仁王門の「清水寺」の額は平安時代の書家、藤原行成の筆なんだそうです。
この仁王門は、新しそうやけど、2003年に解体修理されたんです。
前の戦争(応仁の乱)の時、焼失して15世紀末に再建されてからずっとなんです。清水寺のシンボルですね。
写真の狛犬に違和感をおぼえませんか?
そこまで気付かないかな・・・。
大体、お寺に狛犬というもの違和感がありますね。
神社の場合は、神さんの神使(しんし)つまりお使いの場合が多い。
だから獅子とは限らない。
例/イノシシ、シカ、カモメ、メダカ、カメ、メジロ、ロバ、バッタ、タヌキ、キンタマオオカミ、ミミズク、クジラ、ラクダ、ダチョウ、ウサギ・・・。
単にシリトリをしてしまった。スンマセンナァ~。
お寺の場合は、仁王さんのように外敵を威嚇するというような意味があるそうです。
普通、神社の狛犬は口を開いた阿形(あぎょう)と、口を閉じた吽形(うんぎょう)の一対の姿ですが、 仁王門前の狛犬は両方とも口をあんぐりと開けたハル。
本来は、阿吽(あうん)だと思っていたのに。
阿吽とは人間の生まれた瞬間と死ぬ瞬間の姿で、万物の初めと終わりを意味しています。つまり阿吽の間にわれわれは生きている。
そう理解していた。
それが「阿阿」なんですよ。
不思議でしょ。
もともとはこの狛犬。北方系中国獅子の銅像だったらしい。前の戦争(応仁の乱のことではない、大東亜戦争)の時、軍隊によって持っていかれた。いわゆる供出というやつね。仏像や鐘も持っていかれたんだそうです。しばらくは台座だけだったそうです。清水寺の信者組織(向かって右のを清水普門会、左のを音羽婦人会)が南大門型獅子を作製し、寄進しやはったらしい。中国式だから「阿阿」なんだそうです。
なんで石製かというと、今度戦争が起こったとき、持っていかれたらかなわんからやそうです。ほんまかいな。まあ、これから数百年の間に戦争がないとはいわれへんものね。千年以上歴史があるからそこまで配慮してはるんや。
↑北野天満宮の「阿形」
一般的には、向かって右側の像は「阿形(あぎょう)」で、角はなく口は開いている。向かって左側の像は「吽形(うんぎょう)」で、1本の角があり口を閉じている。両方の像を合わせて「狛犬」と称することが多いが、厳密には、角のない方の像を「獅子」、角のある方の像を「狛犬」と言い、一対で「獅子狛犬」というのが正しいね。
↑上の「阿形」の対の「吽形」、ほら角があるでしょ。
昭和時代以降に作られた物は左右共に角が無い物が多く、本来なら「双獅子」と呼ぶのが正しいのと違うかな。
今度しっかりとみさせてもらいます。
細かいことを観察すればいろいろと発見できそうですね。
不思議といえば七不思議というのもあります。チャンと記事にしないと。
しかし雪降ったのですね~寒そうです~!!
生菓子も雪の積もった水墨画のようで季節感たっぷりですね!(あ、一個前の日記のですね)。
雪が降ってしまうと案外寒くないですよ。
京都人は、寒さ暑さにはめっぽう強いです。
生菓子も雰囲気でしょ。お気に入りです。