万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

今般の衆議院選挙は’二頭作戦’?

2021年10月15日 13時00分21秒 | 日本政治

 ’二頭作戦’、’双頭作戦’、あるいは、’多頭作戦(ヒドラ作戦八岐大蛇作戦?)’とは、複数の勢力が対立しているように見せかけながら、その実、首から下の本体の部分は一つであり、どちらが勝っても、あるいは、どれを選んでも結果が同じとなるように仕組む作戦を意味しています。視界が巧妙に遮られている周りの人々には、首から下が見えませんので、複数の勢力が本気で対立していると思い込んでしまうのです。

 

 古代ガリアに住んでいたケルト系の部族では、自由を確保するために必ず二つの勢力に分かれるような工夫があったとする説があります。一人の個人、あるいは、一つの勢力によって決定権が完全に掌握されますと、他のメンバーには選択の余地がなくなり、個々の自由というものも失われるからです。こうしたケースでは、二項対立的な構図は自由という価値を擁護します。実際に、近代議会制民主主義の発祥の地とされるイギリスをはじめ、アメリカなどの民主主義国家にあって二大政党制が発展した理由も、同制度が、国民に政治的選択の自由を保障したからなのでしょう。自らの自由意思によって、A党が望ましくなければ、その反対政党であるB党に投票する権利を国民は有するのですから。多党制の採用が民主主義体制の証とされるのも、複数の政党の存在そのものが、国民の政治的自由を保障するからです(一党独裁体制下にあっては選択肢が存在しないので、国民の政治的自由は失われる…)。

 

 しかしながら、このシステム、政党の数が少なければ少ないほど、国民が逃げ場を失い’挟み撃ち’にされてしまうリスクが上昇します。例えば、A党とB党から成る二大政党制であれば政党の数は凡そ二つに過ぎませんので、莫大な資金力を有する非国家組織が両勢力をマネー・パワーで篭絡することは比較邸容易です。そして、表面的には対立させながら、両政党を自らの思いのままに背後から操ることができるからです。つまり、たとえ民主的な選挙を経て政権交代が実現し、国民の多くが自らの政治的選択によって新たな政府を選んだものと信じていたとしても、それは、表面的なものに過ぎずません。むしろ、A党であれ、B党であれ、何れの政党が政権与党となったとしても、両政党の公約の双方に非国家組織の政策アジェンダを幾つか組み込んでおけば、新政権は、それを忠実に代行してくれるからです(その他の些細な分野では、国民の人気取りとなる政策を行うかもしれない…)。

 

この手法は、より多くの政党が乱立する状態にあっても、難易度は上がりますが不可能なわけではありません。日本国は、自民党一強の一党優位の多党制と称されていますが、長期化による自公政権の傲慢運営に対する国民世論の忌避感も強く、政権交代のチャンスとも指摘されています。今般の衆議院選挙を見ますと、全ての政党が網羅されているわけではないのですが、自民党+公明党対立憲民主党+共産党の二大政党制に近い形での構図が浮かんできているように思えます。

 

今後、今般の衆議院選挙は、マスメディアの煽りもあって自公対立共の対立構図において選挙戦が闘われるとしますと、どちらの陣営を選びましても、日本国において社会・共産主義への傾斜が強い全体主義的な政権が誕生する可能性もありましょう。このように考えますと、民主主義国家であるからこそ、二頭作戦といった国民’追い込み’作戦には十分に警戒すべきと言えましょう。何時の間にか、国民の自由な選択の結果が全体主義国家に移行しないように…。

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