万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

天皇と宗教の問題-歪んでいる政教分離の原則

2019年05月06日 13時35分28秒 | 日本政治
 日本国憲法の第20条は、その内容により政教分離の原則を定めたものと解されています。同条1項の後段には、「…いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」とあります。しかしながらこの条文、今日の日本国の状況を見ますと、必ずしも遵守されてはおらず、むしろ、政教分離の原則は歪められているように見えます。

 現日本国憲法において第20条の条文が設けられた理由は、第一に、政教分離が近代国家の原則として認識されていた点を挙げることができます。政教分離の原則は、フランス革命の思想的基盤となった啓蒙思想に基づくカトリック等の非合理性に対するアンチテーゼとも解されていますが、むしろ、この原則は、宗教、並びに、宗派の違いが激しい内戦、及び、宗教戦争を引き起こしてきた苦い歴史から導き出されたものでもあります。国民に信教の自由を保障すると共に、政府と特定の宗教・宗派との切り離しは、国内を安定化させるために必要不可欠と認識されたからです。

 もっとも、近代以降、全ての国家にあって特定の宗教・宗派が完全に分離されているわけではなく、その国の国民社会に深く根付いている伝統宗教については、国家との結びつきが維持されています。宗教的に無色透明な国は極めて少なく、啓蒙思想の強い影響の下で建国されたアメリカでさえ、大統領はその就任式にあって聖書に手をおいて宣誓するのが慣例となっています。北欧諸国もまた、プロテスタントのルター派を奉じており、国民的な伝統としての宗教は、法の前の平等を旨とする法律や政策において特定の宗教や宗派を優遇することはなくても、国家と分離されているわけではないのです。その理由は、政教分離の名の下で国家から伝統宗教を消し去ることは、国民がその歴史において培ってきた伝統文化の破壊をもたらしかねないからなのでしょう。

また、日本国の場合には、政教分離の原則が憲法上の規定に至ったもう一つの理由があります。それは、戦後の占領期にあってGHQが神道界の政治的影響力を排除しようとしたためとも説明されています。江戸時代までの天皇に対する国民の素朴な意識と明治以降のそれとは大きく違っており(明治以前には、天皇が国民のために敵国懲服のために祈りを捧げることはあっても、国民が天皇のために命を捧げるという発想は一般国民にはなかったのでは…大伴氏を除いて)、明治以降にあっては天皇の神格化と共に神道を中核とする天皇信仰への傾斜がありました(同政策も、日本人の発想であったのかは疑わしい…)。戦時には、確かに戦争恍惚師的な側面もあったのですが、天皇の下で国民が一致団結して戦いに臨む姿にGHQが怖れをなしたとしても不思議ではありません。神道が政治に介入しないよう楔を打ったのが、憲法第20条であったとも言えます(もっとも、当時の神道界が自ら率先して戦争を誘導したわけではない…)。

以上の経緯を踏まえますと、今日の天皇をとりまく宗教状況は、どこかちぐはぐなように思えます。日本国憲法が天皇を国家・国民の統合の象徴と定め、伝統的な国家祭祀の役割については一切触れない一方で(違憲とする訴えさえある…)、特定の新興宗教団体による政治権力の行使と天皇と同団体との接近、あるいは、一体化が同時進行しているように見えるからです。

公明党が新興宗教の一つである創価学会を支持母体としていることは否定のしようもない事実です。第20条に誠実に従えば、公明党が連立政権に参加し、与党として日本国政府を構成している状態は明らかに違憲となりましょう。しかしながら、違憲訴訟が起こされていないため裁判所が判断しておらず、同党による政治権力の行使は放置されたままなのです。加えて、新天皇と創価学会との関係は、国民が深く疑うところとなっています。国会の議事録には、新天皇の外戚となる小和田恒氏による同会の名誉会長池田大作氏に対する便宜供与が答弁記録として残っておりますし、同団体が発行する『聖教新聞』の一面には、ブラジルの式典にて皇太子時代の新天皇が池田氏の子息と並んで映っている写真も掲載されたそうです。宮内庁職員にも創価学会員が多数採用されているともされ、信者に対する組織的な動員力により、皇室の藩屏の役割を担っているのではないかとする疑いさえあるのです。

