万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

シリア軍事介入問題―ロイターの記者は英雄か?

2013年08月30日 15時44分34秒 | 国際政治
英、対シリア軍事行動を断念=米は方針堅持、単独介入検討(時事通信) - goo ニュース
 化学兵器を使用したとされるシリアのアサド政権に対して、アメリカは、単独でも軍事的な制裁を辞さない構えです。この問題に関して、化学兵器使用の違法性を記者会見で説明したアメリカの報道官に対して、ロイター通信の記者が、”それでは、原爆投下は国際法違反ではないか”と質問する一幕があったそうです。

 この質問に対して、アメリカの過去の罪を問うという意味で、”よくぞ言った!”と、拍手喝采を送る意見も聞かれるのですが、この問題、しばし、立ち止まって考えてみるべきではないかと思うのです。第二次世界大戦末期において、アメリカが、日本国に都市空爆を繰り返し、民間人を大量に虐殺したことは事実ですし、一瞬にして都市そのものを破壊し尽くした原爆投下は、非人道的行為として記憶されています。日本国内でのロイター記者に対する賞賛も、戦勝国側の戦争犯罪が不問に付されたことに対する不公平感が、心の奥底に残っているからです。しかしながら、この問題は、サンフランシスコ講和条約において法的には解決しており、日本国民の多くは、アメリカを責めるよりも、二度と原子爆弾が人類の頭上に投下されることがないことを切に願っております。そして、原爆と同様に、生物・化学兵器も…。仮に、原爆に対する質問が、アメリカをして化学兵器使用に対する制裁の意思を揺るがすとなりますと、それは、不本意なことです。原爆投下の過去の罪を問うことが、現在の化学兵器使用を黙認する結果となるのですから。

 化学兵器の使用については、十分な証拠が揃っていないため、イギリスでは、議会の反対を受けて軍事行動を断念するそうです。しかしながら、国際社会は、化学兵器使用の罪については、国際法違反の行為として、厳しく対処する姿勢を貫くべきではないかと思うのです。68年前の人類よりも、現在の人類の方が、倫理と法において成長したことを示すために。

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2 コメント

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Unknown (ねむ太)
2013-08-30 18:33:48
こんばんは。ロイターの記者の質問はサンフランシスコ講和条約についてではなく東京裁判の正当性を問うものですから、この質問に関して何の問題もありません。
マッカサー本人が「日本の戦争は自衛のためであった。東京裁判は誤りであった」と証言しています。
日本人が発するべき疑問であるはずです。
日本人が東京裁判を黙認してきたのは、そのほうが儲かるからです。
韓国や中国とも利害の一致する点です。
中国や韓国は日本は侵掠をして植民地支配をした極悪非道の国である、だから謝罪しろ賠償金を寄越せといつまでも言い続けられますし、侵略の象徴が慰安婦であり南京事件なのです。
慰安婦だけを否定しても侵掠を認めれば何の意味もありません。
南京事件も同じです。
侵掠をして酷いことをした事を認め未来永劫、土下座して謝罪を続けろというのが東京裁判であり、道具立てとして慰安婦・南京があります。
米国は真珠湾攻撃が宣戦布告以前に行われた、だまし討でなければ60余都市への空襲、原爆を正当化する事は出来ないのです。
現実には、国民党政権に対して資金・物資援助をしていた時点で米国は交戦国ですので真珠湾攻撃は通常の戦闘行為であり騙し打ちではありません。
ここの部分をはっきりさせ、東京裁判を否定しなければ慰安婦や南京を否定しても意味がありません。
今更、米国に対して東京・大阪をはじめとする都市に対する空襲や原爆に対する補償・謝罪を求める事は出来ませんが、戦犯とされた方々の名誉回復の為にも、もう一度「アムネスティ条項の講和条約が結ばれた時点において、それまで戦犯とされた者の名誉は回復される」
この点だけは再度確認をして、戦犯はいない事をはっきりさせるべきでしょう。
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ねむ太さま (kuranishi masako)
2013-08-30 22:54:49
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。
 ロイターの記者の質問は、おそらく、日本のためにではなく、アメリカのシリアに対する軍事制裁に対しての牽制球であったのではないかと思うのです。もちろん、日本国の戦犯の不当性について訴えることは、それはその通りなのですが、この場面では、過去の原爆投下を理由として、化学兵器使用への制裁の手が緩んでしまっては、元も子もないと考えたのです。国際社会が、化学兵器による無差別虐殺の罪を問わないとしますと、今後とも、化学兵器は、何度となく使われることでしょう。また、たとえ、アサド政権による化学兵器使用が陰謀であり、実際に使用したのは、反政府側であったとしても、国際社会が、化学兵器使用が制裁に値する罪であることを明らかにすることには、牽制の効果があります。地雷やダムダム弾などについては、平和主義者たちは声を張り上げて反対してるにも拘わらず、シリアに限っては、軍事介入反対に傾斜している姿も、どこか、不自然に思えるのです。
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