昨日23日、日本国では、衆議院第一議員会館の国際会議室に設置されたスクリーン上に映し出されたゼレンスキー大統領の演説が全国に向けて放映されました。注目されていた演説内容は、日本国に対する謝意と対ロ経済制裁の継続を求めるといった比較的穏当なものであり、‘安全運転’に徹しようとした同大統領の姿勢が伺えます。日本国の政界並びに世論を徒に刺激しないための配慮なのでしょうが、もう一つ、注目すべき発言があったとすれば、それは、日本国に対して‘侵略の予防ツール’の考案を求めたことかもしれません。
そこで、本日の記事では、ウクライナ危機に照らしながら、侵略を予防できるツールについて考えてみたいと思います。ゼレンスキー大統領は、同ツールの欠如が、今般の’侵略’をもたらしているとみなしているからです。’侵略の予防的ツール’には、凡そ力(軍事力)、合意(外交)、法(司法)の三つの側面からアプローチする必要がありそうです。
第1のアプローチは、力の均衡を利用するものです。ウクライナを含む全ての諸国が核兵器を保有し、国の規模にかかわらず、相互牽制が成立しているという状況であれば、抑止力という予防効果が期待されます。この状態であれば、ロシアもまたウクライナから核による報復を受ける可能性がありますので、100%とまでは言わないまでも、迂闊にウクライナとの国境線を越えて軍隊を進めることには躊躇することとなりましょう。ブタペスト覚書に従ってウクライナが核を放棄しなければ、今般の危機は防止できたとする説は、こうした核の相互抑止力に基づいています。なお、防御面からすれば、全ての諸国が完璧なる高性能のミサイル防衛システムを導入するという方法もありますが、軍隊による侵攻を防ぐことはできませんし、今日の技術レベル、並びに、コスト面からしますと、同方法のハードルは相当に高いかもしれません(加筆)。
それでは、ロシアによる’侵略’は、両国間の合意によって防ぐことができたのでしょうか。合意による解決とは、主として当事国政府双方の外交交渉によるものです。もっとも、今般のウクライナ危機のケースでは、ロシア側にも口実が存在したことにおいて状況は複雑です。ロシア側は、これらの民族主義組織によるロシア人に対するジェノサイドを阻止するために、緊急措置としての軍事介入が必要であったとアピールしているからです。仮に、ロシア人虐殺が事実であるとすれば、ロシアの軍事行動も、国際法においても人道主義、並びに、国民保護の観点から正当防衛権の行使として認められる余地がありましょう。そして、
アゾフ大隊といった元は独立的な民間組織であった軍隊の部隊が虐殺を実際に行っていた場合、こうした行為をやめさせる第一義的な責任はウクライナ政府にあるからです。
ロシア人虐殺が事実であれば、ウクライナ政府が黙認していたことになりますので、ロシア政府が、急遽ウクライナ政府に対して協議を申し入れたとしても、即時的には虐殺を止めることはできないことでしょう。一方、ロシア人虐殺が、ロシア、あるいは、何らかの組織による事実無根の’でっち上げ’であった場合にも、そもそもの目的が軍事侵攻の口実造りにありますので、この場合にも、話し合いによる侵略の事前阻止は望めません(最も効果的な防止策があるとすれば、それは、人道上の理由であれ、決して介入の’口実’を造らせないこと…)。
誰の仕業であれ、虐殺といった人道的介入の根拠となる出来事が発生してしまいますと、軍事介入を止めることは難しくなります。また、たとえ双方による話し合いの場が設けられたとしても、合意が成立するまでの間、虐殺並びにそれを口実とした侵略は続くことでしょう。合意を手段とする侵略予防の制度を設けるならば、それは、虐殺等が起きる根本原因となる多民族混住地域の統治制度の問題を平和的に解決する仕組みを作る必要があります。事前解決の仕組みについては後日に考察を譲るとしても、少なくとも人道介入を口実とする’侵略の予防ツール’として合意を手段とする国際制度を設けることは、極めて難しいと言えましょう。
それでは、人類が獲得した最も理性的な手段である法による解決はどうでしょうか。法に依る解決の最大の問題点は、裁判は、事件が起きてからしか開くことができない点にあります。今般のウクライナ危機では、国際司法裁判所は、ロシアに対して軍事侵攻の即時停止を保全措置として命じましたが、これは、いわば仮処分です。ところが、現行の制度では、仮処分命令を確実に執行する強制力が備わっていませんので、ロシアによって完全に無視される格好となりました。そして、裁判所による事後的な保全命令そのものは、’侵略の予防ルール’でないことは言うまでもありません。
仮に、法的な手段によって侵略を予防できるとすれば、侵攻の口実とされる’事実’の真偽を確かめる任務を担う、国際警察・検察機関の設置ということになりましょう。即ち、何れの国も、自国内における国家犯罪行為が疑われ、他国からの訴えがあった場合には、同機関の調査団を即時に受け入れる義務を負うものとするのです。その一方で、訴えた側の国も、軍事介入を控えることが義務付けられます。国連安保理は、事実上、常任理事国によって仕切られている政治色の強い機関ですので、同機関は、権力分立(司法の独立)の原則に従い、国連安保理とは切り離した別機関として創設し、中立・公平な立場を保証する必要もありましょう。そして、調査の結果、国際司法機関によって違法性や非人道的行為が確認された場合には、安保理は、裁判所による命令、あるいは、判決の執行機関に徹することとなります(同執行は、拒否権の行使を含め、政治的な多数決に依らない…)。
いささか長くなりましたが、以上に、ゼレンスキー大統領の日本国に対する提案について考えてみました。人類史の大局からしますと、‘侵略の予防的ツール’にとどまらず、あらゆる紛争を解決し得る国際司法制度の構築を急ぐべきなのでしょうが、新たなシステムの確立には時間を要しますし、暴力主義を是として国際法を踏みにじる国や組織もありますので、当面の間は、最初に述べた相互的な核の抑止力を利用するのが現実的な対応なのかもしれません。何れにしましても、新たなシステムを考案することは、ウクライナ危機のみならず、現在、人類が直面している様々な問題への適切な対応という意味においても、意義のあることのように思えるのです。