上述した政教分離の原則に込められた原義からすれば、国民社会や文化に根差した伝統的な国家祭祀は許容されつつも、特定の宗教団体による政治権力の行使は国内平和のために禁じられるのが筋となります。ところが、日本国の現状はこれとは真逆であり、新興宗教のカルト思想に侵食されることで、伝統宗教の静かなる内部破壊が進行し、新興宗教は、第20条に反する政治権力の行使に飽き足らず、憲法第4条をも無視して天皇に政治的権能を持たせようとしているかのようなのです。神道のトップの立場にあるはずの皇室と創価学会とのフュージョンが、伝統宗教と新興宗教との垣根さえをも取り払い、日本国民の心を不安定化させているといっても過言ではありません。

ここで、この疑いを敢えて提起せざるを得ない理由は、創価学会は中国共産党との関係が特に深く、マスゲームを好むその体質も北朝鮮の独裁体制と極めてよく似ているからです。つまり、創価学会の問題をこのまま放置しますと、近い将来、日本国が中国、あるいは、その国際的なバックのコントロール下に入り、国家体制もまた全体主義体制に移行させられてしまう恐れがあるのです(民主化とは反対の逆体制移行…)。改元を機に、日本国民は政教分離の原則がもたらしている混乱を直視し、皇室についてもその真の姿を見定めるべきなのではないでしょうか。そして、創価学会も、ネット上に流れる情報やこうした疑いが根も葉もない噂(もっとも、公文書にも記録がある…)、あるいは、創価学会を貶めるための‘濡れ衣’であると考えるならば、公明党が政権与党である以上、国民に対して責任を負う政党として、政教分離の原則における自らの存在について説明すべきですし、皇室との関係も一切ないことをも証明すべきではないかと思うのです。

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4 コメント

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Unknown (櫻井結奈(さくらい・ユ-ナ))
2019-05-07 22:54:11
このブログの『政教分離の原則』の問題と、前回および前々回の、天皇陛下の
ことに関連する御意見を拝読しました。
倉西先生の、幅広い御視点からの御説明をお聴きし、いろいろ考えるヒントを与えて
いただけたことに感謝いたします。
ただ、わたしも、浅学ですので、何時もながら気の聞いたことは言えません。
ただ、家庭人の立場から、素朴な感想を申し上げることしかできません。

政教分離の件ですが、結論から申し上げますと、先生もおっしゃっておられますように、
【政教分離の名のもとに、国家から伝統宗教を引き離しますと、民族の伝統は破壊
されます】、、、、、そんな、、とんでもない事はあってはなりません。
政教分離の穏当な解釈は、公権力が特定の宗教団体に過剰な保護や特権を、あたえたり、
、別の宗教を迫害してはならない、、、という程度の意味合いであり、君主や政治家・公務員が
宗教に一切関与してはならない、、、と言う意味ではないと思います。
これは、確か、最高裁判所の判例でも、確定していると、お聞きしています。

日本は神道の大祭司王ともいうべき天皇陛下をいただく国柄ですので、
その伝統を何よりもたいせつにしなければならないと思います。

★創価学会につきまして、、先生が危惧の念を、もっていらっしゃることは、私も
わかります。ただ、天皇陛下が創価学会に強く影響されておられるとは思えないですね。
もっとも、創価学会の支持する公明党が、自民党と連立政権を組んでいるという
事情があります。
ですから、天皇陛下も大臣の認証式には、公明党の大臣にも辞令を手渡しなさらない
わけにはまいりません。また、皇族のかたや官僚も公明党に、ある程度、リップサ-ビスする
こともあるかもしれません。
しかし、この事は、すべて、公明党を連立政権に招き入れた自民党の責任では
ないでしょうか?
皇室のかたの側に問題があるわけではありません。
私も、もし、創価学会が不遜な野心を抱いておれば、決して許せないです!!!
しかしながら、創価学会がみづから省みて、、健全な国民団体へと脱皮するべく
努力するなら、もう少し猶予を見てあげてもよいと思いますが、、、、、、???

