報道によりますと、日本国の林芳正外相は、G7の外相会談の夕食会においてピアノの腕前を披露したそうです。同夕食会の会場が「ビートルズ・ストーリー博物館」であったためか、即興で弾いた曲はジョン・レノン作の「イマジン」であったと言います。外相の「イマジン」演奏に同席した各国外相たちは温かい拍手を送ったのですが、「イマジン」という選曲に、どこか漠然とした不安が過るのです。
同曲は、今夏の東京オリンピックの閉会式においても起用されており、世界的にもよく知られている曲です。平和を願い、戦争や憎悪が消えた世界を想像しようと訴える歌詞が、国際舞台やイベントにおいて相応しい曲として選ばれる理由なのでしょう。そして、人々を隔てる国境もまた、ユートピアが実現するために’消えるべきもの’の一つとされています。
「イマジン」は、人類の未来を見据え、ユートピアを目指して世界を一つにしようと呼びかけているのですが、同曲がリリースされたのは1971年のことです(1971年9月9日に録音…)。驚くべきことに、同曲が登場してから、既に50年の歳月が流れているのです。70年代とは、ヒッピー文化が世界を覆い、ベトナム戦争への批判から反戦運動も花盛りの時代でした。既存の権威や秩序、伝統文化、そして価値観を根本的に覆そうとする世界的な潮流にあって、ビートルズは時代の寵児であると共に、若者を’理想郷’へと誘う先導者の役割をも果たしていたのかもしれません。そして、グローバリズムが本格化しますのは、米ソ間の冷戦が終焉を迎えた1980年代末以降ですので、「イマジン」は、時代を先取りした曲であったとも言えましょう。
そして今日、「イマジン」誕生から50年が経ち、イマジンが描いていた’理想郷’は、ある意味において、半ば現実のものとなっています。世界は急速に’一つ’へと向かい、共産党一党独裁を維持した中国までも国際社会に加わり、グローバリズムの旗手を自認しています。そして、グローバリズムは、モノ、サービス、マネー、人、情報、テクノロジーの国境を越えた移動を自由にし、国境の壁を融解させ続けているのです。「イマジン」が広げた’国境は平和を実現するためには取り除くべき障害’とするイメージが、グローバリズムを心理面において強力に後押ししてきたことは言うまでもありません。
その反面、「イマジン」誕生から半世紀を経たからこそ、人類は、同曲が描いた世界が人類の理想郷ではないことを、実体験を通して気づき始めているように思えます。理想の状態が凡そ実現したはずなのに、人類は、決して対立や憎悪から解放されたわけでもなく、戦争の脅威にも晒され続けているのですから。そして、全ての個々の属性が消し去られた世界を理想郷と見なす政府やメディアの宣伝や圧力は、ポリティカル・コレクトネスや’多様性の尊重’という名の画一化の押し付けなど、ますます人々が生きる社会を息苦しくし、個人の自由やプライバシーの範囲を狭め、全体主義へと向かう危険性をもたらしているように見えます。国境がなくなれば、米中のIT大手が各国の市場で自由に事業を展開もすれば、中国といった人口大国や途上国からの移民も際限なく流入もするのです。加えて、国境を越えたシステマティックなデジタル化が進み、また、近未来型のハイブリッドな戦争形態(超限戦など…)が想定されている現状にあっては、一般の人々までが日常にあって外部からの監視やコントロールを受け、基本的な自由や権利が侵害されるリスクに直面する状況に置かれかねないのです。
「イマジン」から50年を経た今日、真に理想の世界として想像してみるべきは、イマジンの描く’理想郷’とは逆の「国境のある世界」なのかもしれません。50年前とは、視点が逆転しているのです。そして、50年前をイメージしてそれを理想郷と見なし、この時代への回帰を目指すわけではないにせよ、民主主義の成立要件にも深く関わるがゆえにこそ、今日、内外の調整を担う国境機能を肯定的に再評価すべき時期に至っているように思えるのです。