戦争が絶えなかった16世紀の時代状況を背景として、デイデリウス・エラスムスは、『平和の訴え』という著書において、身勝手で強欲な君主達を批判しつつ、人々に問いかけています。「悪魔どもは殺すものと殺されるものが同時に二重の犠牲となることをひどく嬉しがるものですが、キリスト教徒が捧げているのはまさにこの二重の犠牲なのではないでしょうか」と・・・。‘君主達’を各国政府、あるいは、その背後で操る世界権力に置き換え、‘キリスト教徒’を、「人命を尊重し、暴力を厭う精神性を備えた現代人」に置き変えて読みますと、この問いは、現代という時代にも十分に通じるように思えます。
ウクライナ紛争に対するロシアの軍事介入に始まる一連の流れを追ってゆきますと、そこには、世界大に戦争を起こそうとする一つの意思が読み取れるように思えます。既に多くの人々が陰謀の実在性を目の当たりにしり、むしろ、その存在の否定の上で現実を説明する方が難しい状況下にあります。仮に、何者かによって第三次世界大戦が計画されているとするならば、ウクライナ、パレスチナ、そして台湾における紛争が、戦争拡大のための発火点として役割を担わされているのでしょう。これらの地域においてほぼ同時に炎が燃え上がれば、全世界は、ほどなく戦火に包まれることとなりましょう。
そして、この仮説が正しいとすれば、先日発生したパレスチナガザ地区の病院に対する空爆の意図も、自ずと理解されてくるように思えます。不可解なことに、同事件が誰の犯行であるのか分かっていません。イスラエルとアメリカは、イスラエル軍による空爆を否定する一方で、アラブ諸国と親パレスチナ武装勢力、並びに、イランとヒズボラ等のイラン系武装組織は、イスラエルによる犯行を疑っています。今日の高度な映像や音声技術からしますと、証拠の捏造も不可能ではありませんので、真相究明には時間も労力も要します。そして、この曖昧模糊とした混沌状態こそが、双方の憎悪が増してゆく‘時代の空気’ともなりかねないのです。つまり、病院空爆は、双方の敵愾心を煽るために行なわれたとも推測され、いわば、戦争激化のための‘燃料投下’であったのかもしれません。
第三次世界大戦を引き起こすには、先ずもって二大陣営を形成する必要があります。本来であれば、各国には、近隣諸国との間にそれ固有の紛争原因を抱えているものですので、きれいに二大陣営に分けるのは至難の業です。二大陣営に分けようとしても、敵の敵は味方となるならまだしも、場合によっては、敵の敵も敵となるケースも稀ではなく、極めて複雑に敵と味方の関係が絡み合います。あるいは、地理的位置関係を考えれば、何れとも無関係な国が大半なのですが、近代以降、二度の世界大戦を経た今日、超大国を中心とした軍事同盟の存在が世界大戦に発展しやすい導火線を敷いているという見方もできましょう。
自らは安全な場に身を置きつつ、自らの手は汚さずに人類を滅亡の淵にまで追い込むには、二つの陣営に分けて相互に殺戮をさせるのが好都合であり、そのためには、双方の国民やメンバーの憎悪を煽る必要があったと言えましょう。このように考えますと、病院空爆事件については、双方ともに感情の高ぶりを抑え、冷静な対応を心がけるよう努めるべきは、言うまでもありません。
幸いにして、ユダヤ人の中にもイスラエルによるパレスチナ攻撃に対して批判的な人々も見られるそうです。双方が憎しみ合う敵対関係に誘導されている当事者の国民のみならず、日本国をはじめ他の諸国の国民も、早期の停戦を求めると共に、世界大戦への誘導作戦には十分に気をつける必要がありましょう。戦争の連鎖的拡大が予定されているのであれば、全人類はほどなく戦争に巻き込まれ、双方共に無辜の国民の多くが犠牲に供されてしまいます。悪魔は二重の犠牲を嬉しがるのですから。