長崎県、対馬の仏像盗難対策で博物館新設へ 中村知事が表明(産経新聞) - goo ニュース
長崎県では、対馬において韓国人による文化財窃盗事件が相次いでいることから、新たに博物館を新設し、寺社や個人から文化財を預かって保存することを検討しているそうです。窃盗対策の博物館新設とは、これこそ、前代未聞の事件なのではないでしょうか。
奈良、京都、鎌倉…といった古都には、夥しい数の寺社仏閣があり、安置されている仏像だけでも相当な数に上ります。歴史・文化的な価値のみならず、市場価値も高い文化財であるだけに、窃盗団から狙われやすく、警備のための労力や設備も並大抵ではないと想像されます。しかしながら、純粋に劣化を防ぐために徹底管理が可能な場所に保管するということはあっても、窃盗対策のために文化財を博物館に納めるといった話は、つゆとして聞いたことがありません。何れの寺社仏閣でも、レプリカではなく、本物の仏像がそのまま信仰の対象として息づいており、地元の檀家や氏子の信者のみならず、内外の参拝客や観光客をも魅了し続けているのです。レプリカともなれば、興ざめする人も少なくないはずです。対馬において、このプロジェクトが実際に実施されるとしますと、島民の人々は、レプリカを拝むことになるのですから、たとえ窃盗対策であったとしても、もろ手を挙げては賛成できことでしょう。
もっとも、年間30万人近く対馬を訪れるという韓国人観光客は、この新設の博物館を見て、少しは反省するかもしれません。何故ならば、新設の博物館こそ、対馬が韓国人窃盗に悩まされてきたことの証となるからです。そして、お寺から移されて展示されている御仏像もまた、物言わずとも、韓国人観光客を諭してくださることでしょう。
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長崎県では、対馬において韓国人による文化財窃盗事件が相次いでいることから、新たに博物館を新設し、寺社や個人から文化財を預かって保存することを検討しているそうです。窃盗対策の博物館新設とは、これこそ、前代未聞の事件なのではないでしょうか。
奈良、京都、鎌倉…といった古都には、夥しい数の寺社仏閣があり、安置されている仏像だけでも相当な数に上ります。歴史・文化的な価値のみならず、市場価値も高い文化財であるだけに、窃盗団から狙われやすく、警備のための労力や設備も並大抵ではないと想像されます。しかしながら、純粋に劣化を防ぐために徹底管理が可能な場所に保管するということはあっても、窃盗対策のために文化財を博物館に納めるといった話は、つゆとして聞いたことがありません。何れの寺社仏閣でも、レプリカではなく、本物の仏像がそのまま信仰の対象として息づいており、地元の檀家や氏子の信者のみならず、内外の参拝客や観光客をも魅了し続けているのです。レプリカともなれば、興ざめする人も少なくないはずです。対馬において、このプロジェクトが実際に実施されるとしますと、島民の人々は、レプリカを拝むことになるのですから、たとえ窃盗対策であったとしても、もろ手を挙げては賛成できことでしょう。
もっとも、年間30万人近く対馬を訪れるという韓国人観光客は、この新設の博物館を見て、少しは反省するかもしれません。何故ならば、新設の博物館こそ、対馬が韓国人窃盗に悩まされてきたことの証となるからです。そして、お寺から移されて展示されている御仏像もまた、物言わずとも、韓国人観光客を諭してくださることでしょう。
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同じ国民同士でも考え方の違いから、袂を分かつ事があるという事を忘れ、理解し合えるはずだ、友情や友好は何よりも大切だと・・・此のような甘い考えが国内では、子供のいじめ問題を解決できないばかりか、左翼・極左の人権派の台頭をよび、国際的には慰安問題や戦争犯罪などの冤罪を放置する原因になっているのです。
現実に親中派・媚中派・親韓派と呼ばれる連中のしてきた事をみれば結果的には、中国の軍事的台頭を放置し韓国の米国に於ける慰安婦像の設置や国際的な告げ口外交など、我が国を貶め、ひいては東南アジア諸国に対する侵略の手助けでしかなかった事が分かるはずです。
