本年1月1日に大規模な地震が発生した能登半島では、今なお、行方不明となられている方々の懸命な救助並びに捜索活動が続いています。厳しい冬の寒さに晒されながら、避難所での生活を余儀なくされている被災者の方も多く、なぎ倒されたよう街並みや倒壊家屋の映像も見るに忍びありません。能登半島の惨状は、国民の誰もが早急かつ大規模な復興支援を必要としていえることを語っています。
日本国民の誰もが、甚大なる被害を受けた能登半島の被災地復興のための予算を当然の支出と見なしているのですが、予算は泉の如くに無限に湧き出るわけではありません。総額には自ずと有限の‘枠’があることを考慮しますと、復興に必要な予算を捻出するためには、他の予算を削る必要が生じていきます。ここで、‘どの予算を削るのか’という問題が持ち上がるのですが、凡そ99.9%の国民が、迷わずに不要、あるいは、無駄な予算を削る、と回答することでしょう。そこで、削減対象となる予算として真っ先に挙げられることとなったのが、大阪万博とウクライナ支援の両者です。何れもが、削減対象となるに十分な根拠があるからです。
そもそも、万国博覧会というコンセプトは、既に時代錯誤となりつつあります。インターネット社会では、個人であってもPCやスマホ等を介して簡単に国境を越えることができ、海外の文物に触れることができます。万国博覧会の魅力は、テーマ・パークの如くに自国にいながら海外の諸国を訪問した気分になれる、しかも、開催地の会場一カ所をめぐれば世界を一周できるところにありましたので、インターネットがこれを実現している今日では、その存在価値が著しく低下しているのです。このため、各国とも出展には消極的であり、パビリオンの建設も遅々として進んではいないようです。しかも、2025年大阪万博のテーマは、「いのち輝く未来社会のデザイン」であり、豊かで多彩な各国のお国柄を披露する場ではなく、SFチックな未来技術の見本市のようなのです。これでは、世界に誇る技術に乏しく、技術力に自信のない国は、万博への参加に余計に尻込みすることとなりましょう。
加えて、今日の万博は、オリンピックにも通じる金権あるいは腐敗体質を露呈しています。当初の見積もりを超えて予算が膨れ上がっても、それを止めることが出来ないのです。いわば悪徳商法のようなもので、何かと理由を付けられては追加予算を請求されてしまうのです。一種の国際的な集金マシーンと化しており、万博の開催に固執している人々は、何らかの金銭や便宜供与を受けているのかもしれません。大阪府の吉村知事も、災害復興と万博開催は両立し得ると主張しておりますが、予算がゼロサムの世界である限り、同発言は、吉村知事が国際的な万博利権側に与していることを示唆しているとも言えましょう。国民の利益を第一に考え、かつ、国民の大多数が万博に対して冷めている現状からしますと、万博は中止あるいは縮小が最も適切で合理的、かつ、民意に添った政治判断なのではないでしょうか。
そして、ウクライナ支援も、不要な予算と見なされる尤もな根拠があります。この予算についても、そもそも何故、日本国がウクライナを支援しなければならないのか、国民の多くが納得するような説明はありません。しばしば、ロシアの特別軍事作戦は国際法違反の侵略であるため、国際法秩序を維持するために日本国はウクライナを支援すべき、あるいは、ロシアによる対日侵略を未然に防ぐため、とも主張されますが、前者であれば、国連等の国際機関を介して全国家が負担を分かち合うべきですし、後者についても、ウクライナ一国を相手に苦戦しているロシアが二正面戦争の挙に出るとは考えられません。ウクライナにおける戦後の復興景気を日本企業のビジネスチャンスと捉える説もありますが、自国内の能登半島の復興事業のほうが余程期待がもてるはずです。何れにしましても、合理性にも説得力にも欠けているのです。あるいは、来る台湾有事に備えた自由主義国の結束強化のためとする見解もありますが、中国リスクが高いのであれば、他国への軍事的支援よりも自国の軍備増強に予算を費やすのが筋というものです。
震災直後、6500億円という巨額のウクライナに対する資金提供を公表し、戦後復興への協力も安請け合いしながら、能登半島地震に対する支出が僅か数十億円とした日本国政府の姿勢が世論の批判を浴びましたが、納税者は国民なのですから、この批判は当然すぎるほど当然の批判です。そして、こうした不可解な政府のウクライナ優先の姿勢にも、日本国の政治が世界権力による一種の搾取システムの中に位置づけられている様子が窺えるのです。負担だけを押しつけられるのですから。
人工地震が強く疑われる大規模な災害が発生しながら、今では存在意義が問われている万博といったイベントや他国に予算をつぎ込もうとしている日本国政府の非常識かつ‘海外ファースト’の姿勢は、むしろ、その異常さ故に世界権力による世界支配の実態を浮き上がらせているとも言えましょう。政府の予備費も、予期せぬ災害といった非常事態に備えるために設けられているのですから、最優先で被災地の支援や復興に充てられるべきはずです。優先順位の決定という政治家として当たり前の判断ができない日本国の政治家とは、一体、何者なのでしょうか。