17世紀の哲学者、スピノザは、その著書『国家論』において、自然状態(無法状態)にある国際社会にあって、戦争とは、一国の意思のみで起こすことができる、といった意味の言葉を残しています(第3章第13節)。今般のイスラエル・ハマス戦争につきましても、何者かによる‘戦争への強い意志’が窺えます。その意思の所在については、メディア一般が報じるように、多くの人々は、イスラエルを奇襲したハマスの意思ではないかと考えるかもしれません。
しかしながら、奇襲の一瞬ではなく、歴史的な経緯や戦争利権などを含めて考察しますと、真に戦争を望んだのは、直接的な開戦事由を造ったハマスとは限らないように思えます。偶然にしては、‘余りにも出来過ている出来事’の連続であるからです。そこで、戦争意思の源泉を突き止めようとしますと、イスラエルも表層に過ぎず、そのさらに奥の暗闇を探す必要があるように思えてきます。視界不良ながら、イスラエルの次に視界に入ってくるのは、アメリカの姿であるかもしれません。アメリカが戦争を望んでいる疑われる理由は、以下のような不可解な行動が見られるからです。
第一に、パレスチナガザ地区で起きた病院空爆事件を理由として、アメリカのバイデン大統領は、ヨルダンの首都アンマンで予定されていたヨルダンのアブドラ国王、エジプトのシシ大統領、並びにパレスチナ政府のアッバース議長との会談を、急遽取りやめています。戦争拡大を防ぐための絶好のチャンスであっただけに、同首脳会談のキャンセルは、和平に向けた機械を失ったこととなりましょう。とりわけ、パレスチナのアッバース議長との会談中止は、ガザ地区がパレスチナ国の領域であるにも拘わらず、アメリカが、パレスチナ国のガザ地区に対する領域主権並びに同地域の住民に対する対人主権を無視しかねない状況を生み出しています。なお、会談キャンセルの理由は、アッバース議長が喪に服しているためとも説明されていますが、戦争の最中にあって国家のトップが喪に服し、これを理由に公務を控えることは、常識的にはあり得ないことです。過去にあって、アッバース議長も親イスラエル政策が批判されたこともありましたが、ファタハにつきましても、その立ち位置が疑わしいのです。
第二に、バイデン大統領は、ガザ地区の病院空爆については、イスラエルに責任はないと発言しています。その根拠として、傍受した通信内容や衛星画像などを挙げ、イスラエルと同様に、基本的には、イスラム聖戦による誤爆説を支持しているようです。しかしながら、人為的ミス、即ち、誤爆にしては、あまりにも出来過ぎています。安全が保障されるべき病院という、攻撃が行なわれれば被害を受けた側のみならず国際世論も沸騰するような建物に、都合良くロケット弾が着弾したことになるのですから。ガザ地区内からの発射であったとしても、イスラム聖戦等の過激派武装組織によるものとは限りませんし、ChatGPTをめぐって指摘されているように、今日の画像や音声模倣技術からしますと、証拠の捏造の可能性も否定はできなくなります。より慎重かつ科学的な調査や分析を要するにも拘わらず、イスラエルに責任なしと断言するバイデン大統領の姿は、どこか怪しげに映るのです。
そして第三に疑いを深める不審な点は、今月18日に国連で開かれた安全保障理事会において、アメリカが一時停戦を求める決議案を葬り去ったことです。同安保理理事会では、ロシアが修正した二本の決議案は多数の賛成票を得られずに否決されたものの、ブラジルが提案した停戦案については、日本国を含めて12カ国が賛成票を投じました。賛成多数で可決となるところであったのですが、アメリカは、常任理事国として事実上の拒否権を行使し、同案は不成立となったのです。
拒否権を行使した理由として、トーマスグリーンフィールド米国連大使は、同案にはイスラエルの自衛権が明記されていなかった点を挙げています。しかしながら、双方の戦闘員のみならず、民間犠牲者の数も増加の一途を辿っており、人道的見地から停戦を求めるのは当然のことです。また、そもそも国際法は、あらゆる紛争の平和的解決を求めていますし、同決議案は、ハマス側にのみ自衛権を認めたわけでもないはずです。国連安保理において拒否権を行使する根拠としては薄く、アメリカが、地上侵攻計画を実行に移すべく、イスラエルと共に戦争の継続を望んでいるとしか思えないのです。
以上の諸点からしますと、アメリカは、イスラエルと一心同体、あるいは、イスラエルの後ろ盾として、戦争意思を有しているとする見方は強ち間違ってはいないように思えます。リップサービスとしては、ガザ地区の民間人の保護に言及しながらも、その本心においては、戦争の激化を望んでいるのでしょう。アメリカ民主党は、かつては平和を求める‘ハト派’とされてきましたが、今や、平和のシンボルであった鳩は、獰猛で好戦的な鷹に姿を変えてしまったかのようです。そして、‘ハト’と‘タカ’の区別が曖昧となった現状からしますと、真の戦争意思の所在は、さらにその後ろの暗闇を探す必要があるように思えてくるのです(つづく)。