京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

哲学の道・・・いまでも考えられる?

2017年12月03日 06時52分59秒 | 風景・和菓子


12月になった途端、冬になったように感じます。
気温は、それほど寒くはない(私だけかも)のですが。
でも建物の中は、とても暑い。
この気温差がストレスになりますね。
しかも、昨日はヨドバシカメラに制作中のモノの材料を買いに行った。
京女も同行してもらう。
モノを探したり、取説を読んでもらったりしなければならない。
こんなことは久しぶり。
あのヨドバシカメラの騒音の中で、しかも昨日は、QuietControl 30 wireless headphonesもしていかなかったので、頭が割れそうな中での捜し物。
しかも、スマホを忘れていたのです。





あんな騒音と空気の悪い職場で店員さんはよく働いていると思う。
しかも、匂いがまたすごい。
でも匂いは、みなさん気付かないらしい。
私はだめなんです。
騒音・暑さ・匂い、すごく消耗しましたよ。
ランチを食べる時、グッタリだった。





さて、本日の写真は「哲学の道」。
今では、観光スポットとして賑やかになってきている。
京男の高校時代ぐらいの時は、今のような賑わいは全然なかった。
道もそれほど整備されていなくて、いつもシーンとした感じだった。
春の桜の咲く時、歩いているととても気持ちがよかったな。
でも哲学的なことは、なにも考えなかったですね。


↑長久堂「木枯らし」

でも京男は、「哲学」というのは、いまもよくわからない。
哲学者の知り合いはいないしね。
「哲学」を調べると以下のような記述があった。
哲学とは英語で「philosopia」。訳すと「知を愛する」「智を愛する」という。
世間のいろいろなことを知的に思考し、大きな仕組みを見出すようなことかな?
「智を愛する」というのは、好きやなぁ。



もっともっと頭を使わないといけませんね。
というよりモノ忘れが多くなったかも。
イメージに関してはよく浮かぶのに、言葉・単語に関してスムーズに動いていない。
イメージだけで言葉のない世界の住人になりつつあるのかな。
単語は、でないけど、イメージが豊富。


↑渋皮栗あん、きんとん、赤こしあん

イメージを使って哲学するというのは、案外可能なのかも。
でも同表現すればいいのか?
来年以降の課題かも。

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
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2 コメント

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おはようございます (すー)
2017-12-03 08:09:47
確かに雑音が大きい、多すぎると頭が痛くなりますね。
臭いには、タバコの臭い以外はそんなに敏感ではないかも・・・
哲学の道は私が京都に住み始めたころも静かでした。時間だけはたっぷりありましたので時々出かけました。
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>すーさん、おはようございます (京男)
2017-12-03 09:12:08
捜し物をしている時の騒音はつらいですね。
人の匂い、食べ物の匂い、なんかも気になります。
「そういうお前は加齢臭」なんて言われそうですが。
20歳代はサラリーマンでした。会社へは歩いて25分ぐらい。鴨川の土手を歩きながら考えていました。耳は音楽やセミナーテープを聴きながら。
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