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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

新興宗教団体の政治的な利用価値とは

2022年08月26日 14時14分55秒 | 国際政治
 今日、政治と宗教との問題が国家を揺るがす大問題に発展した理由は、政党や政治家と新興宗教団体の悪しき‘相互依存関係’に求めることができましょう。政治サイドも宗教サイドも、お互いを利用し合っていると推測されるからです。

教科書的な説明、あるいは、メディアの解説によれば、両者の間で成立する相互依存関係は、政治側が教団側に与える箔付けと宗教側が政治側に提供する組織票や選挙スタッフということになります。しかしながら、無党派層が30%から40%を占め、その割合がさらに上昇しつつある現状にあって、組織票・信用バーター説は、それ程に説得力が高いわけではありません。

信者数は、公明党の支持率は5%以下ですし、信者の激減が報じられていますので、人口の数パーセントを占めるに過ぎないのでしょう(世界平和統一家庭連合に至っては日本人信者数は凡そ60万人・・・)。自称827万世帯(10年前の数字・・・)ともされていますが、それでも信者は全国に分散して居住していますので、特定の選挙区で組織票パワーを発揮するにも限界があります(それ故に、住民票を移動?)。組織票は固定票としての価値があるとはいえ、選挙戦略としては、民意に応える政策を公約として掲げ、無党派層を取り込む方が当選の可能性を高めるはずです。

また、選挙時において教団側から提供されるスタッフにしましても、国庫から政党助成金が支給され、所属する政党から選挙資金を受け取っていますので、経費節減説も説得力に欠けています。なお、政教分離を徹底するためには、公職選挙法を改正し、宗教団体による選挙運動員の派遣を禁止すべきかもしれません。

仮に組織票・信用バーター説が正しければ、政党と宗教団体の関係は簡単に解消できるはずです。しかしながら、今日、なおも自民党や他の政党が世界平和統一家庭連合や創価学会との関係を断ち切れないとしますと、両者の間には、何らかの‘裏の取引’があるように思えます。それでは、この‘裏の取引’とは、一体、どのようなものなのでしょうか。

国民に隠されている取引とは、選挙という限定された局所的な場面ではなく、選挙以外の一般的な政治空間において成立しているものと推測されます。そして、この取引は、日本国をコントロールしたい超国家権力体との取引でもあるのかもしれません。いわば前近代の封建体制や冊封体制の構図に近いのですが、超国家権力体の側が、支援対象の政党や政治家に対して政権や首相または同候補の座を保障する代わりに、自らの利権拡張への奉仕を求めるという関係です。超国家権力体は、潤沢な資金力のみならず、大手メディアをも支配していますので、その支援は絶大です。今日、芸能界を含むメディアにあってカルト教団の影響が浸透しているのも、同取引によって説明されるかもしれません(芸能界では創価タレントが幅をきかせており、フジサンケイグループは世界平和統一家庭連合、毎日新聞社は創価学会との関係が指摘されている・・・)。

その一方で、カルト教団が超国家権力体の末端組織として、政党に対して提供するのは動員力です。選挙に際しても、政党・政治家サイドは、組織票よりも新興宗教団体の動員力を欲しているのかもしれません。選挙カーの周りや候補者の演説場所に人集りを造ることや所謂‘声がけ’などができるからです(劇場型に・・・)。そして、この組織的な動員力は、政権与党が自らの政策(その殆どは超国家権力体からの要望なのでしょうが・・・)、これらを推進してゆく上でも大いに役に立ちます(グローバリズム、新自由主義、多文化共生主義の推進、社会的関心の誘導や特定の話題のタブー化、ワクチン接種促進などであり、政治レベルでも、これらの実現は超国家権力体に対する見返り・・・)。一般の国民に対して同調圧力をかけたり、一般人を装って他者の行動を監視することができるからです(しばしば報告されている集団ストーカーも、こうした組織によるものであるのかもしれない・・・)。言い換えますと、権力側のカルト教団の利用価値とは、隅々まで国民を支配するネットワーク型の組織を確保することにありましょう(一般の国民を挟み撃ちにする作戦・・・)。この点に鑑みますと、ITやAIを活用し得るデジタル社会が到来した今日、宗教団体は、もはや‘ご用済み’なのかもしれません。

それでは、この構図にあって、一般の信者はどのような恩恵を受けているのでしょうか。大多数の信者は、おそらく心から教祖に心服し、それが唱える教義を信じているのではないのでしょう。ここに、政治的利権の介在が推測されます。この側面は、政権与党となった公明党において顕著なのですが、宗教団体の多くはビジネスを行なう、あるいは、投資を行なっていますので、支援を受けた政治サイドは、これらの企業に対して何らかの利権を与えているのでしょう。‘安部のマスク’の製造受注に際して、創価系のユースビオという企業が問題となったのは記憶に新しいところです。人材派遣業の大手であり、雇用の不安定化を招く新自由主義の象徴でもあるパソナにも、創価学会の陰がつきまといます。しかも公明党は、国土交通相のポストを長期にわたり独占していますので、その利権たるや巨額に上ることでしょう(政治家の口利きによる随意契約・・・)。特定の宗教団体に属する、あるいは、同団体と親交を結べば仕事を得られるならば、利権の供与を受けた企業は、社員に対して特定の政党や候補者に一票を投じるように指示し、同教団の組織票の一角に組み込まれてもおかしくはありません(創価学会のフレンド票?)。

以上に述べてきましたように、政治と宗教団体との間には、相互依存関係を介した世界支配、あるいは、国家支配の問題が潜んでいるように思えます(支配の末端組織は宗教団体に限定されない・・・)。そして、この近代以前に遡ると推測される支配の仕組みの解明こそ、日本国、否、全世界の諸国が国民による自治という意味における民主主義国家を真に実現するために必要となる作業なのではないかと思うのです。

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