万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

民主主義と陰謀論-支配の時代の記憶

2022年03月29日 15時06分43秒 | 国際政治

 今日、メディアが報じる記事を見ておりますと、あるパターン化された現象が観察されます。それは、様々な分野における識者による陰謀否定論が一定の間隔を置いて繰り返し登場することです。しかも、これらの記事は、根拠は違っても、陰謀説を唱える、あるいは、それを信じる人々を知的レベルの低い騙されやすい人々とみなすという論調において共通しています。手を変え品を変え、言論空間にあって陰謀否定論が繰り返されているのです。

 

 おそらく、陰謀否定論がかくも頻繁に登場する時代は、過去にはなかったのではないかと思います。それでは、何故、陰謀否定論が執拗にメディアを介して発信されているのでしょうか。そこには、何らかの意図があるように思えます。

 

 最もあり得る、あるいは、陰謀否定論者が主張する理由とは、陰謀など実際に存在しないにもかかわらず、人々がそれを信じている現状を是正する必要があるというものです。情報とは人々の基本的な判断材料となりますので、陰謀説を偽情報の発信源とみなし、人々を徒に不安にし、社会を混乱させる元凶として糾弾しているのです。

 

 この説明は確かに尤もらしいのですが、現実はむしろ逆であり、不条理がまかり通り、不安定な時代であるからこそ、多くの人々が陰謀論の信憑性が増しているという側面があります。ウクライナ危機を含めて理解に苦しむ出来事が、実際に頻発しているのですから。そして、何故、かくも世界が不安定であり、あるいは、人々が漠然とした不安を抱く要因はどこにあるのか、という問題を突き詰めてみますと、今日にあって既に制度的にも確立しているとされる諸価値―民主主義、自由、法の支配、個人の自由・権利の尊重、平等・公正、平和…―であっても、これらの実現を妨げている’何らかの権力体’の存在を想定せざるを得なくなるのです。ある要素の存在を仮定しなければ対象となる現象を説明できない場合、それは、存在証明の方法の一つとなります。

 

 例えば、何れの諸国にあっても、メディアの論調は画一的であり、全世界が脱炭素、デジタル、ワクチンの凡そ三つの潮流に流されているかのようです。仮に、世界規模で同一方向に向かわせることができる’何らかの権力体’が存在しなければ、全ての諸国が、’右向け右、左向け左’のようにこれらの潮流に同時期に飲み込まれるはずもありません。ウクライナ危機にあっても、ウクライナ側であれロシア側であれ、双方のメディアは偽情報を流してまで敵愾心を煽っています。また、今日、何れの国の国民も、民意から離れた政治家たちの売国的な政策に悩まされています。民主主義が実現しているはずなのに、現実には、外部の’何らかの権力体’によって派遣された代理人(悪代官…)のような政治家ばかりであり、国民が真に望むような国民本位の政治家はなかなか現れないのです。

 

 そして、人類には、古今東西を問わず、為政者たちが支配の術を身に着け、それらを磨いてきた歴史があります。もちろん、為政者の中には、名君とも称され、国民から慕われた為政者もあったことでしょう。しかしながら、世襲制にあっては名君の登場は運に任されますし、熾烈な権力闘争や内乱、あるいは、征服によって権力を掌握した為政者が必ずしも国民思いとは限りません。近代政治学の祖とされるニコロ・マキャベリの『君主論』も、為政者に捧げる指南書として著されたものでした。、目的のためには手段を選ばないような非情な手段も、支配術の一つであったのです。民主主義を当たり前とする現代の価値観からしますと、為政者向けの支配のノウハウは過去のものとみなされがちですが、陰謀論において指摘されている’歴史の動かし方’や人心掌握や操作の手法などは、むしろ、民主主義なき時代の支配術との間に高い親和性が認められるのです。

 

 帝国型の国家であるロシアや中国では政府が堂々と実践しているのも、自由や民主主義といった現代の諸価値を考慮することなく、独裁者たちが古来の手法を踏襲しているからなのでしょう。ITやAIが発展し、大衆心理を研究しつくした今日では、支配や操作のテクニックはさらに巧妙になり、徹底した情報統制、並びに、国民監視体制を敷いている中国は、‘人民支配テクノロジー’の最先端にあります。そして、自由主義国家にあってより陰謀説が広く信じられるに至った理由も、過去に葬ったはずの非民主的な支配の記憶が現実味を帯びて人々の記憶の奥底から蘇るからなかもしれません。しかも、現代の‘何らかの権力体’は、国境を越えた独占的なネットワークを構築し、金融や経済をその力の源泉としているようなのです。

 

 このように考えますと、陰謀否定論こそ、陰謀の存在を強く示唆しているのかもしれません。公的な決定が、民主的に選ばれた政治家ではない人物により、しかも、公式の統治機構から離れた場所においてが密かになされているという意味において。陰謀説のすべてが真実というわけではなく(即、嘘だとわかる陰謀説はむしろ実在する陰謀を全否定するための‘囮’である可能性の方が高い…)、常に虚実が入り混じって入るのですが、陰謀説を嘲り、頭から否定したのでは、権力体の狡猾な支配術に無知・無防備な状態のままとなりましょう。そして、自由や民主主義、平和といった諸価値の実現を妨げている真の要因に行き着くことはできないのではないかと思うのです。

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