日本国政府をはじめ、各国政府並びにEUは、漏れなく全ての人々にワクチンを行きわたらせるべく、大規模なワクチン・プロジェクトを開始しています。しかしながら、ワクチンの登場と軌を一にする化のように、新たな脅威として様々な変異株が世界各地で誕生しています。
一本鎖であるRNAウイルスは他の一般的なウイルスとは異なり、変異しやすいという特徴があります。先日、報じられていた国産ワクチンの開発状況を伝えるドキュメント番組にあっても、変異の速さを示す場面が映し出されていました。不活性ワクチンの開発に関するシーンなのですが、10代の分裂を経ると弱毒化したウイルスが出現するというのです。新型コロナウイルスが武漢で初めて確認されたのが一昨年の秋であり、日本における患者の発生は昨年のことですので、実験期間はおそらく数か月ということなのでしょうから、極めて短期間で新型コロナウイルスの変異株が出現することとなります。弱毒化のみならず、他の能力が変化した変異種も現れることでしょう。警戒されているのは、より感染性が高いN501Y変異株、並びに、‘免疫逃避’能力を備えたE484K変異株です。とりわけ、後者のウイルスは、感染やワクチンによって産生された中和抗体に対しては十分に反応しないとされています。
変異株の出現は、当然にワクチン・プロジェクトに影響を与えざるを得ません。第一の理由は、言わずもがな、従来型ウイルス用のワクチンが変異種には効果がない可能性が高いからです。アストラゼネカ社が免疫忌避の可能性を示唆したことから、E484Kが変異した南アフリカ型の感染拡大が懸念されていた南アフリカ政府は、ワクチン接種を見合わせています。このことは、今後、集団免疫の獲得を目的としてワクチン・プロジェクトを推進してゆくとすれば、従来型のワクチンと変種型のワクチンをほぼ同時期に接種する必要性が生じてきます。南アフリカ型については、同変異種に対応して産生された中和抗体が、従来主にも一定の効果を有するとの報道もありますが(免疫交差)、このケースでは、従来型のワクチンを破棄して南アフリカ型用のワクチンを買い増さなければならないこととなります。
新型コロナウイルスがRNAウイルスである以上、’ワクチン漬け’となる将来は容易に予測できますし、抗体の効果持続期間が短ければ、一人の人が年間に接種しなければならないワクチンの数は相当数に上ることでしょう。そして、繰り返しのワクチン接種については、様々なリスクが指摘されています。例えば、以前にも本ブログにてご紹介いたしましたように、ファイザー社やモデルナ社が脆弱なmRNAを包むため使用している脂質ナノ粒子は、大量投与によって肝機能にダメージを与えるそうです。アストラゼネカ社のベクターワクチンについても、mRNAの運搬のためにチンパンジーのアデノウイルスが使われていますが、これもまた、新型コロナウイルスの抗原のみならず、アデノウイルス自体に対する抗体も産生されてしまうため、二度目の接種では効果が薄まるとされています(二度目の接種には、別のウイルスをベクターとするワクチンを接種する案も…)。また、アデノウイルスは、遺伝子治療に際しても使われているため、頻繁の使用による抗体の出現は、同治療を要する人々にとりましては阻害要因となるとする指摘もあります。
さらに、ワクチン一般には、アルミニウム塩等のアジュバントが使われていますが、アジュバントとは、炎症性サイトカインを多量に放出させることで(自己の細胞、例えば白血球の崩壊とともに放出…)、免疫効果を高める添加物のことです。最先端の遺伝子ワクチンとしての人工mRNAの投与そのもののリスクに加え、短期間に何度もワクチン接種を繰り返すとなりますと、様々な物質の蓄積により、免疫システムや他の臓器等に異常を来したり、悪性腫瘍が発生するリスクも予測されましょう。自己免疫疾患が増加するかもしれませんし、許容の限界を超えるとサイトカインストームが発生するかもしれません。あるいは、免疫システムは複雑ですので、制御性T細胞の方が増強され、逆方向に免疫力が低下する可能性もありましょう(専門家ではありませんので、見当違いかもしれません…)。
人体システムは、今日の先端的な研究を以ってしても全てが解明されているわけではありませんので、謙虚な姿勢が必要なように思えます。DNAの塩基配列も、デジタルにあって0と1の組み合わせが何を意味するのか分からないように、記号の羅列に過ぎません。人類の全ゲノムは解読されてはいるものの、そのメカニズムについてはまだまだ謎が残されているのです。こうしたリスクを考慮しますと、ワクチンの繰り返し接種には深刻な長期的影響も予測されますので、変異種の出現を機に、政府は、’ワクチン・プロジェクト’の見直しにこそ着手すべきなのではないかと思うのです。目先の利益に釣られて未知のワクチンに飛びつきますと、将来において思わぬ’ワクチン禍’に見舞われないとも限らないのですから。