賀陽貞遠の子として誕生。
だから本来なら神社の跡取りになるのかな?
お母さんが岡山吉備津神社の末社である楽の社にお参りしたところ、体内に授かられたという話。
その夢に出て来た明星を楽大明神としてお祀りしてある。
それは本地仏では、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)となるそうです。
虚空蔵菩薩といえば空海さんが「虚空蔵求聞持法」を思い出します。
「谷響(たにひびき)を惜しまず、明星来影す」というやつです。
この「明星」というのと楽神廟の「明星」と同じ。
そういえば、脳出血を起こし、入院生活を強いられた京男がやったのも「虚空蔵求聞持法」でした。空海さんは、「虚空蔵求聞持法」の真言を100万回唱えたそうです。そこまでやってないなぁ・・・。
※高札を書き写しておきます。
楽神廟
楽神廟は、建仁寺開山栄西禅師の母親が岡山吉備津神社の末社である楽の社にお参りされ、夢に明星を見て禅師を胎内に授かられたという因縁により建仁寺境内に御祀りされています。
また、楽大明神の本地仏は虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)であり、知慧明瞭・学徳増進・記憶力増進の功徳があるといわれ、受験合格の菩薩として近年信仰を集めております。
毎年11月13日の縁日には午後1時より管長猊下導師のもとで大祭が行われ、福徳・知恵を授けてくれるということから、受験合格の祈願に多くの方がお参りされております。
その他にも天変怨敵退散・安産・罪障消滅・無病息災・福徳授与の功徳があり、丑年生まれ、寅年生まれの守り本尊でもあります。
また建仁寺は室町時代から京都五山の学問面として多くの学僧を輩出し五山文学の中心として大いに栄えた学問寺であります。
京男の母親は、節分の日の豆を食べて陣痛が始まったらしい。
栄西さんとはちょっと格が落ちますね。
母親の遺品整理をしていたら、「御祭神天文博士阿倍清明公の御霊力 人生一代之運命鑑定書」というのが出て来た。京男と妹の鑑定をしたような書類が出て来た。
ついでに、名前を付けたのも清明神社らしい。妹は違ったらしいけど。
元々の本籍地が清明神社の近くなんですよ。
何か書いてあるのか全然わからないのが、ちょっと気持悪い。いつか清明神社に聞きに行こうかな・・・。いまの清明神社の雰囲気は好きになれないけど。
タイトルで思い出した。いつか高山のロッジに泊まったことがある。寝ていると周囲に人がいないのにヒソヒソと声がする。山で亡くなった人の声かな・・・と思った。勿論夢の中でだけど。次の瞬間「ドカン!」と凄い音と光が頭の中でした。星が落ちて来たと思った。あれと同じかな?でも子供を授かったりしなかった。もちろん後年4人も子供ができましたけど。
あれは、『明星』というより『平凡(パンチ)』だったかもね。(笑)
和菓子 | |
中村 肇 | |
河出書房新社 |
↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)
Twitter→@kyo_otoko
でも書類の内容が知りたいし・・・。
赤い月・・・よくないことが起こる前兆に見えてしまうんですよ。私は綺麗と喜べない。
東京も、赤い月はまあまあ見られましたよ。後半は曇ってしまいましたが、東の空に、真ん丸の月がぼっかりと浮かんできた時が、一番綺麗でした。
赤い月・・・撮れるかな。
母親は、清明神社のファンだったらしい。祖母の影響かな?昔は落ち着いていたのにね。テレビの影響なんかな・・・。とにかく書いてある内容がわからないというより読めない。読字障害的にじゃなく。
「あかほし」とも読みますが、今夜は赤い月が見られますよ。ぜひ新カメラでチャレンジしてみてください。
今の清明神社はちょっとね、どうしてああなったのかなぁ。(^_^ゞ
日本の特長かもしれません。
最後の一行がわかるのはある一定の年齢以上ですね。
催行段の話、思わず笑ってしまいました(^_^)ニコニコ