イギリスの穀物法廃止後に農業の‘黄金時代’が訪れたのは、高度集約農業、とりわけノーフォーク農業と称される先端的な農法の普及が指摘されています。ノーフォーク農業自体は四輪作農業に畜産業を組み合わせた混合農業なのですが、産業革命の発祥の地だけあって、農作業の機械化や化学肥料の開発等も農業の繁栄に寄与したことでしょう。この成功例を見れば、日本国の米市場の自由化も、技術力をもって克服できるとする見方が登場するのも故なきことではありません。しかしながら、この楽観的な予測も、グローバル時代が裏目に出る可能性が極めて高いように思えます。
メディアやネットにありましては、今やAI時代が到来し、あらゆる分野にあってその導入が進んでいるとする印象を持ちます。日本国政府も、「AI法」の制定を急いでおり、政府もAI普及の旗振り役を務めています。否、旗振り役どころか、真っ先に同テクノロジーを導入し(増税路線が止まらない原因の一つでは・・・)、行政の効率化やサービス等に活用しようとする勢いです(もっとも、国民的コンセンサスもない上に、必ずしも‘国民のため’とも限らない・・・)。当然に、AIの農業への幅広い導入も視野に入っていることでしょう。また、ドローンやロボット等の実用化も、かの‘ムーショット計画’にあっても掲げられており、未来産業の主柱とも見なされています。
このような先端技術の実用化の促進という背景があればこそ、楽観論も説得力を持つのでしょう。実際に、近未来の農業は、‘スマート・シティー’ならぬ‘スマート農業’という言葉も登場しており、農林水産省のホームページにも「スマート農業」というタイトルのページがあります。日本国政府は、都市部のみならず、農村の‘スマート化’を構想しているようなのですが、農業におけるAIや情報通信技術の活用、並びに、自動機械化は、期待通りに日本国の農業を救うのでしょうか。
まずもって困難な障壁となるのは、あまりにも高い導入コストにあります。農水省のホームページによれば、経営・生産管理システムについては、初期費用は無料から30万円、月額で無料から10万円ほどですが、ロボットトラクターは一台1200万円から1900万円、自動操舵システムが40万円から250万円、高性能田植機が280万円から900万円、農業用ドローンが70万円から750万円・・・とありますので、これらを全て揃えようとすれば、相当の出費を要します。赤字経営も少なくない中小の自作農家では難しく、導入し得るのは資金力のある大規模農家に限られることでしょう。あるいは、中小の農家が‘農家が借金漬け’となる未来も予測されます。しかも、最悪の場合には、コストのかかるスマート農業化が農産物の価格をさらに押し上げてしまう可能性も否定はできなくなります。
第一に関連して第二にあげられるのが、同システム導入には、広域的な農地が適している点です。実際に、農水省のホームページにあってスマート農業の実証実験の事例(217件)として紹介されているのは、耕地面積が比較的広い事業者であり、集落営農法人や株式会社として運営されているケースが大半です。水稲・稲作の事例として登場している農業事業者も、面積196ヘクタールと水田の全国平均(凡そ1.7ヘクタール)の100倍ほどであり、しかも、同事例では、アメリカ向けの輸出用のお米が栽培されています。つまり、政府が進めている米輸出促進計画のためのモデル事業とも言えましょう。
以上に述べてきた2点は、19世紀のイギリスのように、資金力の乏しい中小の農家の消滅を予測させるに十分です。もっとも、重労働とされる農作業を軽減し、かつ、安価となる移民労働力に頼るよりは、農作業の自動化等の先端技術の導入は否定されるべきことでもありません。上記のホームページでも、スマート農業技術の効果として著しい時間の短縮が挙げられています。このため、中小の農家が生き残り、技術開発の恩恵を受けるには、先日の5月16日付けの記事で指摘したように、従来型の農業機械のみならず、自動型の農業機械の使用の‘集約化’やリース・レンタルシステムの構築といった工夫を要することとなりましょう。同時に、官民の研究機関や民間企業が、低価格のシステムや自動農業機械を開発するといった対応もあります。しかしながら、米市場が自由化されれば、こうした努力も水泡に帰すことでしょう。何故ならば、グローバル時代であればこそ、先端のテクノロジーも世界レベルで普及し、国際競争力において優位性を維持することはできなくなるからです。
実際に、電車の車内広告でその現実を目のあたりにすることとなりました。農村における先端技術の導入をPRする日本企業の広告なのですが、その映像に映し出された広々とした農村とは、日本国内ではなくタイなのです。ほぼ同時に先端技術がグローバルに拡散するとしますと、日本国よりも耕地面積が広く、経営規模の大きな諸国の農産物の競争力がさらにアップします。稲作は南方の方が適していますし、東南アジア諸国等は、これまで機械化が進んでいなかった分だけ、最先端の技術を導入しやすい状況下にもあります。ジャポニカ米の生産国が増えているのも、バイオテクノロジーを含めた農業技術の発展がそれを可能としているのでしょう。
このことは、日本国の農業は、たとえAIやロボット等の最新技術を導入したとしても、国際競争力を持つことが極めて困難であることを意味します。一部の高級ブランド米を除いて、輸出どころか、日本米の国内シェアを維持することさえ難しくないましょう。こうした現状からしますと、日本国は、米市場の開放よりも農業保護を基本とした上で、生産者も消費者も共に納得し得るような、流通を含めた農業システムのありかたを考えるべきなのではないかと思うのです。