☆☆☆
天皇陛下の制度?のことになりますが、、、、、、、
これも、私の素朴な見解になりますが、、、、

天皇『制』の是非の問題の議論は、やはり、謹みが必要だとおもいます。
第一、そうゆう議論をいたしましても、結局のところ、ひとびとの意見の相違をきわだたせる
だけであり、国家社会の安定や国民の幸福につながる建設的な意見を提起することは難しいと
おもいます。

私たちにとりまして、今、もっとも大切なことは、、、
★天皇制が、良いか悪いかを、議論することではなく、
☆天皇陛下や皇族のかたがたのお幸せを、ひたすら、お祈りすることだと思います。!!

天皇皇后両陛下も、私たち国民の幸せを、祈っておられます。、、、、、、、

今回の天皇皇后両陛下の御即位の一般参賀には、おびただしい国民が参集し、
天皇皇后両陛下も、私たち国民を祝福なさっておられました。
これほど、ほのぼのとした麗しい光景はありません。

また、あと十年程いたしますと、秋篠宮悠仁様が、そろそろ御結婚適齢期になられます。
悠仁様には、是非とも素晴らしいお嫁さん(妃殿下)をお迎えいただき、健やかな
皇子さま、、お姫様をたくさんお産みになっていただきたいです!!
それが私たち国民の明日への希望に他なりませんし、それがこの問題の解答でありましょう。!!
あなたの言論はテロを助長する (Unknown)
2019-05-08 04:51:11
 美智子妃の父上は自宅で逼塞していた。小和田氏は、こういう先例があるから国際司法裁判所に送り出したのだろう。臣民には悪党がおり嫉妬に狂って小和田氏に濡れ衣を着せ、では征伐と浅沼委員長を襲ったようなテロ犯が出てくるかもしれない。即位に関して小和田氏の動静が一切報じられないのは用心しているのだろう。帰国しないようにと上皇に言われているかもしれない。黒田氏も新天皇の義弟なのだから、ちらっと映像が出てもおかしくはない。だがわからない。皇室が自分の思い通りでないと気が狂うバカが多いから、言論は控えて欲しい。
櫻井結奈さま (kuranishi masako)
2019-05-08 09:19:09
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。

 国民の中には櫻井さまのようにお考えの方も、確かにおられるのではないかと思いますし、個人的なご意見といたしましては尊重すべきことと思います。

 しかしながら、多数の人々が自らの理性や知性に照らして受け入れられない制度は、その危険性をも考慮し、見直して然るべきなのではないでしょうか。全世界レベルで見ましても、君主制が、今後、永遠に続くとも思えません。イギリス等も、近い将来、王室は消えることとなるのではないでしょうか。世襲や特定の個人の神格化は、人間の正常な理性においては最早受け入れ難いのです(カルト化や信仰化するしかありませんが、全ての国民が入信するとも限らない…)。何れにいたしましても、自由な議論に耐えられないのであるならば、やはり、その制度は見直すべきです。また、自由な議論は、’国家社会の安定や国民の幸福につながる建設的な意見を提起することは難しい’と申されておりますが、改善にも議論が必要なのですから、この見解も個人的な幸福感を他者に押し付ける’独善’というものともなりましょう。日本国、並びに、日本国民の為に真に慎むべきは、反対論や批判論に対する言論を封じるべき行為なのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
Unknownさま (kuranishi masako)
2019-05-08 10:02:35
 通常は、Unknownさまのコメントの内容が、あまりにも邪悪であり、また、公序良俗に反するものも多いため、本ブログでの掲載を認めておりませんが、本日は、記事作成に際して扱わせていただきますので、掲載いたします。なお、普段は破壊的なご意見が多いのにもかかわらず、現皇室に関してのみは極めて’保守’的な見解を示されておられおり、不思議な限りです。

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