万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

憲法第9条の根本的誤り-なくすべきは戦争原因では?

2017年08月05日 15時05分39秒 | 日本政治
自民、改憲案の秋提出見送りへ…支持低迷で
 安倍内閣が目標として掲げてきた憲法改正は、内閣支持率の低迷を受けて先送りとなる見通しのようです。秋の臨時国会に予定されていた自民党の憲法改正案も、慎重な議論を要するとして、先延ばしの方針が示されております。

 憲法改正と申しますと、戦争放棄の条文とされる第9条の行方が最大の関心事となります。安保法制の整備の度に、日本国内では激しい憲法解釈論争が起き、憲法改正=平和主義の放棄とする構図の下で、左派勢力は目の色を変えて反対陣営を張ってまいりました。憲法解釈論争とは、その実、外国勢力を背景とした政治対立の現れなのですが、憲法第9条については、その法解釈の問題以前の問題として、根本的な誤りがあると思うのです。

 何が誤りかと申しますと、戦争が‘武力行使’を意味する以上、第9条を支える“戦争の放棄が平和に繋がる”とする発想そのものが誤りなのです。何故ならば、国際社会において現実に戦争原因が存在している限り、武力という手段の放棄は、国家レベルの“自殺”に等しい極めて危険な行為であるからです。戦争原因とは、一国による一方的な武力行使による現状の変更を意味し、当然に、国際法違反の行為を伴います。すなわち、国際法を平然と破る無法国家がこの世に存在し、覇権主義的な行動を続けている限り、攻守両面における戦争、並びに、違法国家に対する国際的枠組にける武力制裁を除外視することはできないのです(武力によって攻めてきている相手を、武力無しで、どのようにして止めることができると言うのでしょうか)。

 戦争原因が存在する状態における交戦権や軍隊の放棄とは、即ち、侵略を受けても防御する手段を自ら放棄することとなり、むしろ、覇権主義国家による侵略と破壊を容認する結果をもたらします。実際に、中国、ロシア、北朝鮮のように、国際社会には武力による侵略を意図して攻撃型兵器の開発に勤しむ国が存在しております(しかも国連は”国際治安維持機構”としては機能不全の状態…)。憲法第9条は、この側面をすっかり見落としており、この意味において、日本国憲法を平和憲法と称すること自体、根本的なる誤りなのです。

憲法改正時期は遠のきましたが、真に日本国民、並びに、全人類が努力すべきは、憲法9条を“死守”することではなく、戦争原因をなくすことではないでしょうか。そして、この人類が共有する目的のためには、国際社会における法の支配の確立は不可欠ではないかと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ”共産党は腐敗して無能”-正... | トップ | 被爆者の方々へのお願い-現... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
暑中お見舞い申し上げます。 (日本を守ろう)
2017-08-06 08:53:42
今回も 私の勝手な文章ですので 非公開となさって下さっても結構でございます。
先日は 過分な御評価を頂きましたようで、こちら様のブログは私にとって すっかり敷居の高い場となりました。
「悟り」との仰せでしたが、実は私など、仏教で言う「悟り」からは真逆の者です。
今から十九年前に最愛の人を亡くして、当初は後を追って死にたいとばかり思い、明け方の夢に出てくれた朝は しばらくは再び会えた嬉しさに その後は再び彼女の死を受け容れるための苦しみに、心は乱れるばかりでした。

今でこそ、私は彼女と再び結ばれたのだと感じていますし、もはや二度と別たれる事は無いのだと感じられるようになりましたが、
私の内部に起きたこのような変化は 以前は全く予感し得ぬものでありました。ただただ、恩恵によるものとしか申せません。
私自身が努めて得たのではないのです。

 さて、ここからは 「戦争 いえ、平和について」です。

神が人に望む平和 それは 守られた牧場で草を食む動物の安逸ではない。
天の義を担って戦う者が達成する平和である。無法者の暴虐と戦って勝ち取るべき平和である。

真正の神は 人を支配しない。 神は 人に自由と責任を与えて 
愛こそが必要とする戦いへの参与と献身を求めるのである。

人の自由は 神を愛する自由と神を殺す自由 神を殺して人自身を神とする自由である。
人の責任は 自身と世界が 如何にあるべきかに対しての決断の義務である。

神は 人の自由と責任を 決して侵す事は無い。
 人の自由と責任は 人の喜びと尊厳の源泉だからである。
これを経験した者は 神を愛さざるを得ない。
神と共に戦い、神の苦しみを共に苦しむのだ。

おそらくは、神の愛の戦いには 静止も休止も無い。
絶えず人を招いているのである。その招きを受けて
人は 自身の存在の意義を思い知らされる。

その至上の勝利が実現する時には 時間と永遠が結ばれる。 
時を超える時が 歴史の目的が 達成される。  
その幸いと憩いは 永遠の安らぎを知ってしかしそれに留まらぬ、
永遠の覚醒と呼ぶべきものである。

私の愛するモーツァルトの 
最後の交響曲の最終楽章は
まさに「永遠の覚醒」を表現している。
わずか十分間に この上なく表現された 
神の絶えざる戦いを どうか お聴き下さい。拝。

https://www.youtube.com/watch?v=prvBEXbnDR0
返信する
日本を守ろうさま (kuranishi masako)
2017-08-06 09:57:56
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。

 人間社会におけます自由と責任の自覚こそ、より善き世界を実現するための鍵ではないかと、私も考えております。そして、神がおわせますならば、それを望まないはずはありません。日本を守ろうさまの本日のコメント、本ブログを訪問されている方々にも読んでいただきたく、ご自身の今日に至るまでの心の道程を綴られておられますので、失礼とは存じながらも掲載させていただきました。
返信する

日本政治」カテゴリの最新記事