韓国を調子にのせた事の結果、韓国は世界中で嫌悪される事態に至っており、外資も次々に逃げ出しデフォルト寸前に至っているではありませんか。
相手の機嫌を伺うことだけが友情ではありません。
対人関係の中にも礼儀と厳しさは必要です。
相手の過ちを正すことで友情が失われるなら、そのようなものは友情とは言いません。
戦後教育の現場から消えたものの一つに、互いに助けあうことと同時に厳しさも必要だという考え方ではないでしょうか。
もう一つは、徴兵制でなくとも民主主義国家では国民は国防の義務を負う。
外国の工作員と思しき人間を選挙で選出しない、国民と異邦人は厳密に区別される、これは軍人でなくとも国民が共有できる国防の一環のはずです。
このあたり前の事がわからなくなっているのが戦後民主主義というやつでしょう。
但し、この意見に一理あると思うのは、地方自治体が地方の歴史や産業などの箱物をつくり観光客を誘致しようとして失敗し巨額の赤字を計上しているからです。
地方の歴史や産業の発達の歴史などは、箱物を作り展示するよりも、自治体のホームページにでも写真や動画を載せ詳細な説明をする方が経費が少なく、ネットにアクセスする環境があれば誰もが観る事が出来き、国民であれば国の歩みをしる手がかりとして、外国の人にも興味をもってもらい観光客として訪れてもらうきっかけにする事は大切だと思うからです。
資料は貴重な文化遺産として国の博物館などで保管される事が望ましいと考えます。
しかし、寺社仏閣に安置されている仏像や鏡・玉などはレプリカではいけません。
寺社仏閣は大勢の人々の心の拠り所であり、信仰の対象です。
そのような場所に盗難の危険があるからレプリカを・・・此のような人の心の根源に関する問題を軽々しく考えるのは宗教や信仰への冒涜そのものです。
それよりも、韓国や中国は外国であり、慰安婦・戦時賠償・サンゴ密漁・邦人拉致などの事件を引き起こしている以上、敵国と認定し友好や友情などと軽々しく考える事は元に慎むべきです。
地方自治体の交流や都市外交は国家の方針に従うべきであり、外交権は内閣に属するのですから地方自治体の首長が勝手に行ってはならない事をしっかりと自覚していただきたいのです。
日本国では、子供達を大変かわいがり、慈しむ反面、躾に関してはかなり厳しく、教育に関しては、バランスをとっていたように思われます。ところが、今日の様子を見ますと、教育のみならず、国や社会全体が、前者に偏るばかりであり、厳しさを忘れているようです。自由には規律がつきものですので、放任主義では、国内にあってはモンスターやクレーマーを大量生産し、国外にあっては、周辺諸国の身勝手な振る舞いを助長してしまいます。国家レベルでのモンスターやクレーマーとなりますと、国際社会の秩序を乱す脅威ともなり、日本国の友好優先の方針は、あまりにも危険な行為です。対立を怖れてばかりでは、安全も安心をも失うことになるのではないでしょうか。
対馬の貧乏寺では、そうもいかないだろう?仏像を集めて博物館で展示すれば観覧料を取れるかもね。
だいたいだ、韓国からの観光客が増えれば、FOOL KOREAがやって来る。盗賊、二度目でやっと腰を上げた。これは、日本の役所の特徴。交差点でも、二人、横断中に事故死すれば信号を設置してくれる。近くの大きな交差点、歩車分離の信号を付けるように公安委員会に要請しているけど、なしのつぶて。誰かが車に巻き込まれて死ねば付けてくれるかもね。FOOL KOREAが来て、簡単に儲かるとわかれば、次はFOOL JAPANが来る。その次はFOOL CHINA そのうち、FOOLがいっぱいやってくる。で、簡単に盗めるところはレプリカしかないよとわかれば、やめるだろう。儲からないから。
ところで、信仰は?別にレプリカで構わない。何ならイワシの頭でも良い。木は木、金は金、石は石。仏の姿であろうと、石は石。仏の姿をしているから神々しいなど、土人の妄想。
レプリカを置くのが嫌なら、盗まれないように自分達で用心すればよい。それは彼らの勝手。盗まれるのが嫌、レプリカも嫌ならそうするしかない。
木は木、金は金、石は石だ。処女が子供を生むことはない。事実を否定するのは妄想というものだ。