万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

AI・超人・天才と政治

2023年07月12日 13時51分03秒 | 社会
 近い将来、シンギュラリティーに達して人の知能を上回るとされるAIについては、その能力のずば抜けた高さ故に、人類支配の懸念が寄せられています。しかしながら、そもそも、知的能力の高さは、統治権力を行使する正当な理由となるのでしょうか。ここで、AI、超人、天才の三者と政治との関係について考えてみたいと思います。

 最近、web上で「ギフテッド」の子供達の問題を目にするようになりました。「ギフテッド」とは、教育現場にあってIQが高すぎるために現行の教育制度にあってトラブルや不適応反応を起こしてしまう子供達のことです。これらの子供達は、学校での授業が簡単すぎて不登校となったり、周囲から浮いてしまい虐めに遭ったり、周りの子供達に合わせようと無理をして心を病んでしまう傾向にあります。特に日本の教育制度では飛び級や「ギフテッド」向けの教室が設けられていませんので、「ギフテッド」達は救いのない状況に置かれているのです。

 「ギフテッド」は、知的な才能に恵まれながらも社会性が欠如していると見なされ、社会人となっても周囲の環境との不適合に悩み、ままならぬ人生を歩む人も少なくありません。こうした人々が安心して仕事ができる職業とは、知的好奇心や探究心を活かすことができる職、例えば研究者、高度な専門職、開発者や芸術家等とされており、どちらかと申しますと、他者と接する職業には向かないとされています。天才は政治家になるべき、とする主張も耳にしません。むしろ、政治家達は、その能力を伸ばしたり活かそうとするよりも、天才達を邪険に扱っている節もあり、不遇のうちに一生を終える天才も少なくないのです。

 ところが、超越性を有する人を「超人」と表現するようになりますと、政治との距離が一気に縮まります。ニーチェの思想の影響ともされますが、アドルフ・ヒトラーは、『わが闘争』において最優秀者による政治を正当化しています。最近では、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏が、ホモ・デウス論にてAIを含むテクノロジーを取り込むことで不死の神の域にアップ・グレードした人間の出現を予言していますが、近未来のホモ・デウスも、知力に勝る少数者による権力と富の独占を肯定しているとする点において、「超人」の系譜に属するのでしょう。こうした「超人」の発想には、ユダヤ教における選民思想や救世主(メシア)願望が潜んでいるとも推測され、世界権力の未来ヴィジョンを代弁しているのかもしれません。因みに、メディア等ではハラリ氏は‘超天才’として賞賛されているのですが、同氏に人類を支配してもらいたいと考える人は、それ程には多くはないかもしれません。

 そして、AIともなりますと、その卓越した能力故に、人類の支配者となることが、当然の如くに語られるようになります。テクノロジーの発展は誰も止められず、‘人間は、もはや逆立ちしても知的能力においてAIにはかなわないのであるから、その支配下に入るのは当然である’とする、必然論に飛躍してしまうのです。言い換えますと、AI人類支配論とは、未来を志向しながら、より優れた者が劣った者達を支配してもよい、あるいは、それが当然であるとする古来の優勝劣敗、あるいは、優生思想に舞い戻ってしまうのです。

 そもそも、現状にあってさえ、政治=支配・被支配関係と見なす政治観は過去のものとされております。今日の政治、あるいは、公的な機構の基本的な役割とは、各種の法律を制定したり、様々な政策を実施することで国民に対して統治機能を提供することにあります(国民の各々もそれぞれ異なる様々な能力や資質などをもっっている・・・)。ましてや民主主義国家では、国民が主権者であって政治に参加する権利を有しています。このように考えますと、‘AIに支配される’という発想自体が、時代錯誤のようにも思えてくるのです。

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